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私に何ができるのだろう?








ブログ『パグ犬・円(マル)のいちにち』の管理人のタエマルさんから

消しゴムはんこが届いた。





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このはんこはタエマルさんが

何かワンコに貢献できる事はないかと常々思っていて

ただの募金ではなく、お金を生み出し、

しかも何かを還元できるようなことができないかと

消しゴムはんこ販売という形で、売上金の一部を貯めて

『ふがれす』さんに募金しようと考えて制作したもの。

私は、タエマルさんの主旨に賛同させていただいて購入した。

購入したのは『おねだりパグ』と『重要パグ』の2点。






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可愛らしいパグのイラストは

もちろんタエマルさんのオリジナル。

持ち手の部分もタエマルさんが木材を選び

必死で紙ヤスリで磨いたらしく

とってもなめらかで温かみのある出来映えになっている。

さっそく押してみたけれど

はんこの押し方を練習(?)しなくちゃね。

それから、きれいな色のインクも買ってこなければ。








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このはんこは、タエマルさんがオマケに付けてくれたもの。

『七夕日記』にちなんで、七夕のイメージで彫られた素敵なデザイン。

これはますます、ブルーのインクを買ってこなくちゃね。






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はんこには手書き感たっぷりの、お手紙も添えられていた。




社会貢献は、募金という形がもっとも簡単に出来ることだけれど

労働力を提供していないことが、いつも心に重くのしかかる。

こうした形で『ちから』を発揮できることって

素敵だなと素直に感じたので、

何か私にできることはないかと考えてみた。

わんこやにゃんこの似顔絵を描いて販売するってどうだろう?

…と考えて、あまり現実的ではないなあと悶々とする。





震災以来、『何も出来ない私』に対して悶々とする日々が続いた。

ボランティアに現地に向おうと思っては

時間がない、仕事が詰まっていると自分自身に対して

言い訳をしていた。

ええい!

もう、言い訳をするのはヤメだ。

時間は無いのじゃなくて、作らないだけ。

長期のボランティアは仕事を抱えていて無理なのだから、

1日だって2日だっていいじゃないか。

それが私に出来ることで、やりたいことなのだったら

言い訳などしていないで、実行するべきなのじゃないかと考えて

とりあえず今週末に、とあるボランティア団体と

行動を共にすることに決めた。

いわゆる夜行の『ボラバス』に乗っての

週末の2日間だけの、泥出しと炊き出しのボランテア。

ほんとうにささやかな貢献だけど

何も出来ないと、毎日悶々としているよりはいいはずだから。




『ボラバス』の行き先は、石巻。

たった2日間だけでも

必要としてくれる人がいるよね、きっと。

老体にむち打って汗を流してこよう。









※タエマルさんははんこ専用のブログを立ち上げました。
 ブログ『maru*のんのん』はこちらから。





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初めての『デモ』体験(ヒトさんとのケンカのおまけ付き)







