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―被災から16日目の石巻を歩いて― NO.2






被災から16日目の今月27日に故郷石巻を歩いて撮影してきた

写真を全て掲載したいと思っています。

昨日の続きになります。

被害の激しかった地区に入っていきますが

どうか目を反らさないで現実を見てください。

そして、ほんの少しでもあなたに出来る事、

お力を、被災した全ての方々のためにお貸しください。






+マップ_convert_20110331101050

昨日の写真は実家のある大街道北から末広町の交差点付近まで。
地図上の赤いライン。
今日の掲載分は地図上の緑のライン。
末広町交差点から240号を門脇方面に進む。
途中、石巻消防署南分署付近の交差点から南光運輸の前を通り
真っ直ぐ日本製紙石巻工場に向かい
工場の壁伝いに宜山町方面へ。
セブンイレブンのある交差点から、また240号に出て
南浜町5丁目付近まで。


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泥だらけの駐車場と電線に乗り上げたままの車が目に入る。
言葉にならないが、それでも原型を留めているからまだいいのだ。
被害にあった車に『まだいい』という
不謹慎な言葉が出てしまうほど被害が大きい。
運転していた方の無事を祈ることしかできない。



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自衛隊の配給に並ぶ人たち。
実家にも自衛隊からの配給の食品が何点かあった。
贅沢は言っていられないが
乾いた食品ばかりで、いわゆる調理した食品がなかったのが
見ていて辛かった。




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車が十数台、山のように重なって
宙に浮いているものも。




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240号から南光運輸の前の道に入る。
どこから流れてきたのだろうか。
住宅の2階部分。




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部屋の中には立ち入り様もない。




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民家の軒先で横転した車。
右に見える金属の固まりはおそらく
工場のプラントの一部だと思う。
こんな重い物まで易々と波は運んでくるのだ。





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道路を通すためなのだろう。
除けられた瓦礫が道の両側に山のように積み上げられている。




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手前の四角い固まりは古紙の束。




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駐車場だったのだろうか。
一面の泥と瓦礫。
瓦礫と一括りにして言ってしまうが
元々は瓦礫などではない。
どれもが、被災した一人一人にとって想い出の品なのだ。




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後ろに見える家と同じ造りだったのだろうか。
泥が押し寄せ屋根しか残っていない。




RIMG0382_convert_20110331095706.jpg

託児所の前に置いてあったぬいぐるみ。
誰が並べたのだろう?
ここが託児所だったことを、せめて知らせたい
そんな想いだったのだろうか。
悲しくて仕方がない。




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託児所の室内。




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子供たちのオモチャが散乱していた。
この託児所の壁には、2名の子供の親御さんにあてて
避難先を知らせるメッセージの張り紙があった。
二人の小さな子は無事に親御さんと出会えただろうか。
出会えたことを祈るしか出来ない無力な自分が
情けなくてならない。




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どこが道でどこが庭だったのかもわからない。
写真中央に見えるのは飲料水の自販機。




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お米屋さんの軒先にも工場のプラントの一部が
流れてきている。




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製紙工場の壁伝いに海側へ進もうと思ったが…




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道が塞がれて進めなかった。




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再び240号に出る。




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サンタのいるケーキ屋さん「アルパジョン」前。
手前はアルパジョンの駐車場だったところ。
元々は家のなかった場所だ。




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こんな大きなしっかりとした家も流されている。





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これをどうやって片付けて
元の生活に戻ればいいのだろう?




