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日常が非日常という現実







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この写真は、石巻の総合運動公園に設営された

自衛隊の巨大支援基地。





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コンデジで撮ったので

迫力が伝えられなくて残念だけれど

車両と宿営テントの数には圧倒された。





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市民の頼りの『自衛隊さん』は

ここを拠点として支援活動をして下さっている。





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震災発生からすぐの2週間は

この場所から4キロ程離れた『食糧難』の実家でも

避難所になっていた近くの学校の校庭に

毎日、自衛隊のヘリコプターが配給の食料を載せて

降りてくれていたので、とても助かった。







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5月の初旬までは、近所のスーパーの駐車場に

給水車も来てくれていた。





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そして現在も支援・救援活動は続けられている。

本当にありがたいことだ。





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被災地石巻の日常は、『非日常』だ。

自分の住まいのすぐ裏手にある学校の校庭に

自衛隊のヘリが降り立つなんて

日常ではありえない。





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ご遺体の捜索のための棒を持った

迷彩服を着た自衛隊さんと、すれ違うなんて

日常ではありえないのだ。





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家の片付けが一応済んだ実家だとて

床は畳の入らないまま、

家の中でサンダルを履いて暮らしている。

仕事が始まった甥の会社では

再開直後の片付けの時に、ご遺体が3体も発見されたし

震災から3ヶ月経った今も

甥の仕事の中身は、関連会社の建物の泥出しだ。

そして悲しいことに、今でもご遺体が発見される。

姉も仕事が始まっているが

営業の仕事をしている姉の仕事の中心は

顧客の安否確認だ。

電話連絡がとれないため、お客様の自宅へ車を走らせるが

そこには家がなく、お客様ご本人は

避難所か親戚の家にいる。

お客様が見つかれば、まだいい方で

道が崩れ水没して、住所のある町までたどり着けない時もある。

不幸にして亡くなられたお客様もいる。


「悲惨な光景を見ながらの仕事は疲れる。」


姉の顔色はすぐれない。

けれど、姉は自分で動ける車があるからまだいいのだ。

姉の会社の社員は20人。

そのうち津波で車が流されず無事だったのが3人。

震災後に車を入手できたのが、姉を含め5人。

営業が中心の会社だっていうのに

他の12人は、車がないというありさまだ。

日和山の高台の一見平和な街からは

すぐ下に壊滅した地区が見えるし

石巻の街の真ん中には

火葬もせずに土に埋められた方がたの

木でできた急ごしらえの墓標があり

添えられた花が悲しく揺れている場所がある。

どんなに日常を取り戻そうともがいてみても

『非日常』が日常だという現実からは、まだまだ抜け出せない。







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写真は『JR石巻駅』駅前のロータリー。

車社会になって以降、

商業施設が中里、さらに蛇田地区に移ってからは

街の中心部は人通りが少なくなってはいたが

それでも駅前だけは、人通りがあった。

この日は、電車が運休したままなので

日曜日の昼間だというのに、人の姿がまったくなかった。





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わずかに仙台行きのパス乗り場に

並んだ人がいるだけだった。





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写真は驚異的なスピードで復旧した

新幹線の『JR仙台駅』。

前回この仙台駅を利用したのは

震災前の今年の1月に、父の七回忌で帰郷した時だった。

その時は、『日常』は日常のままだった。

『日常』が『非日常』になってしまうなんて

考えもしなかった。






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驚異的な早さで復旧した仙台駅だけれど

地震で落ちた天井は、まだ張られてはいなくて

鉄骨や梁が剥き出しのままだ。





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この駅から新幹線に乗って、私は大宮で降りた。

『非日常』から『日常』へと、私は帰った。

天井がまだ張られていない新幹線の駅のホームは

『非日常』と『日常』が混在している。

ここから『日常』へ帰る人と

『非日常』へ向う人とが交差する。

それはあと何年続くのだろう?

私はあと何度、この交差する場所を通過するのだろうか。










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