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大船渡夢商店街「夢さんま祭り」に参加しちゃうツアーに参加②




9月26日(土)27日(日)の2日間の

大船渡夢商店街「夢さんま祭り」に参加しちゃうツアーの続き。



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今回の旅のメインイベントは

何と言っても

「夢さんま祭り」でサンマを焼くこと。




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宿舎を出てからお祭りまで時間があったので

全員で、大船渡市街を一望出来る加茂神社へ行く。




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境内にある防災警告塔が真っ先に目に入る。

「あの日」は、いったいどんな音を立てていたのだろう。




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境内から見下ろした市街地は、すっかり整地が進んで

大規模開発が行われている街の風景に見える。




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復興が進むのは喜ばしいことだけれど

初めてこの地を訪れた人には震災の悲惨さは伝わらない。

復興と風化は比例しちゃいけないのにね。




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今、東北の沿岸部を歩くと

どこでもこのようなかさ上げの工事ばかりが目に付く。




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うんざりするほど、かさ上げ工事が続く。




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震災から4年半以上の年月が経って

まだ、完成していないのだもの

全ての工事が終わった段階で

いったい、どのくらいの人が戻ってくるんだろう?

無駄な工事?

ゴーストタウンにならなければいいなあ、と思う。




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さて、

お祭りは大盛況。




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サンマ焼きは大忙し。




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ちなみに、上の写真の中央

マスクにゴーグルの怪しい人物が私。




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休憩時間に食べたサンマとチヂミが美味しゅうございました。




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午前中いっぱいでサンマ焼きの応援を引き上げて

午後からは「三鉄まつり」へ。




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連続ドラマ「あまちゃん」でお馴染みの電車。

乗ってみたかったな。




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盛駅傍の陸橋からの眺め。

のどかで懐かしい気がした。




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大船渡を発つ前に「大船渡温泉」で汗を流す。




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埼玉への帰路

途中、陸前高田へ寄った。




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震災の翌年に一人で高田へ来た時には

一面、夏草が生い茂り瓦礫だらけの荒野だった。

それが今は、どこを見てもベルトコンベヤーばかり。

まるで、未来都市へ紛れ込んだかのよう。

しかし、これも見納め。

この数日後、撤去作業が始まったらしい。




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「奇跡の一本松」

言わずと知れた、フェイクモニュメントだ。



私が訪れた3年前は松は本物だった。

お腹に腹巻きをした痛々しい姿だった。

堂々としたモニュメントに高田の人々のどんな想いが込められているのだろう。

それを想うと哀しい。




以下の3枚の写真は、2012年8月19日に撮影したもの。

震災から1年半後の陸前高田と一本松です。

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大船渡夢商店街「夢さんま祭り」に参加しちゃうツアーに参加①