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この街のこと。
被災に遭った人たちのこと。





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想えば想う程、涙が溢れて止まらない。




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先を行く姉と姉の娘。
実際に被災して、この街に暮らす姉の目には
この光景はどう映ったのだろう。
姉の胸中を察すると、私など所詮は傍観者に過ぎないと思う。
そのことがとても申し訳なくて
出来る限りの手助けをしてあげたいと思ってしまう。




RIMG0396_convert_20110331100117.jpg

石巻の基幹産業である「日本製紙」の入り口。
日本製紙では多くの市民が働いていた。
津波で命を落とされた従業員の方もいらっしゃるだろう。




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工場の再建はいつになるのだろう。
多くの人たちのために、一刻でも早く工場の復活を祈る。



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そしてここで働く『生きていてくれた』方たちの全てが
仕事を失わないでいられるよう心から願う。
日本製紙あっての石巻
旧くは東北パルプ、十条製紙あっての石巻だ。
どうか、小さな私の願いが
神様がもし存在するのなら神様に届きますように。
いつの日か必ず、高くそびえる何本もの煙突から
白煙のたなびく日が来ますように
私の心からの願いが叶いますように。







次回の更新では海岸沿いの地区の写真を掲載します。

故郷を巣立って30数年の時を経ておりますので

町名や建物、通りの名前など記憶が不確かな部分があると思います。

間違っている部分がありましたら、お詫び申し上げます。


写真を見てお分かりのように

復興には多くの人の手が必要だと思います。

どの被災地とも、多くのボランティアを必要としています。

ボランティアの条件として

食料、寝る場所、移動手段等、全て自分自身で用意することが

できる人に限られています。

私は実家の応援が一息ついた時点でボランティアに参加したいと

考えています。

ボランティアのもう一つの条件として

「心が折れないこと」があげられると思います。

手助けできるその日が来るまで心を強く持っていきたいと

思っています。





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| Ishinomaki | 12:13 | TOP↑

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―被災から16日目の石巻を歩いて― NO.1





3月11日に発生した東北関東大震災で、被災した故郷石巻の街に

先週末に帰郷いたしました。

実家の状況や石巻の街の惨状は、私の想像を遥かに越えて

現実に起ったことだとは思えないほど凄惨なものでした。

どうやってこの街の状況を伝えればいいのか

私にいったい何ができるのか、自分の無力さが情けない限りです。

私の愛する故郷・石巻のために私に今、何ができるのか考えて考えて

私にできるのは、石巻の凄惨な姿を私の目で見て写真に撮って

少しでも多くの方に見ていただいて

募金の協力を呼びかけることだと思いました。

この非常時に写真を撮って歩くということ、それをブログに掲載すること

お叱りは覚悟の上です。

また、少しでも多くの方に見ていただきたいので

ブログ村『パグ』にも新着情報を流しています。

ランキングには参加しておりませんのでどうかご理解下さい。

撮った写真は200枚以上。

数回に分けて全部の写真を掲載する予定です。

枚数を重ねるごとに悲惨な光景の写真になってしまいますが

どうか目を反らさずに見てください。

この街の人々は、わずか20日前にはあなたと同じように

ごく普通の平和な日常を過ごしていたのです。

1円でも10円でも、少しでも多くの義援金を、この街や他の被災した

東北・関東にかけての太平洋沿岸のたくさんの街で必要としています。

わずかな力にしかなれないかもしれないけれど

このブログを見てくださった方のお力をお借りしたいと

切に願っています。







27日に、実家の姉と今回私と一緒に帰郷した姉の娘と伴に

11キロの行程を徒歩で回りました。

実家のある大街道北からスタートして双葉町に向かい

壊滅状態の門脇、南浜町を抜け、旧北上側の川岸から中瀬を望み、

中央、寿町、立町を通り、日和山に登り石高前から宜山町、

大街道南、大街道東を回って大街道北の実家へ戻るルートの予定でした。

けれども大街道東に差し掛かかり、及善商店前で道が塞がってしまい

住宅街の小道も、とても歩ける状態ではなく

大街道南と大街道東を歩くのは断念いたしました。

あの日から16日経っても、街のほとんどが復興するには

ほど遠いというのが現実なのです。





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日本製紙の工場から流れてきた紙のロール。
工場から2キロ程離れている実家近くまで流れてきた。
ちなみに実家は海から3キロ程離れているが
床上1.2メートルまで浸水した。




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ドラッグストア「ツルハ」の駐車場。
もちろんコンクリート舗装だが、泥に埋まって地面が見えない。



