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折れそうな心を真っ直ぐに






金曜日の夜に埼玉県東松山市を発ったバスは

3度の休憩と、朝昼食の買い出しを終え

牡鹿半島の先端の鮎川に向う前に

石巻で一番被害の激しかった門脇・南浜町地区に立ち寄る。






20110921RIMG1044.jpg

まだ夜が明け切らない石巻の風景。

震災からわずか2週間後に、この地区を訪れて以来

何度足を運んだだろうか。




今回のツアーの参加者の中には

被災地へ来るのは初めてという人もいて

初めて見る被災の現実に呆然としていた様子だったけれど

3月に見た地獄絵からは想像もつかないほど

街はきれいになった。





20110921RIMG1045.jpg

焼けこげて転がって折り重なっていた

たくさんの車が撤去されただけでも

恐ろしさが和らいだのだけれど

建物の撤去が進んだ剥き出しの地面の辺一面に

夏草が生い茂っているだけでも、風景は優しくなるものだ。





20110921RIMG1048.jpg

8月の初め、

灯籠流しの際にこの地区を訪れた時には

新しい電柱が立てられて電線が張られていたことが

嬉しかった。

暗闇の街のなかに、ぽつんと明りが灯っていた家を見つけた時に

戻って来ているお宅があることに驚いたものだったけれど

人が戻ってくればライフラインも復活するのだと

希望に繋がるのだと、やはり嬉しかった。





20110921RIMG1047.jpg

寝ぼけまなこでバスから降りたために

写真を撮り忘れてしまったけれど

『がんばろう石巻』の看板前の道路が

アスファルトで舗装されていた。

前回、8月27日の誕生日の日にこの場所に来た時には

あちらこちら陥没して、でこぼこの砂利道だった道が

北上川に向って真っ直ぐに伸びていて

新しいアスファルトの上に引かれた白線が

朝日を映して眩しかった。



本当に歯痒いほどのスピードだけれど

着実に復興は進んでいる。

幾度となく同じ場所を訪れて

ほんのわずかな違いを発見することが嬉しい。

そしてそのことが、ボランティアに向う際に

被災地の現場を見て折れそうになってしまう心を

真っ直ぐにしてくれるのだ。






| Ishinomaki | 09:19 | TOP↑

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バカヤロウ!







昨日の夜のTVで流れたニュース。

愛知県日進市の花火大会で

福島県川俣町で製造された花火の打ち上げが中止された。

放射性物質の拡散を恐れた市民からのたった20件の抗議。

その中には「やめるなら、岩手、宮城のも全部やめろ」

という抗議もあったそうだ。

まったくもって行政の及び腰には腹が立つ。

そうした不勉強きわまりない、しかも人情のかけらもない抗議に

毅然として立ち向かえないものなのか。

この件では、大勢の日進市民は心を痛めていることと思う。

被災地に想いを寄せ、復興を願う大勢の市民感情とかけ離れたことを

行政ってやつは、やってくれるんだね。






20110920RIMG1046.jpg

それにしても、京都の件でも今回の件でも

大げさに騒ぎ立てて抗議をするような連中は

福島県産の食品や宮城、岩手県産の食品を食べるなんて

考えもしないのだろうね。

食品だけじゃなく、あらゆる製品を手にしないかもしれないし

もちろん東北に旅行することだって考えないかもしれない。

ああ、だからボランティアに参加することだって

考えたこともないだろうね。




連中に言ってやりたい。

知ってる?

トレッドヘアーやスキンヘッド、ロンゲを後ろに束ねて

ピアスを何個も耳にぶら下げた若い兄ちゃんが

車中やテント生活を苦ともしないで

何ヶ月も被災地に住み込んで泥と汗にまみれて格闘しているのを知ってる?

奥さんや赤ん坊を都会に置いたままボラセンのスタッフとして

頑張っている青年がいるのを知ってる?

仕事を辞めて、有り金が尽きるまで被災地に留まる決心をして

被災地や被災した人々に心を寄せているのを知ってる?