9月26日(土)27日(日)の2日間に

大船渡夢商店街「夢さんま祭り」に参加しちゃうツアーに参加した。

ツアーと言っても

ちょこちょこ顔を出している

勝手に大船渡を応援しているボランティアチーム

「渡和の会」の仲間が企画したツアーで

参加者は男性3名、女性6名の合わせて9名。

レンタカーのワゴン車に乗っての気楽な旅だ。



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一日目。

大船渡への往きは、全線開通した常磐道を通った。

道の両側に見える、汚染土を入れた黒い袋が並ぶ光景は

覚悟をしていたものの、実際に見ると衝撃だ。

原発事故さえなければ

黄金色の稲穂が頭を垂れていたはずの田圃が夏草に覆われている。

同じ景色が延々続く。

途中、放射線量を示す電光掲示板の数字が光る。

線量が高く、人体に影響がある地域が

福島県の一部に過ぎないことで

他の地域の福島県の方々は健康で普通に暮らしておられるのも

事実だとは思うが

こうした地域があることも事実だ。

しかも「福島県の一部」である制限区域が、

「一部」とは、言い表せないほど実に広大な土地なんだもの。

原発には賛否両論ある。

事故を起こした原発は、そもそも古い型だから

基準を満たしている原発は大丈夫だ、と言い切る人もいる。

大替エネルギーの問題もある。

私だって、毎日、電気の恩恵に預かっている。

「節電しているか?」と聞かれたら

「しているけど、していない」と答えるしかない。

常磐道にしたって

「危険だ」と言う人と「安全だ」と言う人と両方いて

そのどちらを信じるか、といったら

どちらかを選ぶ方の人間が楽観的か悲観的かの、差でしか

ないのじゃないかな。

でもね

それをさておいて

こうした不毛の土地を生んでしまったのは、やはり原発で

こうした広大な土地を、失ったも同然にしたのも原発なんだもの。

狭い日本の国土をもっともっと狭くしてしまったのと

同じことなんだもの。

「福島の子供たちは、元気に外で遊んでいるよ」

そんな、あたりまえのことを

わざわざ声に出して言わなければならないような事態にしたのは

何をどう言っても、原発事故だ。





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どうしたものだろう…。

そんなことをつらつら考えていたら

SA「セデッテかしま」に着いた。

ここで、トイレ休憩。

賑やかさに救われる。

相馬の物産を販売していたので、数点買い求めた。




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大船渡に着いてから

最初に訪れたのは「つなが〜る」。

渡和の会の仲間たちが、震災後、ボランティアバスで大船渡へ行き

瓦礫拾いをさせていただいた縁のある

地域の手作り品を販売するお店。





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その後

あしなが育英会が運営する

「レインボーハウス」を見学。

震災遺児たちに短期、長期の心理的サポートを提供すること、

また、遺児たちに寄り添いケアする“ファシリテーター”と

呼ばれる人たちを養成することを主要目的として建てられた施設だ。




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見学終了後は大船渡の屋台村へ。




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ここで、夕食と「お疲れさま会」。

いただいたのは「喜楽」さんのおでん。

このお店も、震災ボランティアでのご縁だ。



屋台村の夜は、雰囲気が良くてとても奇麗だった。

と、こんなことを書いておいて矛盾しているが

書きながら、ふと、思った。


私が子供の頃は、当たり前に夜が暗かった。

私が若い頃は、24時間営業の店はコンビニくらいだった。

結婚したての頃までは、元日営業はおろか3が日までは

店は閉まっていた。

昔のように静かな夜や静かなお正月に戻れれば

少しでも電力消費が減るんじゃないかなあ。

このような「経済優先」の仕組みになってしまった日本では

無理なことなのかしら?



でもね

海外旅行先では、都会の夜でも暗いのが当たり前だった。

ヨーロッパの大都会でも、暗かった。

日本は異常なくらい、夜が明るい。

日本の夜は明るいから、安全だと思っていたけれど

とんでもないことかもしれないよね。








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常総市ボランティア








9月19日(土曜日)

大水害に遭った茨城県常総市へ

清掃作業のお手伝いに行って来た。



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NPO法人『チーム東松山』の会員女性のご親戚のお宅が被災された、

ということで

そのお宅を拠点とさせていただいて

チームの一員としての活動だ。




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拠点となった地点は、女性の背丈ほどの深さまで水没したらしく

どの家も、家財(被災ゴミ)の搬出と泥の洗い流しをやっていらした。



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チーム東松山では、粗大ゴミの運搬を引き受けさせていただいた。

