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「私がわがままだから」なんて、言わないでほしい。







今回の女川町での活動の初日の午前中は

ボランティアセンターからいただいた衣類の仕分けの仕事が

あっという間に終わってしまったので

残りの時間は『ハエ取り』を作って仮設住宅を配って回った。

このハエ取りは、ペットボトルにハエの入り口をカッターで開け

中に酢と砂糖と酒を入れてハエを引き寄せて

溺れ死させるという、なかなかのすぐれものだ。





0630RIMG0136.jpg

私は3人の若者と一緒に、5個のハエ取りボトルを持って

5軒のお宅に訪問し、ハエ取りを軒下に吊るさせていただいた。

「仮設の住み心地はどうですか?」

尋ねると、みなさんそれぞれに暮らしぶりを話してくださった。

畳ではないので、布団を敷いても背中が痛いことや

隣の音が響いてくること

仮設住宅の当たり外れがあること

人数に対しての部屋数の割当に不平等があることや

立地の違いや、普請の違い。

そして、やっと仮設住宅が当たったのに、生活費が工面できずに

避難所に戻られる方が多いことなど。






0630RIMG0138.jpg

最後に訪ねたお宅では、年配のご夫婦が二人で暮らしていらした。

「二人だから4畳半の部屋が一間なのよ。

 良かったら、上がって見ていって。」

ご婦人が、突然訪ねていった私たちに

「ごくろうさま」と労って、そう言ってくださる。

外からでも十分に見渡せる狭さなので

さすがにお部屋に上がらせていただくのは遠慮したが、本当に狭い。

聞けば、隣の石巻市では夫婦二人でも、二部屋の仮設が割当られるというのだ。

ひとしきり、仮設住宅の不満を口にした後に、このご婦人は

「こんなことを言うなんて、私がわがままだから。」と言う。

「ごめんなさいね。わがままだから。」と何度も言う。

「そんなことはないです。」

私は首をぶんぶん振って「わがままなんかじゃないです。」

そう言うことしかできなかった。

「仕事もないし、これから先のことを考えるとどうすればいいのかしら。」

小さな肩を落として、うっすらと涙を浮かべたご婦人の姿を思い出すと

私はこうしている今でも、涙がぽろぽろこぼれて仕方がない。

震えたか細い声を思い出すと、切なくて仕方がないのだ。



あのとき、思わずその小さな肩を抱きしめてしまいそうになった。

どうして抱きしめられなかったんだろうかと、それが本当に悔やまれ、

「わがままなんかじゃないですから、私がわがままだからなんて言わないで

 どんどんわがままを言ってください。」

そう言えなかったことが本当に本当に悔やまれる。






0630RIMG0213.jpg

女川町は町内のほとんどの地域が津波で壊滅してしまい

仮設住宅を建てる空き地がほとんどない。

だから必然的に公園内や、学校の校庭に仮設住宅が建てられる。

仮設住宅が建てられた学校の教室は避難所になっていて

子供たちは、バスであちらこちらの学校に分散して授業を受ける。

避難所がある間は、ボランティアによる炊き出しも頻繁にあるが

仮設住宅が必要個数に達したら、避難所は強制的に閉鎖されるそうだ。

だとしたら、仮設住宅の方たちの生活はどうなってしまうのだろう?