たくさんいるよ。

東北に行けば、そんな若者がゴロゴロしているんだ。




抗議するような連中の首根っこをひっ捕まえて

被災地に連れてきて見せてやりたい。

あの光景を見たら、「福島県産の花火を打ち上げるな!」とか

「高田の松を燃やすな!」とか、そんなことは言えないよ。

バカヤロウ。

被災地を、東北を、福島県を差別するな。




写真の若者はまだ20代の前半だ。

同じバスに乗って丸2日間、行動を共にした。

ボランティア参加は今回で5度目。

彼が言っていた。

「映像で見ていただけの時は、自分が被災地に行って何ができるか不安だった。

 心が折れてしまうかもしれないと思った。

 だけど、現場を見てしまったら放っておけない。

 どんなことでもいいから、やらなくちゃいけないと思った。」

遊びたい盛りの若い子でさえ、そう思うのだから。




先に上げた、被災地に住み込み

被災者と苦楽を共にしている若者たち。

知ってる?

彼らは皆、無給で働いているんだよ。














| Ishinomaki | 09:41 | TOP↑

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パグブログでは無くなったことも、ちっとも惜しくない。






昨夜11時に

被災地の2泊3日のボランティア活動を終え

我が家に帰って来た。





今日からまた日常が始まる。






20110919CIMG1517.jpg

このブログはそもそもは『パグ』のブログで

私の愛する3頭のパグの写真と私のパグへの想いと

日常とを織りまぜて綴ったもので

開設以来、大切に大切に育てていたブログだった。

大切にしていたブログだったからこそ、3月11日の震災以来、

『パグブログ』を休止して『震災ブログ』にしてしまったことを

私自身のために震災のことを記録する以外に意味はあるのだろうかと

ずっと問いかけてきた。

パグのブログを楽しみにして下さっていた方からの

お叱りのメールを受け取ったり

掲載している写真からは恐怖しか伝わってこないとのお叱りも受けた。

震災発生当初には、一日にユニークで400

トータルでは1,000を越えるアクセスがあったものの

最近ではその数も3分の1以下に減った。

震災発生から半年も過ぎて、人々の興味が震災から離れたこともあるけれど

私が人を惹き付ける内容の記事が書けないことが

来訪者の減少の大きな原因と思う。

『パグ』のこと以上に人を惹き付ける内容のものを書けないのに

私が大切に育ててきた『パグブログ』を止めてまで

震災のことを綴る意味があるのだろうか。

私自身のために記録するだけなら、この『七夕日記』ではなく

誰にも存在を知らせない震災だけのブログを立ち上げていいのじゃないかしらと

毎日のように迷い悩んでいた。







20110919CIMG1526.jpg

『チーム東松山』

東松山と名が付いていても、実は東松山市民の参加が少なく

埼玉県のあちらこちら、遠くは川崎から集まった

総勢20名のメンバー。

その20名を乗せた帰りのバスで

代表の男性が話してくれた言葉がある。

「皆さん、帰ったら身近な人に現地の状況を話してください。

 多くの人の手をまだまだ必用としていることを伝えてください。

 身近な人に伝えること。

 それがボランティアとしての私たちの役目です。」







20110919CIMG1533.jpg

わたしという人間は、誰かに言葉ではっきり言ってもらえないと

自分の行動に自信が持てない人間で

つくづく情けないと思っているのだけれど

この言葉を聞いて、

悩む必用もないのだと思った。

来訪者が減ろうが、大切にしていたパグのブログだろうが

今の私の役目は一人でも二人でも三人でもいいから

被災地の現状を伝えること。

ボランティア活動の意義と素晴らしさを伝えること。

人助けのつもりで,実は自分自身が助けられていると伝えること。

被災地の人たちの気持ちに寄り添うことを、少しでも伝えられたら

それが私の役目だとしたら、私はそれで満足だし

