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私たちは、もっと怒らなければいけないのじゃないか。





昨日の更新でアップした写真について、このような質問をいただいた。

「写真は週末の写真ですか?
 
 それでしたら、まだ瓦礫とか全然手付かずな感じですね。」




写真は5月6日に牡鹿半島の小さな浜を順に巡り

最終目的地の『鮎川』で撮った写真だった。

説明不足だったなという気もしたが

基本、質問にあった通り

一昨日の被災地だって、まだまだ手付かずな感じだ。

依然として、破壊された建物は破壊されたまま

その場所にあても無く佇んでいる。



叔母の葬儀に石巻に帰った先週末に

「義援金は受け取った?」

と尋ねた。

ため息をつきながら姉は首を振った。

2ヶ月半前の、あの悲惨な光景を見て知って

多くの善意が寄せられた。

皆、他人事ではないと思ったはずだ。

なんとかして役に立ちたい、助けたいと集まった

記録的な金額の募金だ。

募金をした人々は、すぐにでも被災した方がたへ

届けたいと思ったはず。

なのに、届かない。

最大の問題は、義援金が必要な被災者の身元が

確認できないことだそうだが

確認出来たところから、順に配る柔軟な対応ができないものだろうか。

まったく、この国のお役所仕事には腹が立つ。




原発問題にしたってそうだ。

あれだけ多くの犠牲を出して

『安全』がまったくのデタラメだと証明され

ドイツに続いてスイスでも「脱原発」の宣言をしているというのに

事故を起こした当の日本の政府が、いまだ原発推進だなんて笑わせる。

大替エネルギーが無いという、『計画停電』という脅しに

私たちは屈してはいけないのじゃないか。

誰かの犠牲の上でしか成り立たない未熟な技術なんて

許しちゃいけないのじゃないか。

声を上げて怒らなければいけないのじゃないかと

ネット上を調べてみたら

都内で大規模の反原発デモが催されていた。



私は、まったく知らなかった。



テレビではNHKと日テレの一部でしか、報道されなかったらしい。

「またか」と思う。

震災の被害にしても、原発の被害にしても

過小に報道したり、報道規制をするメディアの責任は大きいと思う。

6月11日、震災から丁度3ヶ月後のこの日

各地で反原発デモが行なわれる予定だ。

私はこれも、恥ずかしながら知らなかった。

http://611kanagawa.org/

http://611sendai.tumblr.com/

http://hantenchi.blog102.fc2.com/blog-entry-27.html

http://www.kyudan.com/index.htm

http://nonukes-tsukuba.seesaa.net/category/10495866-1.html

http://blog.goo.ne.jp/chiba20110507

http://eejan.sblo.jp/

http://besobernow-yuima.blogspot.com/2011/05/blog-post_21.html

http://nonukes-ks.tumblr.com/

http://www16.ocn.ne.jp/~pacohama/no11/1105yamemai.html

http://plaza.rakuten.co.jp/nijinotenshi/diary/201105130001/

http://ameblo.jp/611gifu/

http://blogs.yahoo.co.jp/kumanote8621/9506660.html

http://kobenetwork.blog69.fc2.com/blog-entry-25.html

http://www.janjanblog.com/archives/39564

http://liveearthmatsuyama.blogspot.com/

http://d.hatena.ne.jp/riotgrrrl/

http://enepare.blog.fc2.com/

http://ww52.tiki.ne.jp/~soseisha/gempatsu/

神奈川で、仙台で、福岡で、大阪で、茨城で、千葉で

群馬で、郡山で、埼玉で、浜松で、山梨で、岐阜で、福井で

神戸で、愛知で、松山で、名古屋で、岡山で、福山で。

こんなにたくさんの街で。

私も時間を作り、参加したい。






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写真は5月6日に撮影した

牡鹿半島の先端の町『鮎川』。

高台から下りてきたのだろうか。

柴犬を連れて散歩する人の姿があった。






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この『七夕日記』では触れないが

私は震災以降、原発に関するニュースや書籍を多数読んだ。

原発問題は難しくて、私の硬い頭ではなかなか理解できないけれど

