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やり切れない想いを知っていただきたくて。





9月18日、

女川を視察した後に、皆を乗せたバスが訪れた先は大川小学校。

児童のほとんどが津波に犠牲になったあの小学校だ。

このブログでは、7月19日の更新

『私はこれまでに、こんなに悲しい場所を他に知らない。』

取り上げた。




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本当は、再度この場所を掲載することについて

散々迷ったし、今でも迷いがあるのは確か。

実は先月の鮎川ツアーの視察でも

私はこの場所を訪れていて、写真を撮っていた。

何度来ても悲しくて苦しくて、涙が溢れる場所で

だから、先月は写真を載せる事ができなかった。





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今日、やはり載せようと思ったのは

この場所が現在どうなっているかを伝えたかったから。

それ以上でもそれ以下でもなくて。

そして訪れた人たちのほとんどが感じる

やり切れない想いを知っていただきたくて。






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かつては家並みがあった学校の周辺は

瓦礫が撤去されて何もかも無くなってしまった。





20110930RIMG1088.jpg

学校もボランティアの手ですっかりきれいになった。

校舎の前には立ち入り禁止の札とロープが張られていて

橋のたもとの祭壇も撤去されて

校門跡に小さな祭壇が設えてあるだけとなった。







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すっかり何もかも無くなってしまったこの場所は

瓦礫集積場になった。






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そして、木片の瓦礫を堆肥に変える

堆肥作りが行なわれている。






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時々訪れるご遺族や関係者や、私たちのようなボランティア以外は

瓦礫運搬のトラックや、堆肥作りのための重機の音がするだけで

他に人影はない。





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これがなんともやり切れない。





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何でこの場所に瓦礫置き場が?

何でこの場所で堆肥作り?






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瓦礫を撤去する場所が無かったり

行政も人手が足りなくて細かい配慮が出来なくて

仕方のないことなのかもしれないけれど

大勢の小さな子供が亡くなった場所だから

ご遺族の気持ちを考えると何ともやりきれない。



そもそも震災前に市がきちんと危険を認識していたら

子供たちを守ってくれていたら、こんな悲劇は生まれなかったのに。



子供たちに私が出来る事は

憤りを抑えて、安らかにと祈る事しかできないのが

たまらなく悲しい。







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| Ishinomaki | 10:49 | TOP↑

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気づいたときのよろこび







9月18日、日曜日の女川。






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女川町立病院の駐車場から見た風景。




震災後、女川へは

5月6月8月、そして今回と

4度来た。






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瓦礫、

すっかり片付いたなあ。





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横倒しになったビルはそのままだね。

ああ、岸壁の近くは冠水しちゃっているなあ。






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ん?

道路、舗装されてる。

新品のアスファルトに真っ白な白線が

眩しいな。





これは嬉しかった。

だから、バスの運転手さんに

「舗装されてますね!」って言って

一緒に喜んでもらった。



道がキレイになれば街も必ずキレイになるからね。

いつかきっとね。






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昨日のNHKニュースで見た。

女川でサンマの水揚げがあったって。

冷凍冷蔵の設備がないから

例年よりずっと少ないって。

だけど、必ず以前のように活気ある港が戻ってくるよね?





今度女川へ来る時には

向こうの道路もキレイに舗装されているといいな。







| Ishinomaki | 10:08 | TOP↑

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ジレンマ






『チーム東松山』の鮎川ボランティアツアーには

被災地でのボランティア活動の他に

鮎川近辺の主立った被災地の視察も含まれている。

TVの映像だけではなく

実際に自分の目で見て感じた事を伝えることも

ボランティアの大切な役割なのかと思う。





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9月17日、鮫浦での作業終了後

夕食の買い出しの途中で訪れた塚浜から見た

女川原発。

写真で見る限りでは、

海面に近い場所に建てられているように見えるけれど

海抜14.8メートルの敷地に建っている。

そう言われて、よく見れば、

街灯のてっぺんより敷地はずっと高い。




反・脱原発アクションに参加をしている私だけれど

実際に女川の原発や女川の壊滅状態の町並みを見ると

激しいジレンマに襲われる。

原発の再稼働が無くなってしまったら

女川や周辺の小さな町の人たちの暮らしはどうなる?

それを考えると何が正しいのか

これからどうするべきなのか

本当に分からなくなる。





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3月11日の大地震と大津波の日に

小高い敷地に建てられたおかげで安全に停止した

女川原発の体育館では

たくさんの人々が避難生活を続けたそうだ。

私もかつて、幼かった息子達を連れて

原発のPRセンターを見学したことがある。



地域の人々の暮らしに密着しているのかな、と思う。

だからきっと激しいジレンマは私だけじゃなくて

多くの人々の共通する想いなんだろうな。









| Unclassification | 12:24 | TOP↑

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掘る。ひたすら掘る。






今回9月17日の、ボランティア活動の現場は

牡鹿半島の東側沿岸にある鮫浦という小さな浜。

 