被災者の自立のために、避難所を閉鎖するらしいが

現地では仕事がないのだから、無茶苦茶なことだと思う。





本当に本当に大変だ。





0630RIMG0221.jpg

小学校の体育館の入り口には、このような貼り紙が貼ってあった。

子供たちが学ぶ学校でさえ、まだまだこの状況なのだ。





震災の事に興味や関心がなくなるのは、まだまだ早すぎるし

ボランティアが引き上げるのは、本当に早すぎる。

私に出来る事は、本当にささやかなことしかないけれど

ボランティアの数を絶やさないことが

被災地の方の希望に繋がるとするなら

私はその中のひとりになれる。




行くだけで、いいのだから。




だから私は、今後もできるだけ時間を作って訪れたいと思っている。








※初日の午前中は2班に分かれ行動しました。
 小さな避難所慰問班は、子供たちと思いっきり遊び
 それぞれに想いを抱えて、戻って来ました。






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| Ishinomaki | 09:27 | TOP↑

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腹が立つやら、呆れるやら。







昔から団体行動が苦手な私が

今回のボランティアでNGOの団体と一緒に行動したのには

分けがある。





0629RIMG0174.jpg

今回、週末の土・日の二日間だけをボランティアに当てるとして

まず、受け入れ先があるのだろうか? と

石巻の災害ボランティアセンターに問い合わせてみた。

すると返ってきた答えは、やはり残念なものだった。



「現在は県外からの個人のボランティアは受け付けておりません。」

「それは、宿泊の問題ですか?」

「いいえ、ニーズがないからです。せっかく来ていただいても

 お仕事がなくて、お帰りいただくことがあるからです。」



なんということだろう。

ボランティア活動をしたいという気持ちの、持って行き場が

石巻の災害ボランティアセンターにはなかったのだ。

だとしたら、私の出かける予定の週末に石巻に出るボラバスを

ネットで探す以外に受け入れ先を見つける方法はない。

『石巻 ボラバス』というキーワードで

行き着いたのが今回行動を共にしたNGOの団体だった。





0629RIMG0131.jpg

もともと団体行動が苦手であるからして

NGOやNPOという組織も、理由は説明できないけれど苦手だった。

けれど、苦手うんぬん言っていては、

せっかく作った週末の2日間が無駄になってしまう。

不安な気持ちを抱えたままバスに乗った私だったが

団体であるからして、やはり思ったような行動はとれなかった。


私は被災地に対して、まずは『瓦礫撤去&泥出し清掃』が

手助けになるだろうとの想いが強かったのだけれど

この団体の基本行動は『避難所への慰問』だったので

芸能人の慰問に疑問を感じていた私には

どうなのだろう? という気持ちが強く

実際には避難所に訪れて良かったこともたくさんあったけれど

やはり、手助けしたいという気持ちだけが空回りした。






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しかし、団体で動くメリットはたくさんある。

希望というか渇望していた『泥出し清掃』は出来なかったけれど

個人ではなかなか訪問できない小さな避難所や仮設住宅へ

行く事が出来た。

避難している方々のお話も直接聞くことが出来た。

そして、ボランティアセンターの人間の使い方の不味さを知った。




私たちの団体は初日の午後から、小さな避難所に慰問の予定があり

(訪問は午後からが先方の希望だったので)

午前中は女川町のボランティアセンターの指示に従った。

減少したといってもニーズはあった。

『マリンパル』の瓦礫撤去と泥掃除。

しかし、私たちは午前中しか作業ができないので

たった20分で作業が終わる衣類の仕分けに回されてしまった。

瓦礫撤去に向ったのは、午後まで作業ができる

ボランティアさんのほんの数名だけ。

仮に午前中しか作業ができなくとも、私たちは大人数だ。

少人数で午後までかかる仕事でも

大人数で取りかかれば、あっと言う間に仕事は進むはずなのに

そうした融通がきかない。




ボランティアに遠く県外から向う人間の士気は高いのだ。

そうしたマンパワーを無下にしてしまうボランティアセンターの

あり方とはどうなのだろうと思ってしまう。






0629RIMG0211.jpg

そしてさらに呆れたのは、

女川町立病院を見学時に、石巻からのボランティア団体と遭遇して

その方たちから聞いた話だった。




ニーズは山ほどある。

牡鹿半島などは手付かずだ。

ボランティアセンターは難のない依頼しか引き受けず

(病気や怪我の責任をとれないので仕方がないのだろう)

ニーズの掘り起こしもしない。

要するに、市民からの難のない依頼を待って

マッチングの作業をしているということらしい。

ボランティアセンターの存在を知らない人も多く

聞き取り調査やビラを撒くなどのニーズの発掘は、

民間団体が積極的にやっているということや

田圃や畑や川や海、重機が必要な建物などの清掃は

全て民間団体が行なっていることを知った。



そして、私のように自治体のボランティアセンターに問い合わせた人間は

返って来た答えで、ボランティアの必要が無くなったと思い込んでしまうので

ますますボランティアが来なくなってしまうと嘆いていた。






0629RIMG0138.jpg


行政とはこんなものなのだ。

行政が動くのを待っていたら、何も変わらない。






街も道も田圃も畑も海も川も、まだまだだ。

3月11日のあの日から

放ったらかしにされている場所は山ほどあり

置き去りにされている人たちは無数に存在する。





なのに、この国の政府は

いまだに『人事』をやっているんだからね。








| Ishinomaki | 09:15 | TOP↑

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初めての震災ボランティア/百点満点なんて望まない。








百点満点なんて望んじゃいけない。

せいぜい45点とれればヨシとしよう。





出発前に自分自身にそう言い聞かせて出かけた

初めての3・11震災ボランティアは

十分に持てる力を発揮できなくて

45点はおろか、30点もとれない始末だったけれど

それでもたくさんの出会いが有り

たくさんの情報を得ることができた。





0628RIMG0125.jpg

初めて避難所で暮らす方たちや

仮設住宅で暮らす方達とお話をさせていただいた。

今、いちばん何が必要なのか知った。

いまだにおにぎりとパンの配給しかない避難所の存在を知った。

女川の津波の高さがどれほどのものだったか

実際に町立病院の建っている小高い丘の上に立って

その高さを体感した。

石巻のボランティアの数の絶対数の不足を知った。

仕事はいくらでもあることを知った。

個人の車で出かけても高速道路の通行証を発行して貰えることを知った。

避難している方々にまだまだ泥出しボランティアの

情報が行き届いていないことを知った。

全半壊の家の撤去は撤去費用を何処が負担するのか決まらないので

撤去がまったく進まず、街の様子があまり変わっていないことを知った。

ボランティアセンターのボランティアの使い方が

まったくヘタクソなことを知った。






0628RIMG0126.jpg

同じバスに揺られて被災地石巻・女川に出向いた『仲間』たちが

皆、家で悶々としているよりはと、バスに乗ったこと

韓国の女性2人や、中国の男性やアメリカの女性が

「日本に居るから、心は日本人」と言って参加していたこと

大学の夏休みで海外から帰国して

3ヶ月間丸々ボランティアをして過ごす学生さんや

ニートの若者が、家から出るための足がかりにボランティアを選んだことや

旅人ミュージシャンや旅人瓦礫撤去人の熱い想いや

落語家、マジシャン、リコーダー演奏家のおじさまたちの優しさや

震災発生の一週間後にダンプで現地に駆けつけた

代表者の無茶苦茶な行動力を知った。





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瓦礫撤去や泥出しだけがボランティアではないことを知った。