それでも、原発はいらないものだということは分かった。

人間や、ありとあらゆる生きものや

自然の犠牲が必要な施設ということも分かった。



今回の被害に関しても、過小に報告する学者がいるが

あれは、政府からなにか受け取っているとする見解に賛成だ。

福島県の子供たちのことを考えると胸が痛いし

一人の母親として

私の生んだ二人の息子の将来を想うと、不安で泣き出したくなる。

出来ることなら、この息子たちを国外に脱出させたいくらいだ。

大替エネルギーが無いとか、産業が停滞するとか

今まで原発関連の仕事に従事していた人たちの問題をどうするかとか

ああ、いちばんは、どこかの大国のご機嫌をそこねるとか

そんなことの前に

今度、重大な事故が起きてしまったら、日本という国そのものの

存続が危うくなってしまうのだから、

議論している場合ではないのじゃないか。

とっとと「脱原発」を宣言して、次世代のエネルギー政策への

転換を図ってほしい。




私は故郷の街で、震災の被害にあった

荒涼とした風景を見た。

まるで、戦地の焼け跡のような悲惨な光景だった。

けれど、どんなに悲惨な光景であっても、

人々の血のにじむような忍耐と努力で

何年からろうと、必ず復興を遂げ街は蘇る。

活気のある港や青々とした田や畑が戻ってくる。

そんな希望や未来がある。




原発の被害で、立ち入り禁止区域に指定された土地は

どうなるのだろう?

私が見た、津波の被害にあった荒涼とした風景のままで

決して蘇ることのないままで

放置され、廃墟となってしまうのだろうか?

あんな悲惨な風景を、この日本の国土に作ることを

許していいのだろうか?

また同じような事故が起ってしまったら

政府は他の土地にも、廃墟を作るつもりなのだろうか。

あんな希望も夢も未来も無い風景は、見たくない。

遠い国で起った出来事じゃない。

私たちはもっと危機感を持って

声を上げて怒らなければいけないのじゃないかな。




福島は『フクシマ』ではないのだから。





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| Ishinomaki | 10:16 | TOP↑

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文句言ってもいいよ。だってこれが現実だもの。






週末に叔母の葬儀に参列した。

参列者は8人。

たった8人だけの寂しい葬儀だったけれど

とてもいいお別れができたと思う。

母の葬儀以来、3年振りに石巻の斎場に行った。

斎場への途中の運動公園に

目を見張るような自衛隊の支援基地があり

入居を待つ、仮設住宅群があった。

仮設住宅の建設現場は、自衛隊のベースキャンプのすぐ傍で、

とても心強いだろうと思う反面

市街地から遠く離れ、

周囲にスーパーなどの商業施設もない場所なので

車を持たない住民の方は、さそ不便だろうにと思うと

胸が痛い。




石巻の斎場は、予想はしていたものの満員状態だった。

仮埋葬から本葬される方も多いのだろう。

次から次へと棺が運ばれてくる。

叔母の火葬炉の隣には、奇麗な女性の遺影が飾られていた。

命日は3月11日、享年33歳。



姪の家は墓を持っていないので、葬儀の後に、叔母のお骨は

叔父(姪の父親)のお骨が納められている寺に納められた。

納骨堂には、たくさんの2011年3月11日が命日のお骨が並んでいた。

その中には6歳の男の子のお骨もあった。

6歳。

無念だっただろう。

何が起こったのか、分けもわからないまま

たまたまあの日にその場所にいたために、こんな理不尽なめに

遭わなければいけなかったなんて。




心の中で手を合わせ、私は寺を後にした。







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写真は牡鹿半島の先端にある町『鮎川』。

捕鯨で栄えた町だ。

私の幼い頃は『肉』と言えば『鯨肉』だった。

私や姉は、安価で美味しい鯨の肉で育ったと言っても過言ではない。

この町には父とよく来た。

朝も空けやらないうちに家を出て、暗い夜道を車で走って

明け方に岸壁から釣り糸を垂らす。

ボウズの時が多かったけれど、楽しかった。




商業地は壊滅状態だけれど

高台に住宅がたくさん残っていた。

仮設住宅も建つらしい。

だから、何年かかっても、この町だって必ず復活する。

そう、信じる。






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昨日、埼玉の自宅までの帰路、

石巻から仙台まではミヤコーバスに乗った。

石巻駅を出たバスは、すぐに渋滞に巻き込まれて

石巻の市街地を抜けるまで、小一時間かかった。

バスの最後列に座った私の隣には、若いカップル。

彼女の方は、震災後に初めてお目にかかるような

奇麗に着飾ってハイヒールを履いた、美人さんだ。


「ねえ、バスのほかに何か仙台まで行く方法はないの?

