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本当の心の中を、言葉で書き表せるわけもないのだけれど。





一昨日に福島県いわき市でのボランティア活動で

同じ班になった一人の女性。

まだ、30代前半だと思われる年若い彼女。

いわき市の沿岸部に家が有り

土台だけを残して全てが流された。

家の中のものは、何ひとつ残っていなかった。

5ヶ月経った今は、新しい住まいに引っ越して新しい生活を始めている。

元の家のあった場所は整地され、

そこに集落があったことさえわからないほどだと言う。

そのような重篤な被害に遭ったのに、なぜ活動に参加をしているのか

参加するまでには、大変な苦労と葛藤があっただろうに

正直にその疑問を彼女に投げかけてみた。

「どうしてボランティアに参加しようと思ったの?

 参加する気持ちになるまでは葛藤があったでしょう?」

「私は時代の流れに付いていけなくて。」

「時代の流れ?」

「うん。

 いわき市のほとんどの人は普通に暮らしているから。

 なのに、ボランティアさんは震災のこと忘れないでいてくれて
 
 素晴らしいなあって。

 だから、ボランティアさんと一緒にいると安心するの。」





「時代の流れに付いていけない。」という彼女の言葉を聞いて

ずっと心の奥に仕舞い込んでいた感情を思い出した。

私は3月26日に、震災から2週間後の石巻の惨状を見た。

どうしてこんなことが起きてしまったのだろう

これは現実じゃないと思った。

夢だと思いたかった。

車はあちらこちらにひっくり返って転がって、船でさえ何艘も転がっていた。

流された家が道路につぶれて重なって

焼けこげた家や車が幾重にも重なっていた。

家々の中は残骸だらけで、めちゃくちゃだった。

鉄筋の建物が骨だけになって、トタンや外壁がひものように

ぶら下がっていた。

遺体捜査の自衛隊員が長い棒を持って、私の歩くすぐ傍で

瓦礫の中を突っついていた。

ご遺体があるすぐ傍を歩いていた。

地獄だと思った。

自分の目で、生きているうちに地獄を見たと思った。



そして1ヶ月後の4月11日に石巻を訪れた時も

状況はほとんど変わっていなかった。



GWの少し前に、それまで家に引きこもっていた私は

デジタル一眼レフを購入するために、池袋に出かけた。

電車を利用しての外出は、震災後その時が始めてだった。

池袋の駅に着いて街を歩いた時に

「嘘だ」と思った。

「何これ?」と思った。

街の中は買い物客であふれていて、人々の姿は何も変わってはいなかった。

ハンバーガーショップでは順番待ちの行列ができ

ゲームセンターの騒音に負けない、若者の笑い声が聞こえた。

皆が楽しそうにしているように見えた。

私は呼吸の苦しさを覚え、必要な物だけを買うとすぐに

電車に飛び乗って池袋を後にした。

GWに石巻に帰郷して、埼玉に戻って1週間後に

絵画教室を休んでいることを心配してくれる友人と渋谷で待ち合わせした。

渋谷の駅も、人で一杯だった。

道玄坂を少し上った場所にあるお店に行くために

一人で109の前の歩道を歩いた。

若者で溢れかえって、たくさんの嬌声が聞こえた。

前に進めないほどのたくさんの人、人、人、ひと。

怖かった。

怖くて怖くて泣き出したくて逃げ出したくなった。

「何で?

 何で?

 何も変わらない?」

「これは嘘だ、現実じゃない。」

日本人がこれまで経験したことがない大変なことが起っているのに、

何も変わらない街が、私には現実だとは思えなかった。




敢えて書くが、『何も変わらない』ことを非難しているのではない。

ほとんどの日本人が震災のことで心を痛めているけれど

なすすべも無く、自分の今までの生活をこれまで通り送るしかないのだと。

だから、街がなにも変わらないのは仕方のないことで

誰も何も責めることなど出来やしないし

私にしたって、毎日の生活は、さほど変わっていないのだから

繁華街を歩いている人たちと私は、何の違いもない。





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けれど、被災地の惨状を目にしてしまった私は

被災地の出来事を、いまだに現実だとは思いたくはないけれど

現実のことだと受け入れることが出来たように思う。

その上で被災地外の、何も変わらない暮らしを、

現実のことだと、どうしても受け入れられないのだ。

これは虚構なのだ。

砂上の楼閣なのだと。

震災から5ヶ月が過ぎた今も、賑やかな場所や華やかな場所には

リアリティーが伴えない。

先日、愛するパグズと出かけた名栗川の河原での川遊びでさえ

夢の中のことように感じて、素直に楽しんではいないのだ。

これは嘘なのではと感じ、幸福感を味わえない。

今の私が、今の暮らしの中でよりリアリティーを感じるのは

ボランティア活動に参加をしている時だ。

参加前に、確かに私もボランティアさんは素晴らしいと思った。

あの中に入りたい、私も混じって働きたいと思った。

思い切って飛び込んだ今、この中にいると安心する。

名も知らぬボランティアさんの中に混ざり、汗を流しているときが

私にとっていちばんリアリティーを伴って、心が安まる時なのだ。




だから、私のボランティア参加は

私がこの震災を乗り越えるために必用なことで

身体こそ疲れるけれど、決して無理はしていないし

私が私のためにしていることで、私が生きるために必用なことで

褒めていただくことでも、ましてや感謝をされるものでは

決してないことなのだと思っている。






写真はいわき市とは関係がありません。
先月末に訪れた南三陸町で携帯で写した1枚です。
一人の女性が町民を助けるために自らの命を顧みず、
津波に流されるまで避難を防災無線に呼びかけていた
防災センターの鉄骨です。
町長は不幸にも流されてしまいましたが、屋上のアンテナに
つかまった数人が助かりました。
この建物も震災のキオクとして残しておかなければならない
建物なのではと思います。