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ミニストップの駐車場。
同じく泥だらけ。
駐車している車は水没して動かなくなったまま
放置してある車。



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路上や駐車場に止まっている車の全てが被災した。
動かない、廃車にするしかない車だ。
右上に見える建物が、多くの人が避難・孤立した
パチンコ店「大将軍」



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無傷に見える車でも…




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どの車も車内はこの状態。




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ロール紙。
製紙工場が被災したので紙不足が懸念されていると
ニュースで言っていたけれど
少しくらいの不自由は我慢して欲しいと思ってしまう。



RIMG0360_convert_20110330041002.jpg

金網のフェンスは全てこの状態。




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ファミレス「トマト&オニオン」で
炊き出しをやっていた。




RIMG0354_convert_20110330040809.jpg

嬉しそうに食べる方たち。




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姉も列に並ぶ。




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大喜びの姉。




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豚汁と丼一杯のご飯に漬け物。




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この地区での炊き出しは、震災発生から16日目の、この日が初めて。
近所のご婦人が「16日振りで温かいものを食べた」と話してくださった。
「昨日初めて下着の配給があって、15日振りで着替えたの」
との話には涙が出た。

もちろん私は、炊き出しの列には並べなかった。
申し訳なくて、食べられない。



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工業港への貨物線の線路の土手。
逃げ遅れた何十人のも人々がこの土手の上に避難したそうだ。
濡れた身体で氷点下の一夜を
身を寄せながら、焚き火で暖をとって過ごした。



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ロール紙は街のいたるところに転がっている。




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ベビー服の「西松屋」前。



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建物が無事でも、ほとんどの店舗や家の中のものは
泥にまみれ、ゴミにするしかない。




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ロール紙。
人にぶつかっていたらと思うと、ぞっとする大きさ。




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末広町の交差点。
ここから被災の激しかった地区に入る。





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水が押し寄せた高さまでゴミがびっしり。





RIMG0368_convert_20110330041218.jpg

波の勢いの激しさが分かる。
大街道(398号)では、このように破損した車は
見かけなかった。




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左の四角い固まりは、古紙(古新聞)の束。
ロール紙と同じく製紙工場から流れてきた。




RIMG0361_convert_20110330041018.jpg

製材所から原木が流れてきている。




RIMG0369_convert_20110330041238.jpg

どの家の前にもゴミ、ゴミ、ゴミの山。





ここから先は壊滅状態になった南浜町と門脇です。
明日以降に掲載したいと思っています。
約1,700世帯の方々が家はおろか、何もかもすべてを無くしてしまいました。
私や姉の知人、友人の家もこの町内にありました。
命は助かったけれど、この方々のこれからを想うと涙がでますし
見慣れた街の変わりはてた姿は筆舌に尽くしがたいものがありました。
凄惨な街の姿を、興味本位でも同情でも何でもかまわないです。
見てください。
そして、少しでもこの街の人たちのために
あなたの力を貸してください。