『デモ』に参加してきました。

生涯初の経験です。

『脱原発デモ』です。

『デモ』と聞いてっとドン引きしちゃった人は

ここから先は読まなくていいでーす。






2週間前のこと。

ヒトさんと、ケンカした。

原因は、6月11日の全国一斉『脱原発』デモに

一緒に行こうと誘ったら、あっさり断られたこと。



「デモはイデオロギーに関わる問題だから行かない」



始まったよ、この男。

なんだって小難しいかな。

今回の『脱原発』デモは、イデオロギーや

政治的なこととは関係なく、個人の私利私欲とも関係がなく、

原発が実は安全じゃなくて、

危険この上ないシロモノだってことが分かって

大勢の被爆者が出てしまったこと

健康や生活を奪われてしまったこと、故郷を奪われてしまったこと

それが他人事だとは思えないから、

そして、自分自身や子供たちの未来を守るために

単純に「原発を無くして欲しい」って気持だけで

参加していいんじゃないのかな。

選挙でどこぞの2大政党のどちらかに投票したって

原発推進としての国策は変わらないとしたら

一市民の出来ることって、デモに参加して叫ぶことくらいなんじゃない。

どうせ何も変わらないなんて思わないで

一人でも多くの人間が意思表示をすることって、必要なんじゃないかな。

私は、あんな荒涼としたフクシマのような土地が

日本のあちこちに生まれるのはイヤだ。

たくさんの人が健康や生活を奪われて悲しんでいる姿を見るのはイヤだよ。





「物事、単純に考えてよ。」





散々説得したものの、ヒトさんは首を縦に振らず

だったら、毎週毎週、週刊現代を買って来るな!とか

注)週刊現代は原発が危険と不安を煽るような記事満載です。

家に帰ってくるなり「今日の原発はどうした?」って

私に聞くなよ!とか

てめえ(←下品ですみません)面白がってるだけかよ!とか

イライラして、蹴飛ばしたくなったけれど

ま、人それぞれ違うわけだし、私は私の想いで行動しようと

2日間、口をまともに利かないだけで、ヒトさんには期待することを止め

私ひとりで、一昨日の『脱原発』デモに参加をしてきた。






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で、私が選んだ会場は地元埼玉県の

さいたま市上落合公園。

デモ初心者の私には、大規模なものや過激なものは

無理だって思ったし

なんたって、デモに参加しようって思ってるくせに

人混みは苦手だから。

私の想いは、政治思想とかそんな大それたものじゃなく

人の犠牲の上でしか成り立たない未熟な技術は

一旦止めて他の方法を考えて下さいっていう

言わば「反原発」じゃなくて「脱原発」。

だから、恐い活動家がいたり、

反政府主義者が主催するものは避けたかったし

普通の一般市民が静かに参加出来る場所で

そして、やはり地元で声を上げようと思ったので

この場所を選んだ。





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思った通り、会場は穏やかなムード。

ここでの主張は主に次の4点。

・原発作業員を被ばくから守れ

・子供を被ばくさせるな

・すべての原発の即時廃止

・埼玉県の放射線量を測定と公表せよ





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主催者の挨拶の後に

参加者それぞれの想いを語り合う

1分間のリレートークがあった。





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福島が故郷のひと

福島で娘さんが働いているひと

子供や孫の未来を案じるおばあちゃん

福島の避難所に焼きたてのパンを届けたパン職人

それぞれがそれぞれの想いを

スピーチで語り繋ぐ。



ほとんどの参加者が、こうした集会は初参加ということ。

今回だけは、黙っていられないという方ばかりだった。






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穏やかと言ってもデモはデモ。

警備の物々しさに正直驚いた。




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立ち木の奥に見える

機動隊の装甲車は2台。





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公園のあちらこちらに警察官の姿が。






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こちらはテレビ埼玉の取材クルーの方。