 
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閉じた扇子のように海に向って狭く広がって

透明な水の美しい小さな浜だ。




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約30軒ほどあった集落は

高台の1軒を除いて全滅。

お年寄りの3名が津波に流された。

うち、2名の行方がいまだに分からない。




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山あいの道路に沿って小さな谷は

段々畑になっていて

畑は全て、海から運ばれた砂で埋まっていた。






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小さな港の小さな岸壁も津波で壊されて

残された岸壁も、地盤沈下のために

海面とすれすれだ。





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写真が小さくてよく分からないけれど

中央で男性が数人並んで腰を下ろしている場所は

牡蠣の殻剥きの作業場。

本来なら、あそこに並んでいるのは

浜の元気なおばちゃんたちで

威勢のいい声が聞こえていたはずだった。





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津波を生き延びた浜の人たちのうち

仮設住宅に入居したのは3軒ほどのお宅で

あとは皆、石巻に持っていた家や娘息子・親類宅で暮らしていて

漁師さんたちは朝早く石巻を出て、この浜に通勤しているそうだ。

今、この浜にいるのはそうした通勤の漁師さんと

復興復旧のための作業員と私たちボランティアの人間だけで

女性と子どもの姿はまったくなくて

生活を奪う自然の怖さをあらためて感じた。





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今回の作業は、重機では取れない

山のノリ面に散らばっている瓦礫の撤去。




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急な斜面をよじ登ったり

小さな川を越えたりと

けっこうなハードさだ。





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今回の現場には蜂の巣があって

蜂に刺されて作業の中断を止む無しとしてしまった

残念な参加者も2名出てしまった。




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浜の瓦礫撤去の難しさは

漁師さんたちの大切な漁具が

複雑に絡まりあって散らばっているということ。

この漁具を壊さないように

レスキューしなければならないということに尽きる。




110917_1342~0001

写真の中央、ガードレールから山の斜面に向って掛かっている

青い物は養殖の網だ。

この四角い網の箱が何個も繋がった漁具が

山の斜面の松の枝に複雑に絡まっている。

修理すれば、まだ使える立派な物だから

時間をかけて、丁寧にレスキューする。





110917_1519~0002

私も砂に埋まった網の箱を1つ見つけた。

ゴム手袋をはめた手で掘って取り出そうとすると、

後からロープで繋がった次の網が出てくる。

掘っても掘っても次々と繋がった網が出てきて

気が付くと夢中になって40分ほど掘っていただろうか。

やっと取り出せた。





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この日は山の斜面の倒れた松の木の下に

絡まっていた、この養殖用の網を

やはり松の木の下の地面を掘ってレスキューした。



後は小さな瓦礫を広い集めた。



バス代を持ち出しで、2泊3日を費やした成果は

養殖用の漁具2つのレスキュー。

本当に小さな力なんだよなあと思うけれど

ささやかなことでも漁師さんや浜の人たちの

お役に立てたならば本望だ。




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鮫浦浜の作業小屋に掛けてあった手作りの看板。



どんな事でも出せば出すほど

強くなる俺達の力で家族のため

鮫浦の為に がんばろう 鮫浦




数日前、鮫浦にいた人たちは

この台風でどうしたかしら。

あの小さなきれいな浜はどうしたかしらと

先日の台風の猛威が、なんて非情なものだと胸が痛む。

毎日を愛しい浜の復活のために頑張っている

鮫浦の全ての関係者のために

台風の被害が少しでも少なかったことを

心から願っている。






| Ishinomaki | 09:22 | TOP↑

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楽しむことって、愉快に騒ぐことだけじゃない。







「あまり無理をしないでね。」

「頭が下がります。」

「大変ですね、お疲れでしょう?」





被災地のことやボランティア活動のことをブログ記事に書くと

このような言葉を掛けていただく。

私を気遣って掛けてくださる言葉はありがたいしことだし

とてもうれしいことなので

言葉を掛けて下さる方には申し訳ないけれど

私は決して無理はしていないし、大変だと思ったこともない。

月に2回のペースで東北まで出かけていれば

疲れも溜まってきてはいるし、

被災地へ行き、悲惨な光景を目にすれば

心が折れかかることはあるけれど

それ以上に、ボランティア活動は楽しい。







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「楽しい」と表したら不謹慎と受け取られるかもしれないけれど

「わいわいと愉快に騒ぐ楽しみ」ということでは決してない。

うまく伝えられるか不安なのだけれど

例えばボランティアセンターから作業現場や作業内容を

告げられる時にも楽しみがある。






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自分の目で見て確かめたかった各地の状況が確認できるし

作業内容も、瓦礫撤去、泥出し、避難所のお手伝い、仮設住宅の物資の運搬

草刈り、個人のお宅のお手伝いなど多岐に渡るので

様々な経験が出来て、それが楽しいのだ。

正直、作業はきつい。

けれど、きつい作業を通して、現場ではその時限りではあるけれど

参加者の間に確かな連帯感が生まれる。

それが楽しい。





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被災地は今だに悲惨な状況ではあるけれど

例えば上の写真の奥の建物のように

足場が組まれている建物を発見することも楽しい。






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前回、8月の末に写真の鮎川を訪れた時には

『石巻市震災復興ボランティアセンター鮎川支部』前の

ガソリンスタンドは、工事中だった。

上の2枚の写真を見比べてもらえれば違いは歴然。

今回の9月17日には上の写真のように立派なスタンドが出来上がって

お客さんの姿もあった。

こうした違いを見つけることが楽しい。



同じツアーで出会って連絡を取り合うようになった年若い友人も出来た。

何よりも、大勢の人たちと出会って

人間っていいものだと、日本人って捨てたもんじゃないと

感じられることが楽しい。



ボランティア活動は

「やってあげる」のでは決してなく

「させていただく」のだと聞いたことがある。

本当にその通りだと思う。

ボランティアに向うことは

決して大変なことではないし、無理なことでもない。

何をするのでも、自分なりの楽しみをそこに見いだせば

自分自身の楽しみになるのだから。








| Ishinomaki | 08:54 | TOP↑

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