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やっと許せた。




先週末に参加をしたボランティアは

埼玉県東松山市の『東松山震災ボランティアの会』主催の

石巻市・鮎川行きのバスツアー。

参加者は17名。

男性10名、女性7名、そしてバスの運転手さんを加えて

全員で18名。

ほとんどの参加者が初対面で

21歳から推定70歳までの、熱い想いを抱えた即席の仲間たちだ。

行程は車中1泊を加えた2泊3日。

ボランティア活動は1日と1時間。(ボランティア内容に関しては後述)

ボランティアの作業が終わった後の宿泊先は

牡鹿半島の先端にある『おしか家族旅行村オートキャンプ場』の

2階建てケビンという豪華版だ。

このキャンプ村は震災の影響があって現在は休業中で

石巻市のご好意で、埼玉県のボランティアの宿泊先として

借りているということらしい。






20110831RIMG0761.jpg

キャンプ場であるからして

もちろん夕飯は、皆で手作りだ。





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鮎川の瓦礫だらけの街で、行商をしていたおじさんから買い求めた

有り合わせの材料でカレーを作った。

肉が手に入らなかったので、ホタテの缶詰を利用した

ホタテカレーだ。

1日の作業を終え、疲れた身体で星空の下で

カレー奉行の指導の元で出来上がったカレー。





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キャンプ場の管理棟で

和気あいあいと夕食の準備をする。






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手に入った材料で作った

夏野菜のトッピングと冷や奴。





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倉庫にあった救援物資から拝借した

紅ショウガ。





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キャベツの塩揉みと玉葱とナスの味噌炒めと

牡鹿半島で唯一営業をしているコンビニで買い求めたビールが

私の誕生日の夜の晩餐だった。




もちろん、この夜が私の誕生日であることは

誰にも言わなかったけれど

「お疲れさま」と皆と乾杯して

そして私自身に「誕生日おめでとう」と心の中でつぶやいて

ビールを飲み干した。

疲れて乾いた喉に冷たいビールは最高に美味しくて

ホタテの香りのするカレーは泣けるほど美味かった。



8月27日

誕生日の夜は楽しかった。



6月に初めてボランティアに参加をした時には

笑顔が許せなかった。

参加者が笑顔でピースサインをしながら

記念写真を撮ることが許せなかった。

避難所に寄せ書きを残し、壁に貼り、その前で笑顔で

記念写真を撮ることを「なぜだ?」と腹立たしく感じていた。

活動の手柄を自慢げに話す参加者に腹が立った。

破壊された町並みを見ては涙がこぼれ

被災者の話を聞いて泣いた。





8月の終わり

震災から半年近くが過ぎたこの日に私は、たくさん笑って

ピースサインをして写真に納まって

たくさんお喋りをして、そしてたくさん働いた。

笑顔でいることを、心から楽しいと感じることを

自然に自分自身に許していたことに、気が付いた時には驚いた。

もういいんだよ。

何も出来なくてごめんなさいとか

自分だけが普通に暮らしていることを申し訳ないとか

そんなことを思ったりしなくていいよ。

楽しみながら、ボランティア活動したっていいんだ。

息の長い活動をするのなら、楽しまなくちゃ

それは不謹慎でもなんでもないこと。




時の流れに身を任せて

自分自身の気持ちに正直に、動き回っていた私が

やっとたどり着いたこと。

それは、自分自身を許すこと。

やっと許せたこと。



誕生日の『晩餐』が終わり、真っ暗な道を

懐中電灯の灯りを頼りに管理棟からケビンへ戻る途中で

誰かが「天の川が見える」と言い出した。

懐中電灯の灯りを消して空を見上げた。