チームに縁のある方からお借りしたトラックが大活躍。

市の方で手が回らない大きな家具を

臨時の集積場となった運動公園へ何往復もして運んだ。

「家の前から大きなゴミが無くなるだけでも

気分が変わって、片付けを頑張ろうという気持ちになる」と

住民の方に言っていただいて「押しつけ」じゃないことに

ほっとした。

私は、拠点にさせていただいたお宅の床の清掃と

瓦礫の運び出し、近所のゴミ出し、室内からの畳出しなどを

主にお手伝い。

ほんの数時間だったけれど、少しはお役に立ったかな。







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そして、昨日10月1日(木曜日)は

常総市社協の主催するボランティアに参加をして来た。

ここでは、受付から徒歩圏内にある個人宅の清掃と

瓦礫拾いと運搬のお手伝いをさせていただいた。

初対面の4人が1組となって班を作り

渡された地図を頼りに、現場へ行き作業する。

昨日、ご一緒させていただいた若者の一人は

福島県双葉町の原発から5キロ圏内の出身だと言っていた。

原発事故当時の避難のこと、その後のこと

愛犬との別れのこと

様々な体験を話してくれた。

辛いことが多かっただろうに、そして

大変なことは現在も進行中だろうに

こうして、活動に参加される胸の内は、どんなだろう。

彼と同行していた若者は、彼とはとあるボランティア団体で

知り合ったと言っていた。

この若者も、昨年の広島豪雨のボランティアに参加したときの

体験を聞かせてくれた。

もう一人、昨日ご一緒させていただいた中年の男性も

何度もの石巻での活動経験があるらしく、とても穏やかな話し方が

印象的だった。

もちろん、ボランティア先のご主人と奥様も優しい方たちで

私たちに労いと感謝の言葉を掛けてくださった。



「ボランティアなんて偉いわね」と言われることがあるけれど

それは、やっぱり違う。

こうして、幾度も災害の現場に出かけていくのは

こうした人たちとの出会いにはまってしまったから、と

言っても言い過ぎじゃないほど、素敵な方たちと出会えるからだ。

所詮は「自己満足」のボランティア。

「今日はお疲れさま! また、どこかで会いましょう」

と言って去って行った彼等。

こんな、優しい人たちと出会い会話をすることで

私の心はまたひとつ豊かになった、と思えるのだ。









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仙石線に乗りたかったから(田植え編)






さて、6月7日(日曜日)。

「仙石線に乗るため」が第一目的の帰省の2日目は

女川からスタート!



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女川湾を望みながら、雄勝へ向かう。




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久しぶりの雄勝。




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街の中は、全ての建物が解体・撤去されて、何も無い。

日曜日だったので、工事関係者もいない。




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なんだか、居たたまれなくなって

僅か数分間の滞在で、車に戻ってしまった。

街を出て、大川に向かう道路の曲がり角に

「雄勝花物語 ローズファクトリーガーデン」と

看板に書かれた、可愛らしい家と

綺麗に手入れされた一画があった。


「雄勝花物語」は3・11の巨大津波で壊滅した石巻市雄勝町を「花と緑の力」で復興するために、被災した住民が立ち上げた復興プロジェクト。活動拠点は石巻市雄勝町内の「雄勝ローズファクトリーガーデン」。
2011年8月に代表者の女性が津波で流された母親や親族の霊を弔うために、瓦礫に埋もれた雄勝町味噌作の実家跡地に花を植え始め、その年の9月、被災地緑化支援に入っていた方々と出会い、花畑造りが始まった。


