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どんなヘビィな立ち話だって驚かない。





震災後の石巻での、ご無沙汰の挨拶は

「良かった~、生きてたんだ~。」

から始まる。

お互いの無事を喜んで、

そしてお互いに、あの日の辛い体験を語り合う。

埼玉に住む私も、震度5強の揺れを経験した。

本棚の本が落ちてきて、「死ぬかもしれない。」

と本気で思ったし

ヒトさんは帰宅難民になって、一晩帰って来なかった。

余震が続くので、パグズのリードを握りっぱなしで

テレビの前で毛布に包まっていた。

石巻と電話が繋がらなくて

「これでもか!」と言うように流れるテレビのニュース映像に

姉と姉の家族が心配で心配で、眠れない一夜を過ごした。




ヒトさんはヒトさんで、新宿のビルの谷間で死ぬ思いをしていたし

姉や、姪や、甥や、義兄や、友人たちや、友人たちの家族や

従妹や、叔父叔母や、実家のご近所さんたち

10人いれば10人の体験がある。

だから、たくさんの『あの日の話』を聞いた。






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5月5日のこどもの日の朝に

パグズを連れてヒトさんと朝の散歩に出かけた。

実家からは国道398号を挟んで、海よりの大街道南地区を歩いた。





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実家から徒歩7~8分の、この辺りの浸水の高さは

実家付近とは、さほど変わらない様子だったけれど

実家よりも海に幾分近いためか

押し寄せた瓦礫の量が違う。





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貨物線の線路が津波の通り道になったとみえ

瓦礫が山のように積み重なっていた。





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瓦礫が多いということは

波の強さが、実家付近より強かったということだからか

浸水の高さがほとんど変わらなくても

実家付近よりも、被害は深刻そうに見え、

ライフラインの復旧も遅かったのか

ほとんどの家の片付けが終わった、実家付近に比べて

まだまだ終わっていない家が、多いようにも見えた。






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一軒のお宅から、年配の女性が出てきた。

「可愛いねえ。」

パグズを見て目を細めてくれたので、地元民を装って立ち話。

「お家の中は片付きました?」

「まだまだよ。

 最初は避難所にいて、それから息子の家に来たんだけどね。

 今は、2階で暮らしているの。」



問わず語りに、出島から石巻の避難所に避難したという女性は

行方不明のご主人のことを話し出した。

大変な経験をされたのだ、話しかけてはいけなかったかと

内心思わないでもなかったけれど

覚悟を決めてそのまま女性の話を聞いた。






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「私は学校の体育館に逃げて助かったけど

 じいちゃん(ご主人のこと)は、家にいてね流されたの。

 この前、遺体が上がってね。

 着ている物から、うちのじいちゃんだって主張したんだけどね

 他にもうちのおじいさんだって言う人がいて

 DNA鑑定を待ってるの。

 鑑定ねえ、混んでいて2ヶ月も待たされるんだって。

 絶対にうちのじいちゃんなんだけどねえ。」





石巻に限らず、被災地ではこんな話は日常茶飯事だ。

DNA鑑定が、亡くした大切な人に

必要になってしまう出来事が起るなんて、だれが想像しただろう?

辛い経験は、できるだけ他人に話した方がいい。

自分の胸に閉じ込めておかないで

誰かに聞いてもらうことで、少しでも悲しみが薄れるなら

静かに耳を傾けたいと思う。

それも、私が出来るささやかな事の、ひとつだと思う。







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