このブログがパグブログでは無くなったことも、ちっとも惜しくない。







20110919CIMG1560.jpg

この朝顔は4年ほど前にTBSの本社前の

赤坂サカスの広場で配られていた朝顔の種を蒔いたもの。

いただいて帰り引き出しの奥に仕舞い忘れていたものを

今春に見つけたので、ベランダのバスケットに蒔いた。

4年も引き出しの中に放っといたのに健気に咲いてくれるものだと

嬉しくなった。





この文章の冒頭で

私は『今日からまた日常が始まる。』と書いた。

首都圏では貴重な人参畑やコスモス畑に囲まれた静かな住宅地で

パグズの世話と仕事と家事に追われているのが私の日常だ。

普通の、本当に平凡な暮らしで、だからこそ幸せなのだと思う。

このあたりまえの日常が、被災地にはまだ戻って来ない。

私の『非日常』が被災地では『日常』なのだから。

何年先になるのか、先の見えない暮らしが続いていく。

そのことがやはり私には悲しくて苦しい。

活動から帰宅した直後は気持ちが重く、

日常へとリセットするのが難しい。

その持って行き場のない感情を、こうしてブログに叩き付けて

なんとか平静を保っている次第で

だから、こんなブログでも、読んで下さる方がいることが

私の支えになっている。






読んで下さっている方がたへは、何とお礼を言ったらよいのか

「ありがとうございます」の言葉しか見つからないのが

歯痒いのだけれど

震災のことから目を反らさないで、

しかも私の感情が剥き出しの読み辛いブログであると思うのに

読んでくださる方がいることがとても嬉しく

パグブログを休止して、このブログで震災のことを綴って

良かったのだと思う。



明日からまた、被災地の現状とボランティアの活動内容を

綴りたいと思っています。

お時間が許しましたら立ち寄ってください。

本当に本当にありがとうございます。












| My life | 13:10 | TOP↑

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だから私は無関心ではいたくはない








9月11日の埼玉反原発アクション。




20110914RIMG0999.jpg

原発の事故から丁度半年の節目の日なので

参加者はことのほか多いのだろうと

期待を持って会場に向ったのだけど

3ヶ月前の6月11日のアクションの参加者に比べ

ずいぶん減ったように思う。

デモという行動はイデオロギーに関わる行動だから

やっぱり気軽な参加は難しいのかな?

それとも、もはや人々の関心は原発事故から離れてしまったのかしら?





喉元過ぎて熱さ忘るることなかれ。





20110914RIMG1000.jpg

私とて3月11日以前は、こうした行動から無縁だった。

反原発集会に参加をしていても

ここに集う人たちの意見全てに賛同しているわけじゃない。

企業に属して働いたことのない人間なので

労働組合が支持母体の組織はなんだかよく分からない。

けれど

原発事故は終息になんて向ってやしないし

政府の発表は嘘だらけ。

この期に及んで国民をまだ『原発は安全』と欺きたくて仕方がなくて

報道を控え、嘘の数値を報道する。

記者が危険を訴える記事を書いても、デスクで止められ

読者の目まで届かない。

御用学者を各種メディアに登場させ、

この程度の被ばくは健康に影響がないと語らせる。

等々の演説には頷ける。







20110914RIMG1002.jpg

神経質に騒ぎ立てるもんじゃないと言う人もいるけれど

それは風評被害に対してであって

原発の恐ろしさや、

原発はあらゆる生き物や自然を犠牲にして成り立っていることを

声を上げて訴えていかなければいけないのじゃないの? と思う。



南相馬の出身の故郷を奪われてしまった女性が

怒りをこめて、辞任した大臣のことに声を上げた。

「死の町にしたのは誰だ。」



ほんとだよね。

腹、立つよね。

いったい誰が誰の利益のためにやっているの。

推進派は、愛する家族が犠牲になっても進めるの?

それとも自分たちだけは安全だと思っている?