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パン職人さんからのパンの差し入れがあったり

会場は始終穏やかなムード。







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デモ行進スタート。

驚いたのはパトカー先導だってこと。

数人の警察官がパトカーの後に続いて

その後ろをデモ隊が続く。

これは、交通整理をするためだってこと

歩いてみて納得。




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マイクを持ったお姉さんの掛け声の後に

声を合わせて

「東電社員のリストラ反対!」

「子供の未来を守れ!」

「ふるさと返せ!」

「原発いらない!」

「声をあげよう!」

「デモに参加しよう!」

と叫びながら歩く。





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この日、集会に集まったのは約130人。

デモ行進が始まってからの飛び入り参加者も加わったので

デモ参加者は総勢200人を越えた。




私にとって、初めてのデモだったけれど

集まったのは『初めて』の人が圧倒的に多かった。

そして一人参加の方が驚く程多かった。

普通のおじさん、普通のおばさん、普通のお兄さん、お姉さん

普通のお母さんとお父さんと、普通のこども。

みんなそれぞれの想いを抱えて

黙っていられなくて、貴重な週末の休日を裂いて参加しいてた。

だから、最初の不安はすぐに吹飛んだ。





6月11日14時46分。

地震発生の時間に参加者全員で1分間の黙祷をした。

涙を必死で堪えた。




あの震災がきっかけになって

真剣に未来を考えることが出来たらいいな。

遠い国に起ったことじゃないから。

自分の国に起きたことだから。

1時間程度歩くと運動にもなるし

大声で叫んだから、すっきりしたよ。










| Unclassification | 10:33 | TOP↑

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このブログの今後について。





このブログは、私が初めて自分の意志で飼った

パグの女のこポップと

ポップが産んだ2頭の仔、ラムネとマリネとの

我が家のありふれた日常を綴ったものでした。

震災の当日の朝までは、その日常を

私は、平和でぽわんとした雰囲気で綴っていました。

それが変わってしまったのは、あの震災が起ってしまったからです。

3月11日に震災が発生して

震源が東北だったことを知り、

私はすぐに石巻の姉に電話をいれたのですが

時すでに遅く、電話が繋がりませんでした。

次々に入ってくる震災の被害のニュース映像で

石巻でも、ただならない事態が起っていると感じ

眠れない夜を過ごしました。

翌日になってからは、なんとか姉や義兄や甥、姪と連絡がとれないかと

必死で電話を掛け続けたり、電話会社やNHKの安否確認や

グーグルのパーソナルファインダーにアクセスしましたが

石巻全域で電気の供給が止まり、電話も不通の状況では

こういった電話やネット上での安否確認のサイトなど

何の役にも立ちませんでした。

だいいち、テレビも見られない姉たちは

自分たちの身の上に何が起こったのか、分かっていなかったし

遠くに居る私や姪(姉の娘)に連絡を入れる

余裕も手段も持っていませんでした。

どんな情報でもいいから、とにかく生きているという確信が欲しかった私は

藁にもすがる思いで、このブログで情報提供を呼びかけました。

このブログは開設当初に、ブログ村『パグ』に参加をしていた関係で

読んで下さっている方の大半は『パグ』を飼っている方がたです。

震災の情報提供をお願いする内容のエントリの新着情報を

『パグ』に流すことは、村の参加カテゴリ違反になることは

承知の上でしたが、通報も覚悟の上で

読んで下さっている方がいちばん多い、『パグ』に新着情報を流したのです。

それが、震災関連のことを綴り始めるきっかけになりました。

震災発生当初は、情報提供を求めるだけのつもりでしたが

その後、姉一家の安否確認がとれて、連絡を取り合えるようになり

震災発生2週間後に石巻に帰り、その惨状を目にして

情報提供を求めるだけという気持ちが、変わってしまいました。

正直に言うと、私は石巻に帰る以前には

震災発生から2週間も経っているのだから

テレビで見る悲惨な津波の爪痕は片付けられていて、

私はもしかして、凄惨な被害状況は目にすることもないだろうと

思っていました。

けれど、石巻市内や実家の状況を実際に見て

その考えが甘かったと、頭を殴られたような気がしました。

「テレビで見たものとは、まったく違う。

