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取り残されてしまった気がした





10日前の10月21日金曜日、東松山市西口駅前23:00発の

石巻市鮎川行きの『チーム東松山』のボランティアバスに乗った。

一行はリピーターを含む総勢20名。

私もこのバスの乗車が4度目になるリピーターの一人だ。

バスは東松山から1時間程で最初の休憩地、佐野SAに着く。

小雨まじりの深夜であるにもかかわらず、たくさんの車が駐車しており

たくさんの人たちで売店は賑わっていたけれど

前回の10月始めまで、この深夜のSAをあれほど賑わせていた

ボランティアの人々の姿は、私たち一行を除いて見当たらなかった。

3月の震災発生当初は、物資を積んだ救援車が駐車場に溢れ

自衛隊の車両が行き交い、まるで戦地へ赴く様だった。

春夏と大型トラックの波が引けた後も、

ボランティアの人々を乗せた大型バスが駐車場を占領して

トイレの洗面台には、お揃いの蛍光色のメッシュのベストを着た若者や

名札を付けたボランティアの人たちが、この後のバスの消灯に備えて

歯を磨いていた。

10月24日の未明には、その光景がどこにもなかった。

広い駐車場には、ボランティアを乗せたバスは、私たちのバスと

もう1台の2台がぽつりと止まっていただけだった。

この後に立ち寄った他のSAでも、

ボランティアバスを見かけることが無かった。







20111031RIMG0362.jpg

ボランティアを乗せたバスがいなくなってしまったのは

東北道のSAだけに限ったわけではなく

あれほどたくさんのバスが駆けつけていた鮎川浜の

ボランティアセンター前からもバスの姿が消えた。

視察帰りに必ず立ち寄る道の駅の駐車場からも同様に

ボランティアバスは姿を消していた。




ボラバスが姿を消した駐車場には、私の想像でしかないけれど

おそらくは秋の穏やかな気候を楽しむ行楽の人々の車で溢れていた。

車が溢れているのはボラバスが姿を消した、それらの駐車場だけではなく

大型ショッピングモールやスーパーの駐車場であるとか

遊技場の駐車場であるとか。

人が集まる場所にはたくさんの地元の人々の車で溢れていた。

これは、震災から7ヶ月半も経って、

人々が震災前の生活を取り戻した証であるのだから

喜ばしいことなのだろう。

秋の行楽を楽しみ、ショッピングを楽しみ、遊技場で遊ぶ余裕ができた事は

被災地から遠く離れた場所で、被災地を見守っている私たちには

安心材料のひとつなのだろう。





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けれど、別の方向に目を向けてみれば

被災地の現状は、やはりまだまだなのだ。

上の2枚の写真は鮎川浜の市街地だ。

いまだに壊れた家屋は多く存在しており

瓦礫は道路や河川や田畑や海岸のあちらこちらに散在している。






20111031RIMG0051.jpg

この写真は女川町の観光施設『マリンパル』だ。

建物内部にはボランティアの手が入ったが

建物周囲は、まだまだ瓦礫が散乱している。

女川や鮎川に限ったわけではなく、本当に手付かずの場所が

まだまだたくさんある。

けれど、悲しいことに、こういった瓦礫の散乱している場所も

撤去の依頼が無ければ、私たちボランティアは一切、手がつけられないのだ。

10月22日に私たち20名が鮎川浜のセンターから与えられた作業は

数名でも作業が完了できるほどの軽作業であったし

だいいち、石巻市の専修大学に置かれていたボランティアセンターの本部が

閉鎖されてしまったというではないか。






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22日のこの日、鮎川浜で作業をしていたボランティア団体は

