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このブログの今後について。





このブログは、私が初めて自分の意志で飼った

パグの女のこポップと

ポップが産んだ2頭の仔、ラムネとマリネとの

我が家のありふれた日常を綴ったものでした。

震災の当日の朝までは、その日常を

私は、平和でぽわんとした雰囲気で綴っていました。

それが変わってしまったのは、あの震災が起ってしまったからです。

3月11日に震災が発生して

震源が東北だったことを知り、

私はすぐに石巻の姉に電話をいれたのですが

時すでに遅く、電話が繋がりませんでした。

次々に入ってくる震災の被害のニュース映像で

石巻でも、ただならない事態が起っていると感じ

眠れない夜を過ごしました。

翌日になってからは、なんとか姉や義兄や甥、姪と連絡がとれないかと

必死で電話を掛け続けたり、電話会社やNHKの安否確認や

グーグルのパーソナルファインダーにアクセスしましたが

石巻全域で電気の供給が止まり、電話も不通の状況では

こういった電話やネット上での安否確認のサイトなど

何の役にも立ちませんでした。

だいいち、テレビも見られない姉たちは

自分たちの身の上に何が起こったのか、分かっていなかったし

遠くに居る私や姪(姉の娘)に連絡を入れる

余裕も手段も持っていませんでした。

どんな情報でもいいから、とにかく生きているという確信が欲しかった私は

藁にもすがる思いで、このブログで情報提供を呼びかけました。

このブログは開設当初に、ブログ村『パグ』に参加をしていた関係で

読んで下さっている方の大半は『パグ』を飼っている方がたです。

震災の情報提供をお願いする内容のエントリの新着情報を

『パグ』に流すことは、村の参加カテゴリ違反になることは

承知の上でしたが、通報も覚悟の上で

読んで下さっている方がいちばん多い、『パグ』に新着情報を流したのです。

それが、震災関連のことを綴り始めるきっかけになりました。

震災発生当初は、情報提供を求めるだけのつもりでしたが

その後、姉一家の安否確認がとれて、連絡を取り合えるようになり

震災発生2週間後に石巻に帰り、その惨状を目にして

情報提供を求めるだけという気持ちが、変わってしまいました。

正直に言うと、私は石巻に帰る以前には

震災発生から2週間も経っているのだから

テレビで見る悲惨な津波の爪痕は片付けられていて、

私はもしかして、凄惨な被害状況は目にすることもないだろうと

思っていました。

けれど、石巻市内や実家の状況を実際に見て

その考えが甘かったと、頭を殴られたような気がしました。

「テレビで見たものとは、まったく違う。

 これは知らせなくちゃいけない。」

このブログでは書くつもりもなかった震災の状況を

書かなくてはいけないという気持ちに、変わってしまったんです。

それでも、震災のことを書き始めた当初は

3月27日に撮った全ての写真のアップ終了後に

平和なぽよんとした『日常』のブログに戻すつもりだったのですが

震災発生後1ヶ月目の4月11日に石巻に帰って

実家から徒歩10分程の『築山』という地区を一人で歩いてきて

また気持ちが変わりました。

築山に行ってみたのは、築山に住んでいて、津波の被害に遭われた方から

いただいたメールがきっかけだったのですが

テレビ報道では一度も見ていない、

しかも実家の目の前にある町の惨状に、言葉を失いました。

やはり私は、自分がのんきに構えていて、甘かったのだと知らされました。

この時も私は、震災発生から1ヶ月も経過しているのだから

被害に遭った街は、だいぶ片付いたはずだと思っていたのです。

築山では、目的としていた建物があったので

道を尋ね歩いていましたが

尋ねた人たちから

「ごくろうさま」と労われたり

「生きて帰ってください」と本気で心配していただいたりしました。

「生きて帰ってください」との言葉が

けっして大げさな言葉ではなかったのです。

家は大きく崩れて、瓦礫が道を塞いでいて

泥だらけでした。

これは、やはり誰にでもいいから、少しでもいいから

知らせたい、書かなくてはいけないという気持ちになり

私は日常を綴った『パグ』のブログに

このブログを戻すことができませんでした。

GWに帰省した際には、「もう片付いただろう」という