 これは知らせなくちゃいけない。」

このブログでは書くつもりもなかった震災の状況を

書かなくてはいけないという気持ちに、変わってしまったんです。

それでも、震災のことを書き始めた当初は

3月27日に撮った全ての写真のアップ終了後に

平和なぽよんとした『日常』のブログに戻すつもりだったのですが

震災発生後1ヶ月目の4月11日に石巻に帰って

実家から徒歩10分程の『築山』という地区を一人で歩いてきて

また気持ちが変わりました。

築山に行ってみたのは、築山に住んでいて、津波の被害に遭われた方から

いただいたメールがきっかけだったのですが

テレビ報道では一度も見ていない、

しかも実家の目の前にある町の惨状に、言葉を失いました。

やはり私は、自分がのんきに構えていて、甘かったのだと知らされました。

この時も私は、震災発生から1ヶ月も経過しているのだから

被害に遭った街は、だいぶ片付いたはずだと思っていたのです。

築山では、目的としていた建物があったので

道を尋ね歩いていましたが

尋ねた人たちから

「ごくろうさま」と労われたり

「生きて帰ってください」と本気で心配していただいたりしました。

「生きて帰ってください」との言葉が

けっして大げさな言葉ではなかったのです。

家は大きく崩れて、瓦礫が道を塞いでいて

泥だらけでした。

これは、やはり誰にでもいいから、少しでもいいから

知らせたい、書かなくてはいけないという気持ちになり

私は日常を綴った『パグ』のブログに

このブログを戻すことができませんでした。

GWに帰省した際には、「もう片付いただろう」という

甘い期待はすでに残っていませんでしたが

それでも、野蒜や大曲や女川や牡鹿半島を見て

呆然として立ちすくみ、やはり言葉を失いました。





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このブログで綴っていた内容は、明るく前向きな内容よりも

悲惨な状況を伝える内容が多いと思います。

私は石巻が故郷であっても

実際には石巻に住んでいないし

身内や友人以外の、被害に遭われた方とお話はしていないので

被災してしまった方たち総意は分かりませんし

身内や友人たちの本当の気持ちは分かりません。




上の写真は、私の友人の妹の子供が通っていた小学校です。

この写真はGWに撮ったので、避難所として使われながら

学校の授業も始まっていたことが分かります。

校庭はこのような状況ですし

校舎の一部は、避難している方々が暮らしているので

使えません。

この時点で授業は平常通りではなく、

短縮授業になったりすると聞きました。

友人の妹は、家を失って身軽だったこともあり

落ち着いた環境で子供を学ばせたいと

仙台に転居を決め、仙台の学校に子供を通わせています。






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この写真は東松島市の大曲地区で撮りました。

ピアノの持ち主は生きているといいなあと思っていたら

このお宅のご主人と思われる方が、

二人のお子さんと一緒に車から降り

家に残った5月人形を大切そうに抱えて帰りました。

3人とも明るい笑顔でした。





被害に遭われた方は、私の実家の家族も含め

前向きに『頑張って』いるのだと思います。

でもそれは、頑張りたいから頑張っているのではなくて

頑張らなくてはいけないから頑張っているのであって

前向きに頑張らざるを得ないからなのだと思います。

私が数少ないけれど、身内や友人との会話で感じるのは

『頑張って!』との型通りな言葉が欲しいのではなく

とにかくこの悲惨な状況を知って欲しいという強い想いでした。

たくさんの募金が寄せられたこと

たくさんの支援物資がよせられたこと

たくさんのボランティアさんが来てくださったこと

本当に感謝していて、人のありがたさ、温かさを感じているけれど

それでもなお、この悲惨な状況を知って

どこか他人事ではなく、どこか上から目線ではなく

同じ場所に立って、この苦しみを分かって欲しいという

強い想いでした。




私は本当にささやかなことしかできないけれど

こうして毎日、震災のことを綴って

ほんの少しの人だけにでもいいから、悲惨な現実や苦しみを伝えられたら

この状況の中で、必死で生きている方たちのこと

亡くなられた方たちの悲しみを伝えられたら

それが、被災地にいる姉や友人たちの想いを汲むことなのじゃないかなと

そう思って綴ってきました。




GWに撮ってきた写真のアップがほとんど終わった今でも

その気持ちに変わりはありません。

このブログは、震災の復旧復興に一定の目処がつくまで

(どこかの国の総理大臣みたいで、偉そうでごめんなさい。)