 車で、脇道を通るとかさあ。

 新幹線に乗るまで、ずっとバスなの?

 電車はないの?」

「うるさいな。ないんだよ。

 文句を言うなら、付いてこなきゃよかっただろう!」


彼氏は怒って眠ってしまい

きれいなお嬢さんは、ポーチを取り出して

お化粧を始めた。

「あらあら。」

50歳を過ぎたおばさん(私のこと)はこのやり取りを

ニヤニヤしながら聞かせていただいた。


お嬢さん、ごめんね。

これが被災地の現実なの。

唯一の電車は復旧の目処さえ立っていないの。

でもね、おばさんは嬉しかった。

どんな理由でもね

例えばあなたが、彼氏と片時も離れたくないという理由でも

あなたが石巻に来てくれた事実が

本当に嬉しかったの。

心からお礼を言うね。

「石巻に来てくれて、ありがとう。」












| Ishinomaki | 09:58 | TOP↑

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大切なひと








この文章は27日の午後7時に書いています。




叔母の葬儀に参列するため

今夜の夜行バスに揺られて、石巻に帰ります。

今夜の帰郷で、震災後に石巻に帰るのは4回目になります。

震災後に初めて帰った3月26日は、

新宿から9台のバスが連なっての大移動でした。

今夜はきっと1台きりかもしれません。

なんだか、2ヶ月前のことなのに

遠い昔のような感じがします。




今朝、去年亡くなった大切な友だちのお母様から

数ヶ月振りで電話をいただきました。

お母様は、震災の被害も無くご無事だったとのこと。

懐かしいお話の後に

大切な友だちのお骨が納められているお寺の名前を

教えていただきました。

津波の被害から逃れたそのお寺は、石巻の隣町にありました。

なんだか、大切な友だちとの距離が

少しだけ、縮まったような気がします。

今回の帰郷は、慌ただしい日帰りなので無理ですが

次に帰る時は、故人の好きだったかすみ草の花を抱えて

お参りをしてこようと思っています。






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写真は『十八成浜』(くぐなりはま)。

私が訪れた5月6日の3日前に

復興祈願祭が催されていました。

お神輿と太鼓が奇跡的に津波の被害を免れたそうです。

地元のテレビが賑やかなお祭りの様子を放映していました。

私が訪れた6日には、他の浜と同様に静まり返っていましたが

お祭りには100人ほどの参加者がいたそうですから

必ずこの浜も復興することと思います。

この浜で亡くなられた4人の方、1人の行方不明の方の

ご冥福をお祈りいたします。





これから、予約投稿のボタンを押して

石巻に帰る支度をします。

新宿発23時30分のバスです。

2ヶ月前に帰った時には石巻には雪が降っていました。

明日は晴れていればいいなあと思っています。







| Ishinomaki | 07:00 | TOP↑

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優しさの中の残酷? それとも残酷の中の優しさ?