甘い期待はすでに残っていませんでしたが

それでも、野蒜や大曲や女川や牡鹿半島を見て

呆然として立ちすくみ、やはり言葉を失いました。





cRIMG0783.jpg

このブログで綴っていた内容は、明るく前向きな内容よりも

悲惨な状況を伝える内容が多いと思います。

私は石巻が故郷であっても

実際には石巻に住んでいないし

身内や友人以外の、被害に遭われた方とお話はしていないので

被災してしまった方たち総意は分かりませんし

身内や友人たちの本当の気持ちは分かりません。




上の写真は、私の友人の妹の子供が通っていた小学校です。

この写真はGWに撮ったので、避難所として使われながら

学校の授業も始まっていたことが分かります。

校庭はこのような状況ですし

校舎の一部は、避難している方々が暮らしているので

使えません。

この時点で授業は平常通りではなく、

短縮授業になったりすると聞きました。

友人の妹は、家を失って身軽だったこともあり

落ち着いた環境で子供を学ばせたいと

仙台に転居を決め、仙台の学校に子供を通わせています。






cRIMG0739.jpg

この写真は東松島市の大曲地区で撮りました。

ピアノの持ち主は生きているといいなあと思っていたら

このお宅のご主人と思われる方が、

二人のお子さんと一緒に車から降り

家に残った5月人形を大切そうに抱えて帰りました。

3人とも明るい笑顔でした。





被害に遭われた方は、私の実家の家族も含め

前向きに『頑張って』いるのだと思います。

でもそれは、頑張りたいから頑張っているのではなくて

頑張らなくてはいけないから頑張っているのであって

前向きに頑張らざるを得ないからなのだと思います。

私が数少ないけれど、身内や友人との会話で感じるのは

『頑張って!』との型通りな言葉が欲しいのではなく

とにかくこの悲惨な状況を知って欲しいという強い想いでした。

たくさんの募金が寄せられたこと

たくさんの支援物資がよせられたこと

たくさんのボランティアさんが来てくださったこと

本当に感謝していて、人のありがたさ、温かさを感じているけれど

それでもなお、この悲惨な状況を知って

どこか他人事ではなく、どこか上から目線ではなく

同じ場所に立って、この苦しみを分かって欲しいという

強い想いでした。




私は本当にささやかなことしかできないけれど

こうして毎日、震災のことを綴って

ほんの少しの人だけにでもいいから、悲惨な現実や苦しみを伝えられたら

この状況の中で、必死で生きている方たちのこと

亡くなられた方たちの悲しみを伝えられたら

それが、被災地にいる姉や友人たちの想いを汲むことなのじゃないかなと

そう思って綴ってきました。




GWに撮ってきた写真のアップがほとんど終わった今でも

その気持ちに変わりはありません。

このブログは、震災の復旧復興に一定の目処がつくまで

(どこかの国の総理大臣みたいで、偉そうでごめんなさい。)

3頭のパグとの日常を綴ったものに戻すつもりはありません。

まだまだ震災のことを書いていきたいと思っています。

次回に石巻に帰るのは8月の『川開き』祭りの時と決めています。

それまでは、折りに振れブログを更新していきたいとは思っていますが

一旦、今日でお休みにしたいと思っています。




いままで場違いな『パグ』のカテゴリに新着情報を流して

申し訳ございませんでした。

場違いであったにも関わらず

読んで下さって本当にありがとうございます。

心から感謝しています。

メインの『石巻』カテから読んで下さった方の中には

「え? ちがうよ。」と思われた方もおられるかと思いますが

私の気持ちを汲んで、そっと読んで下さって

本当にありがとうございます。




ポップとラムネとマリネとヒトさんと私との日常は

これからしばらくの間は

サブブログの方で、気侭に綴っていきたいと思っています。

サブブログはブログ村に登録・参加予定はまったくありませんが

サブブログをご存じの方は

よろしかったら遊びに来てください。

『パグ』中心のブログではないので、私の愚痴もたっぷり書いてあります。

覚悟して遊びに来てくださいね。

ではでは。





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