以上「雄勝ローズファクトリーガーデン」HPより抜粋。


生憎、日曜日の早朝とあって

無人だったため、お話を伺うことは出来なかった。




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上の写真は、大川小学校の校舎。



ここに来るのも、久しぶりのことなので

もし、校舎がなくなってしまっていたら、と不安だったが

まだ、残っていたので

胸をなで下ろした。




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この校舎を「震災遺構」として残すことには

反対と賛成、その他様々な意見があるらしい。

ご遺族にしたって

「見るのは辛いから解体して欲しい」と思う方も

「この場所に来る度、子どもに会える気がするから

 残して欲しい」と思う方もおられると思う。




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私は、まったくの第三者で

ともすれば、ただの野次馬でしかないので

何も意見は述べる立場にない。

けれど、私は、この校舎を残して欲しいと思う。

慰霊碑と祭壇の置かれた砂利敷の広場の真ん中に立ったとき

そこかしこに子供たちの姿が見えた気がした。

教室を覗けば、黒板に「.....月.....日.....日直」の文字が残っている。

確かに、ここで子供たちが机を並べ授業を受けていた。

生きていた「証」が、残されているように思うのだ。


校舎は雨風に晒されて、劣化が進む。

震災被害から立ち直るために

震災遺構に多額のお金をかけている余裕はないのかもしれないけれど

多くの子供たちが、一瞬で命を落とした場所だもの

ここは特別扱いにしてもいいんじゃないかなあ、

これ以上、劣化が進む前に手を打って、と

そんなことを思いながら、校舎を後にした。



それから

余計なことだけれど

慰霊碑の前に「この前で記念写真を撮らないで」との

注意書きがあった。

どこにでも、不届きものがいるものだ。

悲しいことだね。





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大川を出てからは、橋浦の「曽呂美農場」で

田植えのお手伝い。

なぜ。写真の二人が反対向きで田植えをしているかは

ご愛嬌。




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農場特製の、いつものシフォンケーキ。

田植えの合間にいただくのは、とても嬉しい。

そして、美味しい。

※写真は、いい写真なので掲載しちゃいましたが
 ご本人からクレームが入ったら削除します。
 遠慮せずにメール下さいね。




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特製のシソジュースも、咽に優しい。

汗の流れる火照った身体を冷やしてくれた。




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田植えの後のご褒美は

都会から移り住んだ若者たちのご家族のお招きで食べた

釜焼きピザ。



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あまり詳しいお話は伺えなかったが

ピザ作りのご主人は、石巻の渡波の方で

震災時に、たくさんのボランティアさんに

お世話になった恩返しとして、ピザを焼き始めたのだそう。

この釜は、ご主人の手作りだ。




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「チーム東松山」の仲間たちと

必死になって片付けた納屋が、感じの良い作業場になっていた。




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明るい太陽の下で

ピザのおじさんの奥様お手製のピザを頬張る。




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それから「移住組み」の奥様お手製のリゾットとサラダ。




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私なんぞ

土曜日から作業していた皆に遅れて

日曜日からの参加で

しかも、苗は二束三束くらいしか植えていないのに

こんなに御馳走になっていいのかしら。

そう思いながらも、図々しくお代わりをして食べてしまった。




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その後、いつもの陸前小野駅傍の「スマイルダイニング」へ。




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ここでは、クリュームブリュレだけをいただいて

皆と別れた。



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それから

レンタカーを返しに石巻へ向かう。

レンタカーを返してからは徒歩で石巻駅へ向かい

仙石線で仙台へ。



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石巻駅のホームに立つのも、4年振りだ。

「また、帰ってくるよ」

そんな気分になれるのも、電車ならでは。

車での帰省では、なぜだかそんな気分にはなれない。



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石巻市民には夢(?)のような「仙石ライナー」に初乗車!