満天の星空にはっきりと、雲のような白い帯が見えた。

それは子どもの頃に石巻の夜空で見た天の川そのものだった。

満天の星に抱かれて、子どもの頃の記憶と同じ天の川を見つめて

「誕生日だ、わたし」と、またつぶやいた。

こぼれ落ちそうな星たちに包まれた

故郷での最高の誕生日だった。






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土曜日は旅の記憶 Vol.22『ハッピーバースディ』






私は母親が特殊な人格だったために

誕生日を祝ってもらった記憶がない。

私自身も人に甘えるのが苦手な性格のため

母に、誕生日を祝って欲しいとねだることが出来なかった。

子ども時代から、友人たちやボーイフレンドにも

誕生日をアピールすることは

得意ではなかったし

それは結婚後も、離婚後も現在に至るまで変わる事はなく

ああそういえば今日は誕生日だなあと、一人で思い出しては

今年も何もないわねと、毎年ため息をついている。




そんな私でも盛大に誕生日を祝ってもらったことが

長い人生で3度ある。

3度とも恋して止まないモルジブでの出来事だ。

私の誕生日は長い夏の終わりにやって来る。

お盆を過ぎその時分になると、海外への旅費が格段に安くなる。

だから、誕生日を狙って出かけるわけではないけれど

夏の終わりにちょっとした休暇をとって何度か、モルジブへ行った。

ホテルのチェックインの際にパスポートを提示するわけなので

大抵のリゾートでは誕生日当日に宿泊していれば

サプライズということで、祝っていただける。







6度目のモルジブの旅で迎えた、3度目の誕生日の夜に

レストランのウエィターの一人が

「歌ってもいいか?」と私に聞いたのだと思う。

分けも分からず、深く考えもせずに

「イエス」と答えたら最後

不覚にもウエイターの全員に取り囲まれてしまった。





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あれよあれよと言う間に

満席のゲストの視線を浴びながらの

Happy birthday to you の大合唱が始まった。

顔から火が出るとはこのことで

後からウエイターの一人に聞いて知ったのだけれど

大抵のゲストは、コーラスのサービスは『お断り』なのだそうだ。






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私の名前が描かれたバースディケーキ。

日本では一度もお目にかかったことのない

私のためのバースディケーキは

遠い異国の南の島で3度、食べた。

バタークリームとココナッツと、あとは何が入っているのだろう?

3個とも甘くて甘くて甘くて、痺れる程に甘かった。







20110826mal31.jpg

遠浅の白いビーチに、どこまでも延びる長い桟橋のあるこの島は

2004年12月26日にスマトラ沖の地震のための大津波に襲われた。

たくさんのコテージもレストランも何もかもが水に浸かった。

私と姉とがこの島に向ったのは

津波被害から立ち上がり、リゾートが再生した後の

スマトラの大津波から2年後のことで

見事に津波の爪痕は何処にも残っていなかったことに

驚いたことを覚えている。






夏が終わる。

明日は誕生日だ。

もうこの歳になると、祝ってもらえないことなど

なんとも感じはしないけれど

一年の節目になることだけは確かだ。

明日の誕生日は、被災地で迎える。

今夜、石巻行きの『チーム東松山』のボランティアバスに

同乗させていただいて、牡鹿半島鮎川へ向う。

もちろん、誕生日だなんてことは、

チームの誰にも言うつもりもないので

明日は、私が私の心の中で、「誕生日だね。」と

語りかけるだけで終わるだろう。

けれど、これまでの誕生日の中で、明日の誕生日が

いちばん生きている事を、実感できる誕生日になるのではないかと思う。





きっと明日は、いい汗が流せるはずだから。














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せっかくパグズと出かけるのなら、福島に行こう!