私も義援金を数万円、募金しておりますし
実家の援助も数十万円しています。
今後も機会があるごとに、私のできる範囲で応援したいと思っています。




【義援金・募金・寄付できるサイトまとめ】東日本大地震






| Ishinomaki | 06:38 | TOP↑

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皆様のご好意に感謝しております。







昨日、私があのような内容のブログ更新をしてしまったために

皆様にご心配をかけてしまい、たくさんのお見舞いのメールと

救援物資を届けてくださるというご連絡をいただきました。

皆様のご好意が本当にうれしく胸の熱くなる想いに、涙しております。

私の実家の状況ですが、あの記事の更新後、少量の物資が

近所の方の分け合いなどで、手に入った様子です。

ですので、避難所にいる方々に比べ、まだまだ恵まれているのです。

自力調達できる体力、気力も方法も残されています。

また、昨日のブログ更新後に宮城県内で被害の少なかった長姉と連絡がとれ

話し合いの結果、長姉の家に家族全員と犬たちは

一時、身を寄せることになりました。

昨夜、1往復分だけ確保できたガソリンでなんとか移動が終わりました。

実家の姉一家の当面の生活は大丈夫です。




皆さんのご好意に甘えさせていただきたい気持ちはあるのですが

実家の恵まれた状況よりも、まだまだたくさんの困っている方々が

いらっしゃいます。

なにも手に入らない、暖かな食べ物も口にできず、毛布も満足になく

寒い体育館の床で眠っている方々のことを思うと

本当に心が痛みます。


「何でも言ってくださいね。」と言ってくださった皆様のお気持ちを

ありがたく、お気持ちだけ頂戴したいと思っています。


そのお気持ちは、本当に困っている方々へ向けてください。

私も偉そうなことは言えないのですが

埼玉の我が家にもコメがあと2合しか残っていないとか、

ティッシュペーパーがないとか、保存食がないとか、カセットボンベがないとか

ガソリンが半分以下になってしまったとか、

買い急ぎや、買い溜めをする気持ちにはなれず、不自由していますが

まあ、暖かい家がありますからなんとかなっています。

無駄なガソリンも使いたくないので

公共の交通機関が復旧するまでは現地に行くのも控えようと

頑張って耐えています。



すみません、考えていることまとまらず

支離滅裂な文章になっているかと思いますが

きれいごととか、決してそういうことではなくて

私の実家に差し伸べてくださった手を

被災地の本当に困っていらっしゃる方々に差し伸べてあげてください。

本当ならここに、支援の方法等、情報を掲載するのが一番なのですが

私も時間を作るために、とにかく目の前にある『仕事』を片付けていますので

支援に関するサイトのURLを掲載する時間がありません。

ひとつだけ

今朝このサイトで何件かの募金とポイントなどの寄付をいたしました。

【義援金・募金・寄付できるサイトまとめ】東日本大地震

本当に身勝手なのですがこれ以外にも様々な方法がある様子ですので

お調べになってご協力してください。





そして、あらためてこの場で

ご心配をお掛けしたことを心からお詫び申し上げます。

そして、たくさんの救いの手を差し伸べてくださったこと

本当に本当に本当にありがとうございます。

こころから感謝しております。



身びいきな身勝手な記事でお怒りになられるかたもおられるかもしれません。

ご好意を甘んじて受けないということ、お気持ちを無下にするようで

本当に申し訳ないです。

これが今の私に書ける精一杯の内容です。

どうか、お許しください。






Hurana










| Ishinomaki | 15:13 | TOP↑

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石巻の家族の安否の確認がとれました。





昨日、宮城県石巻市で被災した

実家の姉一家、姪一家の安否の確認が取れました。

全員無事でいるとのことです。

石巻では、いまだ電話が繋がらず

電波の届く場所は石巻蛇田の蛇田中学校と石巻赤十字病院の2か所だけ。

昨日、日赤に薬を受け取りに来ていた姪とたまたま電話が繋がりました。

地震発生時に姉と甥は仕事先から家に戻り、まず5頭の犬たちを2階に上げ

水が押し寄せる中を近所の高校まで逃げたそうです。

途中で携帯を忘れ自宅まで戻った甥はそのまま自宅から出られなくなり

犬達と自宅2階で孤立。

腰の高さまで水に浸かりながら高校の校舎に避難した姉は

地震発生2日後にゴムボートで自宅へ戻り、甥と再会したそうです。

義兄は会社から急いで戻ったものの石巻市内が冠水しているために

市内に入れず、やはり水が引いてから姉、甥と再会しました。

姪は、やはり2頭の犬を飼っているため自宅へ向いました。