3月11日の震災からわずか3日後に

グーグルアースが、被災後の石巻の衛星写真をアップした。

実家の家族の消息がつかめず、生きた心地がしなかった私にとって

それは藁をもつかむ情報だった。

真っ先に写真の中から実家を探し、実家の屋根を見つけた時に

私は、少なくとも姉だけは生きていると確信した。

姉は5匹の犬を大層可愛がっているので

地震が起きたら、真っ先に仕事先から家に戻って

犬たちの安否を確認するはずだから

家が流されていない限りは、他の家族はともかく

姉だけは生きていてくれるだろうと思った。

震災後の変わり果てた石巻の街の残酷な衛星写真ではあったが

私には、姉が生きている確信を与えてくれた優しい配慮だった。






私は生来の無精者で大ざっぱな性格なので

メモをとる習慣がない。

写真を撮るときも、その性格は如何ともしがたく

メモはとらない。

後に写真を整理する時は、記憶だけが頼りなのだけれど

この震災の記録は、あやふやな記憶だけを頼りに

作ってはいけないと思っているので

グーグルアースと、写した写真を見比べて

場所の特定をしている。

グーグルの被災後の衛星写真だけでは、特定が心もとない時には

ストリートビューの写真も表示して見比べるのだけれど

ストリートビューの写真は震災前の写真であるから

これを見るのが本当に辛い。

津波に破壊され跡形もなく、地面だけになった場所に

たくさんの家が存在していた事実を、知らせる写真を見ると

胸がドキドキ苦しくなって

5分と見ていられずに、画面を閉じてしまう。

私の目には、震災後の衛星写真と

震災前のストリートビューの写真の見事な違いが

とても残酷なものに映るのだけれど

その場所に住んでいた人たちや、その場所を故郷に持つ人たちの目には

懐かしく優しい風景の、ストリートビューの写真は

とても優しいものに映るかと思う。




これだけの大災害では、被災に遭った者とそうでない者

家族や家を失った者と、そうでない者に、

どうしようもない隔たりができてしまう。

被災地に故郷を持つ者と、そうでない者にも隔たりがある。

極端に言ってしまえば、生きている者と死者のあいだにだってある。

どちらが悪い、どちらが良いということではなく

隔たりがあることが、現実だ。

お互いにとって、現実は受け入れがたいことなのかもしれないけれど

隔たりがあることを、そのものとして受け入れなければ

いけないのかもしれない。






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写真は『大原浜』。

大原浜のストリートビューも私には苦しくて、

浜の確認終了後にすぐに画面を閉じてしまったけれど

大原浜を故郷に持つ人にとっては

懐かしい在りし日の大原浜を目にできる

とても優しい写真なのだと思う。







| Ishinomaki | 10:20 | TOP↑

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訃報を受けて






震災前から入院していた

叔母(父の妹)が昨日死んだ。

葬儀は土曜日。

懇意にしている葬儀場が被災しているため

斎場の台所に幕を張り

簡素に身内だけで見送るらしい。

姉の話では、参列者は4人。

姉と、もう一人の叔母夫婦と従妹(死んだ叔母の娘)だけ。

義兄や甥は土曜日も出勤だ。

「お悔やみをどうする?」

姉の電話を受けて、昨夜から迷っている。

仕事が溜まっていて身動きがとれないけれど

4人だけではさみしいなあと思う。

なんとか1日だけ時間を作って、日帰りでと考えてみるものの

仙台までは新幹線が動いているが、その先の仙石線が

不通のままだ。

日帰りでは車で向うのは体力的に厳しい。

夜行バスに揺られて向うしかないかなと思ってはいるけれど

あの混沌とした石巻へ、また帰ることが心に重くのしかかる。




私は3月27日、震災から16日後の石巻の

壊滅状態になった南浜町の路上に立って、街を見ていた時に

ふと、数年前に死んだ両親のことを思った。

父も母も、この震災が起きる前に死んでいて良かったと思った。

千年に一度と言われる大津波が

なぜ、今でなくてはいけなかったのか

なぜ、それが東北地方を襲ったのか

なぜ、石巻に押し寄せなければいけなかったのか

なぜ、大勢の人が死ななければいけなかったのか

なぜ、たくさんの家が跡形も無く流されてしまうのか。

こんな理不尽なことを、知らないで、見ないで

父も母も逝っていて良かったと思った。

昨日死んだ叔母は、入院前から惚けていた。

だから多分、震災のことを知らずに逝ったのではないか。

出来るなら、平和な記憶を抱えたままでいてほしい。

なぜ? なぜ? と問いかけても

答えのでない理不尽さを味わうのは、

今、生きている

偶然にもこの時代に居合わせてしまった

人間だけでいい。






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写真は『小倉網浜』。

ほぼ壊滅状態ではあったけれど

この浜は、5月6日に訪れた浜の中で、

一番作業している人が多かった。

だから、必ず復興する。






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偶然にも、この時代に居合わせて

千年に一度の大津波という、理不尽なことを乗り越えた子供たちが

この災害を未来に語り繋いでくれるかと思う。

死んでいった者の悲しみや憤りや、

家を失った親たちの絶望を引き継いで

この大災害を経験した子供たちは

強くたくましく、生きていくことと思う。






| Ishinomaki | 09:36 | TOP↑

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