震災後初めての1泊旅行。

せっかく出かけるのなら福島県へ。

原発事故のイメージのある福島県に

少しでも元気になってほしいから

ほんのささやかなお手伝い。




なーんて、格好付けて言ってるけれど

本当は震災のずっとずっと以前から

一度は行ってみたかった町がある。






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江戸時代の町並みを現代に残す大内宿。

パグズ連れのお出かけだから

涼しいのはよかったけれど、生憎の雨。

ハイシーズンの週末にしては少々寂しいと感じる人の波。

お天気だったなら、人で埋め尽くされているかしら? と

心配になってしまう。






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大内宿から少し下った

南会津東部を流れる大川が形成する渓谷、塔のへつり。

ここは人影もまばら。




雨だからだよね? と

余計なお世話かもしれないけれど、やはり心配になる。






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泊まったのは

レジーナの森のレイクサイドコテージ。






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愛犬に優しい施設のあるレジーナの森へは

数年前の5月の末に一度だけ日帰りで行った。

その時には、施設の近くの駐車場は全て満車で止められなくて

一番遠くの駐車場に車を止めて

シャトルバスで施設まで向った。

温泉も湖畔もコテージ前も人、人、人で溢れていた。

記憶には残っていないけれど、花の季節だった気がする。

今回はメイン施設フロント前の駐車場に空きがある。

駐車場の誘導の係員も不在だ。

くどいようだけれど、雨模様だとしてもハイシーズンの週末だ。

日帰り客の少なさが、往事を知っているだけに

寂しい気がした。






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大内宿のお蕎麦屋さんの前庭で

『きんつば』をねだるパグズ。

この地方では今川焼をきんつばと呼ぶとのこと。






CIMG1161.jpg

カートにおとなしく乗っていたごほうびに

きんつばの皮の部分を食べさせた。





3パグズ連れての外出は、

不本意ながらも、何処へ行っても目立ってしまうけれど

この日もたくさんの人に声を掛けていただいた。

観光客だけではなく、お店のおばちゃんたちにも。

「赤ちゃんが乗っていると思ったらわんちゃんなのね」

「可愛いわね」

「いい子にして乗っているわねえ」

その都度、笑顔で

「ありがとうございます」と答える。

「可愛いブルドックだね」という優しい間違いには

「パグです」と優しく答える。




「可愛い」「可愛い」と

たくさんの笑顔を向けていただけるのは

やはり嬉しい。






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雨に濡れた花がとてもきれいだった。





大内宿やレジーナの森へ向う途中

天栄村の田圃は稲が青々と育っていた。

どの田もどの田も緑で一杯だった。




だから

願わくはこの田園の青々とした稲が

無事にお米になって

消費者の口に入りますように。

たくさんの観光客が福島に訪れますように。





秋の紅葉を見にまた福島に行こう。

そして、来年は福島県で採れたお米を食べよう。

それが私の、たくさんの笑顔への恩返し。







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鎮魂歌の木霊する川面に何を想う








7月31日

石巻川開き祭りの前夜祭での

灯籠流し。




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読経と鎮魂歌が木霊する川面を

1万もの灯籠が

ゆらりゆらりゆらり

流れる。






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泣いている女性がいた。







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ひと目もはばからないで

涙を拭いもしないで

幼子が泣くように泣いていた。






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大切なひと

見送るために

泣きながら、たった一人で必死で立っていた。






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「ごめんね」と心の中で謝って

川面に目をやる。





ゆらりゆらり





灯籠は

オレンジ色のほのかな火を灯しながら

北上川の河口から

海の彼方へ消えて行く。





ゆらりゆらり




たくさんの哀しみを、想いを乗せて。








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福島県いわき市の抜けるように青い空







市民ボランティアの活動内容は

各自治体によって微妙に違う。

これまで参加した、女川町、東松島市、南三陸町では

マッチングはセンターサイドだけで行なわれ

指名された班の活動内容に従うだけだったけれど

福島県いわき市ではマッチング自体に、ボランティア希望者も参加でき

自分で仕事を選ぶという方針だったのがとても新鮮で

公共施設での作業も市民ボランティアの活動内容に含まれていたことも

いい意味で驚きだった。





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この日は日帰りの参加だったので

朝4時起床、5時に家を出て

順調に行けば、3時間弱でセンターまで到着するはずだったのに

道に迷い、4時間かかって到着。

到着後、初回受付を済ませ、

初回の人が受けなければいけないオリエンを受け、

その後、私が選んだ作業は

いわき市の沿岸部に建つ県立高校の側溝の砂出しだ。






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すでに先発隊の20名が向っている高校に

後発隊18名のボランティアの中の1人として

個人持ち出しの乗用車に同乗させていただいて

向った。






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この高校は海岸の堤防のすぐ傍という立地だったので

1階の天井部分まで津波が押し寄せた。






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全ての施設の1階部分は

流され壊され砂にまみれてしまったけれど

2階以上が無事だったので

2学期から、この校舎で授業が再開されるそうだ。





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『砂出し』という単純な作業のモチベーションアップのためにと

壊れた体育館の内部を見学させていただいた。





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どの被災地でも感じることだけれど

本当に自然が牙を剥いた時の恐ろしさを感じる。






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すでにこの高校にはボランティアの手が幾度も入っていて

砂の詰まった土嚢袋の量が半端な数ではなかった。






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側溝をここまで奇麗にするのには

いったい何日を費やしたのだろう?

この日、私たち18名が休憩を含め4時間で砂を出せたのは

長さにして15メートルもあっただろうか。

側溝の周りにも山のように砂が重なって、

容易には掘り出せないし、重いし、暑いので

作業は10分程度しか続けられない。

10分続けて10分休む。

その繰り返しなので、遅々として進まないのだ。

けれど、少しずつでもやるしかない。

ちょっとだけでも前に進めば、いつかはこの災難を

越えられる日が必ずやって来る。








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堤防の傍に建っている壊れた講堂から

鐘や太鼓の音が聞こえた。

ボロボロに壊れた壁の間から高校生の若者が20人ほど、

お囃子の練習に汗を流していたのが見えた。

天井ははがれ落ちて、床は砂まみれの練習場だ。

近づくと、日に焼けた黒い顔から真っ白な歯をのぞかせて

「こんにちは」と挨拶をしてくれた。

何の練習だったのだろう。

作業の間中、鐘や太鼓の音色は途絶えることなく

青い空に響き渡っていた。

彼らはきっと素敵な大人になるんだろうなと

そう思った。



いつもの梅干しのおにぎりと

菓子パンの昼食を

正面玄関の前のコンクリートの床に座って食べた。

ふと見上げた空が、青く澄んでとてもきれいだった。

今年の夏いちばんの青空だった。







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