帰宅途中で車ごと流され、車を捨てて胸まで水に浸かりながら

自宅に戻ったそうです。

たまたま繋がった電話で、姉一家や姪一家とも無事の確認ができましたが

まだまだ手放しで喜ぶ状態ではありません。

私の叔父、叔母(亡父の妹)と従兄の一家の安否がいまだに分かりません。

たくさんの石巻の友人たち、そのご家族の安否も分かりません。

そして大勢の亡くなられた方々がいらっしゃいます。

懐かしい故郷の変わり果てた姿を報道で目にする度に

悲しみで胸が張り裂けそうになります。

実家では1階天井まで水が押し寄せ、1階は何もかも水に浮かび

使えるものはないそうです。

かろうじて残った2階で親子3人と犬5頭で身を寄せ合って暮らしています。

電気もガスも水道も止まったまま、口にしたのは

ゼリーとハム数枚だけ。

乾電池がなく懐中電灯も使用できず、犬たちに与えるものも尽きたそうです。

一刻も早く食料品や日用品を届けたいのですが

こちら埼玉ではスーパーから食料品と日用品が消えました。

まったく手に入りません。

第一、届けたくてもガソリンが手に入りません。

道路も寸断されたままです。

また、個人での救援は被災地に混乱を持ち込むことになるので

厳しく制限されています。

なんとか助けたいのに、助けてあげられない。

今の私に出来るのは、募金をする事,節電すること、

救援に駆けつけたい気持ちをおさえ耐えること、

そして救援に向う時のために体力を蓄えることしかありません。

今、何ができるのか、被災地の状況がどう変わっていくのか

援助を受け入れる体勢があるのか、情報を集める毎日です。




けれど、まだ5日です。

明けない夜はありません。

現地入りができる日は必ずやってきます。

救援物資も徐々に届いてくるかと思います。

それを信じて頑張るしかありません。




石巻にご家族やご親戚ご友人がいらっしゃる皆さん。

石巻で電話が繋がるのは2か所だけです。

石巻に避難をしている方々は10万人。

それ以外に自宅にいらっしゃる方々も数万人おられると思います。

石巻では十数万人の方々が連絡手段を持っていません。

石巻以外の被災地でも同じ状況だと思います。

ご家族、ご親戚、ご友人といまだに連絡がとれずにいらっしゃる

胸中を思いますと本当に本当に胸が痛みます。

けれど希望を持ちましょう。

生きていると無事を信じましょう。

私も叔父叔母や従兄一家、友人たちの無事を信じています。

生きていれば力を合わせて立ち上がることができます。

それを信じて頑張りましょう。






この震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

そして、ご家族や友人や愛する方たちをなくしてしまわれた方々には

お掛けする言葉も見つからないでいます。

どうかお身体をお大切に。

どうか、どうか、生きてください。

一刻も早く平和な時間が戻ってくることを

心から願っています。






※しばらくブログはお休みをします。
たくさんのメールやコメントをいただいて、本当にはげまされておりました。
ご心配をお掛けしたことを、心よりお詫びを申し上げるとともに
お礼を申し上げます。
ごめんなさい。そして、ありがとうございます。






| Ishinomaki | 10:55 | TOP↑

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被災者の家族より心からお願いがあります。






被災者の家族よりランキング参加をしている方々へ

お願いがあります。

今回の大災害で被災者とその家族は何よりも

正確な情報を必要としています。

被災地では電気電話がマヒしておりますので

被災地からの情報の発信はありません。

被災地の外にいる家族に於いてはテレビの画一的な報道では

何も情報が得られず、ネットに頼っている現状です。

そのため、ブログ等のタイトルに『地震』の文字を見つけましたら

何らかの情報が得られる可能性がありますので

どうしてもアクセスをしてしまいます。

どんな些細な情報でも必要なほどに追いつめられております。

その再にランキングのバナーに添えられた



『←地震で怖い思いをした皆さんへ…応援の、ポチッお願いします。』



などの文言が目に入りますと非常にストレスになります。

被災者やその家族にとって

今の状況はどんな些細なことでも大変なストレスになります。

このような文言については非常に心が痛みます。

どうか、ランキングに参加をしていて

震災関連の記事をお書きになっていらっしゃる方々に於いては

ランキングバナーに添える文言の取り扱いに

十分なご配慮を心からお願い申し上げます。






| Ishinomaki | 13:50 | TOP↑

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