3頭のパグとの日常を綴ったものに戻すつもりはありません。

まだまだ震災のことを書いていきたいと思っています。

次回に石巻に帰るのは8月の『川開き』祭りの時と決めています。

それまでは、折りに振れブログを更新していきたいとは思っていますが

一旦、今日でお休みにしたいと思っています。




いままで場違いな『パグ』のカテゴリに新着情報を流して

申し訳ございませんでした。

場違いであったにも関わらず

読んで下さって本当にありがとうございます。

心から感謝しています。

メインの『石巻』カテから読んで下さった方の中には

「え? ちがうよ。」と思われた方もおられるかと思いますが

私の気持ちを汲んで、そっと読んで下さって

本当にありがとうございます。




ポップとラムネとマリネとヒトさんと私との日常は

これからしばらくの間は

サブブログの方で、気侭に綴っていきたいと思っています。

サブブログはブログ村に登録・参加予定はまったくありませんが

サブブログをご存じの方は

よろしかったら遊びに来てください。

『パグ』中心のブログではないので、私の愚痴もたっぷり書いてあります。

覚悟して遊びに来てくださいね。

ではでは。





| Ishinomaki | 11:55 | TOP↑

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日常が非日常という現実







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この写真は、石巻の総合運動公園に設営された

自衛隊の巨大支援基地。





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コンデジで撮ったので

迫力が伝えられなくて残念だけれど

車両と宿営テントの数には圧倒された。





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市民の頼りの『自衛隊さん』は

ここを拠点として支援活動をして下さっている。





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震災発生からすぐの2週間は

この場所から4キロ程離れた『食糧難』の実家でも

避難所になっていた近くの学校の校庭に

毎日、自衛隊のヘリコプターが配給の食料を載せて

降りてくれていたので、とても助かった。







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5月の初旬までは、近所のスーパーの駐車場に

給水車も来てくれていた。





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そして現在も支援・救援活動は続けられている。

本当にありがたいことだ。





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被災地石巻の日常は、『非日常』だ。

自分の住まいのすぐ裏手にある学校の校庭に

自衛隊のヘリが降り立つなんて

日常ではありえない。





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ご遺体の捜索のための棒を持った

迷彩服を着た自衛隊さんと、すれ違うなんて

日常ではありえないのだ。





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家の片付けが一応済んだ実家だとて

床は畳の入らないまま、

家の中でサンダルを履いて暮らしている。

仕事が始まった甥の会社では

再開直後の片付けの時に、ご遺体が3体も発見されたし

震災から3ヶ月経った今も

甥の仕事の中身は、関連会社の建物の泥出しだ。

そして悲しいことに、今でもご遺体が発見される。

姉も仕事が始まっているが

営業の仕事をしている姉の仕事の中心は

顧客の安否確認だ。

電話連絡がとれないため、お客様の自宅へ車を走らせるが

そこには家がなく、お客様ご本人は

避難所か親戚の家にいる。

お客様が見つかれば、まだいい方で

道が崩れ水没して、住所のある町までたどり着けない時もある。

不幸にして亡くなられたお客様もいる。


「悲惨な光景を見ながらの仕事は疲れる。」


姉の顔色はすぐれない。

けれど、姉は自分で動ける車があるからまだいいのだ。

姉の会社の社員は20人。

そのうち津波で車が流されず無事だったのが3人。

震災後に車を入手できたのが、姉を含め5人。

営業が中心の会社だっていうのに

他の12人は、車がないというありさまだ。

日和山の高台の一見平和な街からは

すぐ下に壊滅した地区が見えるし

石巻の街の真ん中には

火葬もせずに土に埋められた方がたの

木でできた急ごしらえの墓標があり

添えられた花が悲しく揺れている場所がある。

どんなに日常を取り戻そうともがいてみても

『非日常』が日常だという現実からは、まだまだ抜け出せない。







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写真は『JR石巻駅』駅前のロータリー。

車社会になって以降、

商業施設が中里、さらに蛇田地区に移ってからは

街の中心部は人通りが少なくなってはいたが

それでも駅前だけは、人通りがあった。

この日は、電車が運休したままなので

日曜日の昼間だというのに、人の姿がまったくなかった。





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わずかに仙台行きのパス乗り場に

並んだ人がいるだけだった。





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写真は驚異的なスピードで復旧した

新幹線の『JR仙台駅』。

前回この仙台駅を利用したのは

震災前の今年の1月に、父の七回忌で帰郷した時だった。

その時は、『日常』は日常のままだった。

『日常』が『非日常』になってしまうなんて

考えもしなかった。






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驚異的な早さで復旧した仙台駅だけれど

地震で落ちた天井は、まだ張られてはいなくて

鉄骨や梁が剥き出しのままだ。





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この駅から新幹線に乗って、私は大宮で降りた。

『非日常』から『日常』へと、私は帰った。

天井がまだ張られていない新幹線の駅のホームは

『非日常』と『日常』が混在している。

ここから『日常』へ帰る人と

『非日常』へ向う人とが交差する。

それはあと何年続くのだろう?

私はあと何度、この交差する場所を通過するのだろうか。










| Ishinomaki | 12:15 | TOP↑

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呆れて疲れて、何も考えたくなくなる。








内閣不信任案否決のニュース関連で

昨日と今朝と、石巻漁港の映像を見た。

漁港は水産関係者以外は、立ち入ってはいけないような気がして

私は震災後の4度の帰郷の際には行っていない。

テレビの映像を見て愕然とした。

ニュース映像で見る、他のどこの漁港よりも

深刻な被害を受けているように見えた。

あまりの惨状に言葉を失った。

石巻の船は、他の一部再開した漁港に回っていると聞く。

気仙沼や塩釜港の復興のニュースは目にしたけれど

石巻の港がこんなだったとは…。

「総理が視察に来た2ヶ月前から、何も変わってないね。」

インタビューに答える男性の声が、虚しかった。

震災発生後、震災・原発関連のニュースを

食い入る様に見ていた私だけれど、さすがに

目を閉じて耳を塞ぎたくなってきた。

呆れて疲れて、何も考えたくなくなってしまうよね、こんなじゃ。






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写真は石巻の実家の庭。

5月29日の朝に撮った。






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津波の水に浸かって、しばらくは

緑の葉をつけていた庭木が枯れてきた。






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海水の塩分以外にも様々な化学物質が溶けた水が

庭に染み込んでしまったのだろう。





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わずかに地面に残った緑も

時間の問題だね。





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「枯れちゃったね。」

「うん。

 でもほら、紫陽花が葉っぱを出してるから。」




本当だ。

紫陽花の葉が出ていた。






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青い木も残っているし

何よりも、楽天的な姉の庭だから

心配はいらないかもしれない。






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「手入れが面倒だったら

 クリスマスローズでも植えれば?

 あれは放っといても増えるよ。」

「本当?」

「うん。花、下向いて咲いて、地味だけどね。」


適当なことを言って、実家を後にした。




『呆れて疲れて、何も考えたくない』のは、

きっと私なんかじゃない。

被災地で必死で闘っているひとたちだ。

私は、今までと何も変わらない場所にいて

何もかわらない日常を送っているのだから

目を反らしてはいけないと思う。

津波に負けなかったあらゆるものに

恥じない生き方をしなくちゃね。

大げさかもしれないけれど、

なかなか気力が出てこない毎日だけれど

また今日も『日常』を送れることに感謝をして、生きていこう。




さあて、 朝ご飯の支度でもしよう。






| Ishinomaki | 09:35 | TOP↑

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