| Ishinomaki | 11:30 | TOP↑

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本当の『答え』が見つかった。








各地のボランティアセンターがお盆休みに入ってしまうので

直前の昨日、時間を作って福島県いわき市に行ってきた。

日帰りで砂出しボランティアに参加をしてきた。




そこで出会った一人の女性の言葉から

私自身がなぜ、ボランティア活動に参加をするのか

答えを見つけた。





目からウロコとはこのことだ。

数ヶ月前のことなのに

なぜ、忘れていた?






たった4時間の作業でも

自分で車を運転しての日帰りの活動は

とても疲れた。

身体が重い。





週末もお盆も、仕事があってのんびりできない。

こなさなくてはいけない仕事はたくさんあるけれど

今日は1本だけ頑張ることにする。

たぶん、集中して取りかかれば4時間程度で終わる。

終わった後は、パグズを抱いて泥のようになって眠ろう。

そして明日からまた頑張って働くとする。





この続きは明日。

いただいたメールやコメントのお返事も

明日。

許してね。







| Ishinomaki | 08:15 | TOP↑

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具合はその後、いかがですか?





7月30日

南三陸町志津川でのボランティア作業を終え

道の駅『上品の郷』で、仙台へ帰るバスツアーの一行と別れ

迎えに来てくれた義兄の車に乗り込んで

石巻の実家へ向った。



今回の帰郷の、そもそもの目的は

石巻の『川開き祭り』の前夜祭の灯籠流しを見ることで

ボランティアに参加するのは、言わばそのついで。

翌31日も、灯籠流しが始まるまでの時間が

実家でゴロゴロしていたのではもったいないので

東松島市で、一日ボランティアに参加することにした。





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東松島市のボランティアセンターに前回来たのは、

今回の2週間前の7月8~10日のことだったけれど

なんだか懐かしい。

ボランティアセンターのスタッフさんの顔ぶれが変わっていない。

皆さん、継続して頑張っていらっしゃる。

2週間前に同じ班で作業した男性も見かけたので

驚いたと同時に、嬉しくなった。






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この日、『4班』に指名されたのは

男性12名と女性3名の合わせて15名。

作業内容は東松島市赤井鷲塚にある、個人宅の裏庭の泥出しだ。





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広い裏庭全体に20センチ程積もった泥を

スコップで掘り山を作り、土嚢袋に詰め込んで

一輪車で運んで道路脇に積み重ねる。





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休憩と昼食を挟んで4時間

ひたすらその繰り返し。

泥がずっしりと重い。

普段は使うことのないスコップが重い、重い。

腰が痛い、腕が痛い。

「マイペース、マイペース!」と声を掛け合うけれど

皆、手を休めず作業に集中する。

掘っても掘っても、津波で流されて積もった泥は減らない。

こんなにたくさんの泥が流れてきたのだから

家の中に入った泥の量も半端な量ではなかっただろうに。

この家の住人たちの苦労が忍ばれた。






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15人で4時間をかけて、全体の約半分の泥出しを終了。

写真ではよく分からないけれど、地面がずいぶん下がった。





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垣根の下にも泥が詰まって

向こう側が見えなかった。






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この通り、向こう側が見えて

空気が流れるようになると気持ちがいい。





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この日、出来上がった土嚢袋は

全部で500個ほど。

家の前の道の泥を履いて作業完了。






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土嚢袋で出来た『壁』を見ると

今回も達成感が確かにある。

写真を撮っていたら、参加者の男性が

「撮りますよ。」と言ってくださったけれど

汗と泥まみれでぐちゃぐちゃの顔をしていたので

笑って逃げた。






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菓子パンと梅干しのおにぎりの昼食をとっていたときに

この日の朝に出会ったばかりの女性が言った。

「仲間って感じがして、なんだかいいですね。」



うん。

そうなんだ。

ほんとうに。

即席だけれど、一日限りだけれど

確かに同じ班の参加者には連帯感が生まれる。

同じ目的を持った『同士』のような

不思議な連帯感。

私のように、群れるのが苦手な人間でも

たった一日限りの仲間たちの存在がとても心地よい。

もう2度と会うこともない仲間たちに、

愛おしささえ感じて

これを書いている今は、懐かしさで泣けてくる。







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この家の前庭一面に咲いていた花。

塩の泥にも負けないで、懸命に咲いている花。



「女性は写すものが違うなあ」



昼食中の誰かがつぶやいた。

けれど男性たちだって、口には出さないけれど

思っていたはず。

生命力ってすごいなあって。





で、この泥出し作業でいちばん大変だったのは

一輪車担当の男性らしい。

参加者の平均年齢を一気に下げてくれた彼、

たぶん私の息子と同年代の若い彼

腰の具合はその後、いかがですか。















| Ishinomaki | 08:37 | TOP↑

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こんなことは、なんでもないこと。







ボランティア活動中の、昼食の基本は菓子パンだ。




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なぜ菓子パンかというと

活動日の朝に、個人個人で購入して持参しなければいけないし

(活動現地では、まず購入できない。)