私利私欲、党利党欲優先ではなく

広く国全体、国民全体のことを考える政治を求めるのなら

ひとりひとりが声を上げないと、何も変わらないのに

この参加者の減少は悲しくなっちゃうね。










110911_1610~0002

それでも気持ちを奮い立たせて

デモ行進の列に加わる。

前回の行進では、ほとんどの参加者が

マスクをして顔を隠していたけれど

今回はマスクで顔を覆っている人は皆無だ。

人数は減ったけれど、原発はいらないと叫ぶことが

正しいことだと皆、確信したのだと思う。

だからパワーアップ!

大宮の駅前の繁華街の人の波を通り抜け

たくさんの人たちの視線を浴びても

恥ずかしいことなんてない。

へっちゃらだ。





110911_1631~0001


ねえ、原発事故は何も終わっていないよ。

ねえ、福島の人々は今も苦しんでいるよ。

ねえ、今度他の原発で同様の事故が起ってしまったら

日本の国の存亡だって危ういよ。

原発事故はパンドラの箱に残っていた、人類に与えられた最後のひとつ

希望さえも奪うよ。

だから私は無関心ではいたくはない。







※今週末に再度『チーム東松山』主催のボランティアバスに乗り
石巻市鮎川に向います。次回更新は週明けになります。
※9月6日にブログに誕生日のお祝いのコメントを寄せてくださった方へ
このブログにはコメント表示欄がないことで、お祝いのコメントを表示できなくてごめんなさい。
お気持ちはしっかり受けとりました。どうもありがとうございます。



| Ishinomaki | 09:22 | TOP↑

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石巻からの招待状






一昨日の9月11日には

私の出身中学校の4回目の同窓会が

石巻で開かれていた。

30歳、40歳、50歳になった節目の年に開かれていて

次の開催は60歳になる年のはずだった。

私の出身中学校の通学区域は浸水区域に有り

日和山に実家のある者を除いて、

ほとんどの者の実家が津波被害に遭ったのではなかろうか。

幹事会のメンバーの現住所を見る限りでは

現在住んでいる家までもが全壊してしまった者が多いのではと思われた。

2ヶ月ほど前に届いた同窓会の招待状には

震災から半年後の9月11日に集まって

今後の石巻の復興・発展にどのように協力できるか

語り合いましょうとの主旨が書かれていた。




私の石巻への想いはとても複雑で

同窓会へは過去3度とも出席してきたのだけれど

今回は迷わず欠席に丸を付けて

往復はがきを切り取ってポストに入れた。

行けない。

行きたくない。

なぜそう思ったのか、あまりに複雑すぎて

書き残すこともはばかられてしまうほどだけれど

だぶんこれからもこの複雑な感情は消えることはなくて

たぶんこれからは同窓会の出席は、私には無いと思う。



 


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同窓会への欠席を決めた9月11日。

私は地元埼玉の反原発アクションに参加をするために

大宮にいた。

3ヶ月前に参加したときに見かけた記憶のある顔ばかりだった。

人数は減ってしまったように思う。

活動家などではない普通の人たち。

3月11日までは、このような集会に参加をするなんて

夢にも思っていなかった、ごくごく普通の人たち。

たまたま持ち合わせていた、人を想うという『感性』が

ここに集うということを、命じたのだと思う。

優しさとか哀しみとか怒りを素直に表せる感性だ。





叱られることを覚悟で書けば

震災や原発事故に興味や関心があっても

何も行動に表さなければ、それは無関心と同じ。

その無関心さが、このような社会を生み出してしまった。

だから少なくとも、今の日本の50歳以上の人間は

被害者であり加害者でもあるのだと思う。



無関心だった私。

反対してこなかった私。



これからの生き方を模索中だけれど

前を向いて歩いて行きたい。

一昨日にはNHKが石巻の日和山の高台をキーステーションとして

一日中震災の番組を放送してくれたおかげで

石巻の当日の風景を家に居ながら見ることが出来た。

アナウンサーの後ろに見える建物群の中に

同級生の実家がたくさんある。

その中には遊びに訪れたことのある家もあって、

それはとてつもないノスタルジックな感情を

私に引き起こしてくれたけれど、もう振り返りたくはない。

これからは、前を見つめて生きていたいのだ。






| Ishinomaki | 08:41 | TOP↑

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