高城町を過ぎてから、東北本線の軌道を利用しての

快速列車だ。

これまで、どこかのお下がり車両ばかりだった仙石線なのに

「仙石ライナー」はピカピカの車両だったので

嬉しかった。






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新しい野蒜駅から、旧野蒜駅舎が見下ろせた。

その向こうには海。




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おだやかな、海。


仙石線の車窓から見る海は、やはり最高だ。

私は、海のある街で育った。

18歳まで、工業港と漁港がある不思議な港町で暮らした。


だから、今でも海が好き。

どんなに離れていても、やはり、石巻が好きだ。








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仙石線に乗りたかったから





あの大震災で、一部区間が不通になっていた「仙石線」が

5月30日に全線開通した、というニュースを聞いたので

6月6日に、さっそく乗るために

石巻へ帰った。



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仙台駅で、電車待ちの時間があったので

終点の青葉通り駅まで上り線に乗り

そこから石巻行きに乗り換えようと思ったが

長い待ち時間に耐えられず、次発の高城町行きに乗った。

入って来たのは、マンガ列車だった。




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高城町の駅で降りたところで

何もすることがないので

ひとつ手前の松島海岸駅で降りて、お手洗いを借りた。




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ホームからは

閉園してしまった「マリンピア」が見える。

幼い頃には、ここは動物園だった。

生まれて初めて象を見たのも、ここだった。

閉まる前に、もう一度、行きたかった。




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松島海岸の駅のホームで時間を潰し

石巻行きの電車を待った。

ここからが、私の乗りたい「仙石線」の区間。

本番だ。

陸前富山(とみやま)を過ぎると海が見えてくる。




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残念過ぎる高い堤防。

けれど、海が見えてきたら

乗客たちが一斉に窓の外を見た。

中には立ち上がって、背伸びをして海を見ている人もいた。

携帯を取り出して写真を写す人

本格的なカメラで写す人も、ipadで何やら書き込んでいる人

皆、落ち着いて座っていられない。

車内は感嘆の声に包まれた。

「涙、出てくる」

女性の声がした。

私も、つられて涙が出た。

皆、待ち望んでいた。

こんなにも皆、仙石線の車窓から、松島湾が見たかったのだ。




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物心ついた時から乗り馴れた

仙石線から見える風景のピカイチは松島湾だ。

ほんの僅かな時間だったけれど、あの日から数えて4年。

長い待ち時間の後に与えられた、夢のような時間だった。



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仙石線は陸前大塚を過ぎると

旧区間から外れて、内陸を走る。




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線路から山側は造成地ばかり。




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その全てが空き地だ。

宅地造成を計画した頃には

震災で非居住地域に指定された地区に住んでいた人々が

ここに新しい街を形成するためのものだったが

4年は長すぎた。

仮設住宅や親類宅に身を寄せていた人々は

仙台や、その他,内陸部に住処を求め仕事を求め

もはや、新しい生活を始めている。


この、恐ろしく何もない造成地に

いったい、何人の人が帰ってくるのだろう。

政府の見通しの甘さや無駄な金遣いを

東北の太平洋沿岸では、イヤと言うほど見せつけられて

怒りを通り越して悲しみすら覚えてしまう。




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そんな気分を一掃させてくれるのが

新しい野蒜駅だ。




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可愛らしくてオシャレな駅舎とホームが出来ていた。




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野蒜駅を出ると、電車は田圃の真ん中の高架上を走る。




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私は、この日

野蒜駅の次の陸前小野駅で降りた。

小野での第一の目的は

ご無沙汰している叔父叔母の家に行くこと。

叔父さん叔母さんは大歓迎をしてくれた。

採り立ての筍ご飯とカツオの刺身の旨いこと。

そして二番目の目的は

仮設住宅で作られている「おのくん」という

ぬいぐるみを買うことだ。




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おのくんは、一組の靴下で作られている。

知る人ぞ知る、全国区のヒット商品だ。

ところが、この「おのくん」

制作場所にしている仮設住宅の解体期限が迫っているらしい。

仮設のおばちゃんたちには深刻な問題だ。

現在、小野駅の傍に「空の駅」という新たな拠点を建設中だけれど

資金不足だそうだ。




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さて、

私が「里親」になった「おのくん」は全部で6体。

全部違うけれど、全部が「おのくん」だ。


5体は、私の地元のイベントで

新たな里親を募集しようと思っている。

ちなみに、おのくんの後ろでアイスキャンデーを舐めているのが

私の叔父さん。



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叔父さんに見送られて、再び仙石線に乗車。

陸前山下駅で下車して、レンタカーを借りて

亡き両親の墓参りに行った。




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その後

「がんばろう石巻」の看板のある地区へ。



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石巻市南浜町と門脇地区は

渡波地区に次いで犠牲者の多かった地区だと聞くが

すっかり更地になり

あちこちで、道路工事が始まっているので

始めてこの場所を見た人には

ここが「被災地」だとは、感じられないのじゃないか

そんなふうに思った。




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寂しい。



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きっと

ここに住んでいた人たちは

今のこの場所を見たら、そう感じる。

ここに、昔のように賑やかな街が再生出来ないのは

仕方のないことだとしても

何もかも無くしてしまうのは、あまりにも寂しい。




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その後

レンタカーを運転して女川へ行った。



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やはり、全線開通した「石巻線」に乗りたかったけれど

時間が無く断念。

次のお楽しみだ。




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駅舎利用の温泉に入って見た。

真新しい施設がとても気持ちいい。




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しかし、心配なことに

土曜日の夜の早い時間というのに

客の姿が無い。




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開業時には満員だったと聞くが

日本人の、新しい物好きで飽きっぽい気質が

影響しなければいいなあ、と思う。

せっかく出来た、待望の施設だ。

なんとか、頑張って欲しいと願う。




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女川も、駅の周りは何も無い。

やはり、あちらこちらで

道路や土地の造成工事をしているので

初めてこの場所を見た人には

震災の悲惨さは伝わらないだろう。

忘れてはいけないのに

どんどん、進まなくてはいけない。

このジレンマに被災地の人たちは、これからもずっと

苦しまなくちゃいけないのかなあ、と思うと

外に出て、たまに帰省して眺めているだけの我が身のことを

役立たずの情けない存在だと思ってしまう。







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