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泣きながら。







震災以降、悲しい夢を見る。

「悲しい」

目が覚めた瞬間に、夢の記憶がどこかに飛んで

悲しいという感情だけが心に残る。

あの日から、そんな朝を何回数えただろうか。




東京に住む姪はある朝、泣きながら目覚めたと言う。

涙が頬を伝っているのに、その理由が分からなかった。

「記憶が無くて良かったんじゃない?

 覚えていたら、もっと悲しいから。」

姪の夫が言った、姪への慰めの言葉を、

そのまま私への慰めの言葉にする。

「覚えていない方がいい。」

今朝も自分自身にそう言い聞かせ、

ベッドから下り、立ち上がった。

 



姪も私も津波を体験してはいない。

命からがら逃げ延びてはいないし

親も兄弟も家も失っていない。

あの日の『地獄』は見ていない。

だから、夢の中の悲しみは、

故郷の人々とは、比ぶべくもない悲しみのはずだ。

だからこそ、こうして毎日

震災のことを綴ることができるのだろう。

けれど、比ぶべくもない悲しみにだって

行き場の無い喪失感がある。

明日も生きていくために、喪失感と闘うために

私は私のやり方で、震災と向き合っている。






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写真は『小積浜』。

この浜も人影がなく、

遠くで自衛隊のヘリの音が聞こえるだけで

ひっそりと静まり返っていた。

バス停があった。

1日往復3本のバスが通っていた。




人の気配を感じられるものがあることが

本当にうれしい。









| Ishinomaki | 08:31 | TOP↑

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私は間違っていた。






三陸海岸の最南端に位置する牡鹿半島は

太平洋に向って南東に突き出していて

海岸はリアス式海岸になっている。

たくさんの入り江があり

たくさんの小さな集落がある。



5月6日に牡鹿半島に向った私には、小さな期待があった。

リアス式海岸の複雑な地形が、自然の防波堤の役割を果たして

どこかに無事な浜があるのではないか。

そんな小さな期待。

けれど期待は、見事に裏切られた。

県道2号線に沿った浜や、2号線から見下ろせる浜、

私の視界に入った石巻湾に面した浜の、

その全てが瓦礫で埋もれていた。




言葉には出さなかったけれど

どこかに、3月11日以前からの変わらない姿で

普通に暮らす人々がいることを期待して

私は、探していた。

あそこも

ここも

むこうにも

瓦礫のない浜や入り江など、ひとつもなかった。

これまで、イヤというほど

破壊された街を見てきたのに

心のどこかで、半島には破壊されていない集落があると思っていた。

それを確かめに行き

そして、自分の間違いに気付かされた。




私はまだ、現実を受け入れていなかったんだ。

言葉が出てこなかった。

姉も同じ想いだったのだろう。






姉は徐々に無口になっていった。








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写真は『荻浜』(オギノハマ)。

瓦礫はあるけれど、希望だってある。

荻浜中学校の避難所では80名の方が現在も暮らしていて

港には作業する人影が見えた。




写真を撮ってくるだけで何もできず

本当に無力な私だけれど、現実を受け入れて

そして信じよう。

この浜にもいつの日か普通の暮らしが戻ってくることを。









| Ishinomaki | 10:41 | TOP↑

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残ったのは5人だけ 住民移転で集落消滅の危機





『「元には戻らない…」 残ったのは5人だけ 

 住民移転で集落消滅の危機』

そんな見出しのニュースを読んだ。

波で全戸の家が流された牡鹿半島の大谷川浜。

住民約80人は全員無事だったが、

仮の解散式後には仙台市の親族宅やアパートに引っ越し、

残ったのは5人だけだった。「もう元には戻らない」。

三陸沿岸には、そんな消えかかっている集落がたくさんある。

住民らの避難場所となっているのは旧大原中学校の校舎だ。

旧大原中学校裏に並ぶ仮設住宅の石巻市大谷川浜からの応募は

10件に満たないという。


太字部分、産経ニュースより抜粋




石巻では他の自治体への人口の流出があるのは確かだ。

私の友人の妹も、子供の教育環境について悩んだ末に

新入学に合わせて仙台へ転居した。

このニュースの大谷川浜も、ホタテなどの養殖業を営む世帯はいるが、

大半は兼業の会社員ということで

買い物も市外のスーパーでしていたことから

住民の流出が続いたらしい。

本当に残念で仕方のないことかもしれないけれど

もし仮設住宅が、山間部の旧大原中学校裏ではなくて

大谷川浜に建てられていたら

もう少し多くの住民が戻ってきたのではないかしらと

考えてしまうのだ。

漁を生業としている方たちが、山の中で暮らすなんて

有り得ないなあと、素人ながらに思ってしまう。

先祖代々に渡って浜で生きて来た人々の暮らしを

少数ということで、切り捨ててしまうことのないように

住民の意思を尊重した国の支援を望めないのかなあと、

この様なニュースを見るにつけ、切なく深いため息が出てくる。






昨日の更新でアップした

5月6日に牡鹿半島の先端の町、鮎川に向う途中で

県道2号線沿いの最初の浜『桃の浦』の次に立ち寄ったのは

『月の浦』という小さな港と集落だ。



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『月の浦』は、慶長18年(1613年)に仙台藩主伊達政宗が

フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、

支倉常長を副使として、エスパーニャ帝国(スペイン)の

国王フェリペ3世、およびバチカンのローマ教皇パウルス5世のもとに

派遣した際に、乗船したサン・フアン・バウティスタ号が

出帆した港だ。





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県道からは、港を見下ろす展望台から

入り江に向う細い道を下らなければならないため

これまで私は訪れたことがなかった。





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この日も、県道から反れた浜には

申し訳ない気持ちがあったので、立ち寄る予定は無かったが

間違って入ってしまった道に、Uターンできる場所がなかったため、

港まで降りてしまった。





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初めて訪れた『月の浦』の

構えの大きくて立派な家が多いことに驚いたし

港の設備が立派なものだったと想像されることに

この浜が豊かな浜だったのだなあと感じた。





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おそらく、地元の漁師の方たちだと思う。

一生懸命、港の後片付けをしていらした。

『慶長遣欧使節』の歴史と誇りを守るために

自力再生に取り組んでおられるのかと思う。

(間違っていたらごめんなさい。)






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初めて訪れた『月の浦』の海は

静まり返って鏡の様に光っていた。

晴れた青空の日に、この海を見たいと思った。

青い空を鏡に映して、喜びにあふれた紺碧の海を

必ず見に来たいと心から思った。



この日、一度も車から降りようとしなかった姉が

この『月の浦』では、車から降りた。

岸壁から小出島と半島の入り江を眺めた姉が

車に戻ってひと言つぶやいた。




「ここが再生したら、私は必ず見に来る。
 
 きれいなところだから、見に来たい。」







| Ishinomaki | 10:51 | TOP↑

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突然の光景に息を呑む。





5月6日、女川から石巻市内に戻り

渡波から県道2号線を、万石橋を渡り鮎川へ向った。

道は万石浦の湖畔を通り、山の中へ続いて

しばらくは、カーブの多い山道になる。

アスファルトに多少の亀裂はあるものの、大きな損傷はなかったので

姉と私は、多少の不安はあったけれど

お喋りをしながら、車窓の外の木立に視線を泳がせていた。

数分間、車を走らせた後

ふと、眼下の視界が開けたと思った瞬間の

突然目に飛び込んできた光景に、思わず息を呑んだ。




一面の瓦礫の浜。




牡鹿半島・県道2号線沿いの最初の浜、『桃の浦』は

瓦礫と静けさに包まれていた。







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下の写真は在りし日の『桃の浦』。





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私が写真を撮った位置は、山に沿った道路の中央付近。

県道を挟んで、山側にも海側にも

家や畑があって、美しい港があった。




突然の光景に、姉も私も言葉を失って

なぜ向っているのか、意味も分からずに

それでも鮎川に向って、車を走らせた。









※『桃の浦』の航空写真は宮城県のHPからお借りしました。







| Ishinomaki | 10:45 | TOP↑

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女川と、県道2号経由で牡鹿半島鮎川まで行って来た。







GW中の5月6日に、ひと足早く埼玉に帰るヒトさんを

石巻駅前の、仙台行きの定期バス乗り場まで見送った後に

姉と二人で女川と、小さな浜の町をいくつか経由して

牡鹿半島の先端にある町、鮎川まで行って来た。



恐怖と、そして危険を承知で行った。

なぜそうまでして行かなければいけなかったのか、

理由はただひとつ、行きたかったからだ。

行って、自分の目で確かめてみたかったから。



女川と牡鹿半島や半島の先端の鮎川は

旧石巻市街地で育った私には、一番身近な『遠出』の場所だった。

子供の頃は親に連れられて、大きくなってからは友人たちと

ドライブや海水浴や釣りを楽しんだ。

高校卒業後に上京して以降も、石巻に帰郷した際に何度も訪れた。

幼かった私の二人の息子たちを連れて

二人の姉の、やはり幼かった子供たちと

夏浜でスイカ割をしたり、女川の運動公園のローラー滑り台で遊んだ。

谷川浜の民宿に泊まって採れたてのウニを食べた。

女川原発も見学に行ったし、鮎川のホエールランドにも行った。

鮎川から船に乗り金華山には幾度も行った。

サンファン公園の海の見えるレストランで

友人との会話に花を咲かせた。

一番最近では5年前に、ヒトさんと女川のマリンパルで魚を食べて

高速船に乗って金華山に行った。



石巻の市街地と同じように、女川や牡鹿半島のそこらかしこに

懐かしい記憶が残っている。

あの風景は、きらきら光る懐かしい想い出は

いったい今、どうなってしまったのか。

自分自身の目で確かめたい一心で車を走らせた。

もちろん、ご遺体の捜索や復旧作業の邪魔にならないようにと

自分に深く言い聞かせながら。







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写真は女川の中心部。

女川の街は、トラックが時々通り過ぎる他は

小さな重機が数台作業しているだけで、静かだった。

人間の数よりも海鳥たちの数の方が多い。

驚かされるのは、鉄筋の建物が土台から倒れていること。

しかも1棟だけじゃない。

道路が通れるようになっただけで、やはりこの街も

他の被災地同様に、3月11日から時間が止まったままに見えた。





昨日のNHKの国会中継を見て、また悲しくなった。


「なんで、あの人たちは叩き合いばっかりしてるかな?

 さっさと東大卒の頭のいいお役人に、復興計画の青写真を出させて

 みんなして検討しましょうってハナシになんないのかな?」

「国民全体がそう思ってるよ。
 
 いろんな団体や業界との思惑が絡んで、進めないんだろう?」

「だって、先が見えないと進めない。

 いつまでも『避難民』のまま、放っといていいわけがない。

 生活や仕事の基盤を作らないと。」

「直接被災地を見に行ったって

 あいつら(政治家)なんて、心が動かないんだよ。

 自分の保身しか考えてないんだから。

 だいいち、原発対応だけで頭がいっぱいなんだから。」




本当にため息がでる。

週末の休日の朝の会話が震災の話題から

『明日のお出かけ』のハナシに変わるのは、いつになることだろう。

私が休日のお出かけを、楽しむ気持ちになれるのは

未来の展望が見えてからかもしれないと思う。







| Ishinomaki | 10:45 | TOP↑

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