被災した方のお話を聞くということが、役目のひとつであることを知った。

そして、一緒に出かけた『仲間』たちの誰もが

人助けのつもりで、実は自分たちが助けられていると

感じていることを知った。





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そして、

「迷惑がられるのじゃないかしら?」

「何もできない。」

そんなことを恐れずに、どんどん出向いていいことを知った。





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まだまだ何も変わっていない。

変わっていないどころか

状況はますます過酷なものになっている気がする。

人々の興味が震災から離れていくのには早過ぎて

支援の手が止まってしまうのは無謀なことだ。





現地に出向いて、満足な活動は出来なくとも

たくさんのものを私は受け取って帰ってきた。

30点しかとれなくても

たとえ0点だったとしても、

出来ることがたったひとつしかなくても

必ず想いは伝わるし、人のこころは優しい。



何も恐れず、なにも考えず、これからもバンバン出かけたい。

仕事はたくさん、山のようにあるのだから。














| Ishinomaki | 02:13 | TOP↑

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不安だけれど。







これから石巻と女川へ向って家をでる。

バスは川口駅発23時30分。




総勢23名。




初めて行動を共にする人たちと

初めての被災地でのボランティア。




1度で挫けてしまうかもしれないし

何度も参加しようという気持ちになるかもしれない。

予測は不可能だけど

何も考えずに、一生懸命、瓦礫で埋まった浜辺の片付けをしてこよう。





お掃除は大好きだからね。








| Ishinomaki | 21:08 | TOP↑

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初めての震災ボランティア/事前ミーティング









週末に参加する震災ボランティアグループの

事前ミーテングに出席した。

どんなグループなのだろう?

活動内容はどんなだろう?

ドキドキドキドキの初出席だった。





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川口市の市民センターの会議室のドアを開けた瞬間に

その不安は吹飛んだ。

ふつうのおじさんとおばさん。

ふつうのおにいさんとおねえさんの顔があった。

私がいちばんの年長者じゃないのかしら? と心配していたけれど

60代(たぶん)と思しき男性も3名いらした。

代表者は大工さん。

3月11日に発生した震災のニュース映像を見て

いてもたってもいられずに

知り合いからトラックを借りて、かき集めた物資を載せて

友達3人と石巻に駆けつけた。

それが始まり。

以降、1週間おきの週末に石巻に出向いて

NGOの団体としての活動は今回で第5陣。





初めての団体との接触で、不安で仕方がなかったのは

バリバリの活動家集団だったら、どうしようということだった。

要するに、プロのボランティア集団だったら困るということ。

(ボランティアにプロがいるかどうかは分からないけれど)

『ボランティアとはこうあるべき』との

理想や功名心やモラルを押し付けられたら

私には付いていけない。

型にはまった活動や、上からの押しつけでは動けない。

だから、ミーテングに出席しても

私には無理と感じたら、辞退するつもりだったけれど

そんな不安や心配は杞憂に終わった。






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何も心配はいらない。

ボランティアに関しては、まったくの素人の方たち。

「何もしないではいられない。」

「被災地に笑顔を届けたい。」

それだけの思いで動いているから

活動の内容も、参加者本人が考える。

「主役は被災者です。主役は私たちではありません。」

「被災者と同じ気持ちになって、たくさん話を聞いてあげてください。」

代表者から『お願い』されたのは、それだけだった。




第5陣の今回は石巻をベースキャンプとして

女川と牡鹿半島の、今までまったく援助の手が入らなかった

小さな避難所に行く。

被災した方たちとお話をして

集会所の庭に花を植えて

子供たちとドッジボールをして遊び

落語とマジック(60代の方の特技らしい)を披露して

瓦礫に埋まった浜の掃除をして、夕食を作って全員で食べる。

特別なことは何もしない。

普通の1日のお手伝いをしてくるだけだ。




GWを堺にしてボランティアの数が激減していると聞く。

大切なのは、忘れないこと。

なんでもいいから行くことなのだ。




毎日毎日悶々としていたけれど

心から欲すれば

必ず自分自身が欲する、物、事、人に出会えるのだ。



年単位で息の長い活動をしていくという。

まだまだ未知数の出会いではあるけれど

私には、ずっと以前から

出会える事が決まっていた出会いだったと

思えたりする。








※写真は群馬県館林の野鳥の森ガーデンで先週末に撮影しました。
上の写真はピンボケですが、優しいキイロが気に入ったので。
下の写真は花粉を纏った蜂です。動く蜂を写すのは難しくて 
こちらもピンボケな写真です。




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