夏の時期はモノが腐りやすいから

かさばる弁当や、傷みやすい調理パン、魚卵のおむすびなんて論外だ。

私はいつも、30度の気温にも耐えられそうな

甘い菓子パン1個と、梅干しのおにぎりを1個

500mlのペットボトル3本のお茶と一緒の袋に入れ

リュックに詰め込んで持参する。

石巻の実家に滞在している時には

ペットボトルのお茶を凍らせて持参したりしている。






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甘いものが苦手な男性は

バターロールを袋丸ごと全部食べていたり

バゲットを1本お茶で胃の中に流し込んでいたりする。

味なんて、まあ、関係ない。

腹が満たされればいいのだ。






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30日の戸倉の浜では、小雨まじりの天候だったので

早めの昼食になった。

ボラセンで用意してくれたテントとビニールシートは

40人の荷物置き場となってしまったので

座る場所がない。







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さあ、どこで食べましょうかと

ウロウロしているうちに

雨が本格的に降り出した。





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仕方がないのでテントの傍に戻って

雨に濡れながら

梅干しのおにぎりと、

甘い甘いピーナツクリームのパンを

なまぬるいほうじ茶で流し込んだ。

コンビニのポリ袋を片手にぶら下げて、立ったまま食べた。

「雨に濡れながらお昼を立ち食べするなんて

 一生の想い出になるかもね。」

私の隣で、菓子パンを食べていたカップルと、笑いながら食べた。

ホームセンターで買った安物の雨合羽がちっとも役に立たない。

気がつけば、パンツまでぐっしょりだ。



濡れた身体で午後の作業。

雨が本降りになったので、予定を切り上げて早めの撤収となった。

びしょ濡れの身体は、帰りのバスのエアコンの冷気で

これでもかっ! というほど冷やされたので

帰路に立ち寄った、道の駅・上品の郷の温泉で温めた。

いや、まあ、大変と言ってしまえば大変だったけれど

あの日の大津波で味わっただろう恐怖と辛さを思ったら

こんなことは、なんでもないことだね。










| Ishinomaki | 08:14 | TOP↑

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決して悪くない。







市民ボランティアの作業内容は

各自治体や被害の程度でも微妙に違っている。

これまで参加した女川町や東松島市では

生活支援が前提であるので

現在生活をされているお宅での、生活に困っている部分への

お手伝いが主な作業で、

全壊したお宅での作業は含まれていなかったけれど

この南三陸町では、全壊した家の瓦礫の撤去も

作業内容に含まれていた。





それだけ、被害が甚大だったのだろう。

元の家で生活を再建できるお宅の数が本当に少ないのだ。





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30日に私たち40人のボランティアに割当られたお宅も

全壊して基礎の部分しか残っていない家だ。







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この家は流されて、

道を挟んで後ろに建っている倉庫にぶつかって

かろうじて止まったらしい。

不幸にもお一人が亡くなられたと聞いた。

「どうか安らかに。」

心の中で、手を合わせて作業を始める。







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基礎部分の上に積み重なった大きな残骸を、重機で片付けた後の

残った小さな瓦礫の撤去が私たちの仕事だ。

残った細かな瓦礫を人海戦術で手作業で片付けていく。





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瓦は瓦、陶器は陶器、金物、プラスチック、木片、ガラス、紙類と

泥の中から分別して、道路に面した敷地内に山を作っていく。

分別して山にされたゴミや瓦礫は

後でダンプで回収に来るらしい。





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瓦礫の撤去や回収方法も、自治体によってちがうのだろう。

石巻や女川、東松島市では、ここまで細かな撤去は

行なわれていなかったような気がする。

(違っていたらごめんなさい。)






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人海戦術とはよく言ったもので

あっという間に、分別ゴミの山ができた。






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戸倉浜の港は、こじんまりとしていて

防波堤の向こうには雨降りだというのに

穏やかな海が広がっていた。

自然の力には勝てなかったけれど

こうして人の力で、少しずつでも壊された部分を片付けていけば

その土地で新しく何かが始まるかもしれない。

何かが始まれば、この港も元の風景を取り戻せるかもしれない。

手のひらに乗るほどの小さなガラスのかけら拾いだって

未来への希望に繋がるのなら

それは私自身の充足感や達成感になる。



だから、雨降りの中でびしょ濡れになりながらの

ガラスのかけらを泥の中から拾う作業も決して悪くない。







| Ishinomaki | 08:56 | TOP↑

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