私たちの他に、1団体だけ。

やはり軽作業に見受けられた。

震災の傷跡が徐々に癒え、普通の生活を取り戻している地元の人々と

今だに被災の中から抜け出せない被災者の方々の間には

悲しいほどの隔たりがあると思う。

市街地から遠く離れた仮設住宅に暮らす人々や、浜の人々と

立ち直った人々の間にある隔たりは埋めようもないのかもしれない。

そして、今だ溢れる瓦礫を前にして、

その瓦礫に手も足も出せないボランティアとしての私は、

人には計り知れない無力感に囚われてしまう。





いったい私は、ここに何をしに来たのだろう。




終わっていないのに

終わった振りをしている人々を前に

ちっぽけな私が、何を叫んでも何も届くわけがないのだ。






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私の心はいまだ、3月27日に被災地石巻の地に立ったあの時の

とてつもない喪失感から抜け出せないでいて

人々の震災の記憶が薄れるスピードに付いていけない。




私は6月からボランティア活動を開始して

大勢のボランティアさんたちに出会った。

その数は数百人、

団体も加えれば数千人に上るかもしれなくて

けれど、地元宮城県在住のボランティアには2名しか出会えなかった。

団体に関しては皆無だった。

私の活動場所で、たまたま宮城在住の人が

活動していなかっただけかもしれないが

そのたった2名の方は「地元の参加が少なくて」と嘆いていた。

できることなら私は

地元の人々と一緒に汗を流して、泥や瓦礫を片付けたかった。



いまだ、手を差し伸べて欲しいと願う隣人たちと

彼らとの隔たりは、

ボランティアである私と被災者の方たちの隔たりよりも

大きいのじゃないかと言ってしまったら、殴られるだろうか。

「遠く離れた首都圏に暮らす、あんたに何が分かる?」と。



何も分からないかもしれない。

被災地や被災者の方たちを身近にして暮らす苦労は分からないと思う。

だけど、必死で自分の時間を割いて、分かろうとしている。

くたくたになりながら分かろうとしている。

けれど、変わっていく被災地や地元の人々の姿に、

私は必用とされていないのではないかと思い悩む。

取り残されてしまった気がしても

「もうやっていられない」と投げやりにならずに続けていくのには

自分で自分の心を越えるしかないのだと思う。




いったい私は、ここに何をしに来たのだろう?




その答えを、今すぐに求める必用はないのかもしれない。












※本日11月の鮎川ボランティアツアーの日程が決まったので早速申し込みました。
春からの疲れが溜まっているので、今月は1回の参加に留めようと思っています。




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| Ishinomaki | 11:33 | TOP↑

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決して慣れることのない胸の痛み








東松山災害ボランティアの会(チーム東松山)主催の

ボランティアバスツアーは大人気のツアーで

募集人員の20名の枠は、募集を開始してからすぐに満席になる。

キャンセル待ちも多く、空きがでると抽選になるという人気の高さだ。

行き先は4月からスタートの東松島市と

8月からスタートした石巻市鮎川との2便。

どちらの便も金曜日の深夜に埼玉を発ち

翌土曜日の一日のボランティア作業と

日曜日の午前中の作業と視察を行なう。






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東松島と鮎川とでは、各地との距離の差があるので

視察をする場所と時間帯が微妙に異なる。

鮎川便では日曜日は視察がメインになるけれど

東松島便では日曜日も作業が中心だ。

そのため宿泊所から視察先への出発時間は早朝6時。

5時に起床後、おのおの前日に買い置きしていた朝食をとり

バスに乗り込む。






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10月9日の視察先は大川小学校と雄勝。

ツアーバスには私のようにリピーターも乗車するけれど

初参加の方が圧倒的に多いため

視察先は大川小学校や雄勝、女川町立病院、大曲浜、

石巻の壊滅地区などに限られる。

そのためにリピーターの私は同じ場所に何度も足を運ぶことになる。

破壊された街の復興の様子を見ることは嬉しいことでもあるけれど

この大川小学校だけは、何度訪れても決して慣れることはない。







20111018RIMG0153.jpg

今回も朝日を浴びた校舎から、子供たちの声が

聞こえてきそうで堪らない気持ちになったので

ツアーリーダーに断って、ひとり新北上大橋のたもとに向った。

震災により全長約565メートルの橋のうち、

約150メートルが流されたこの橋も

今月17日に仮橋建設が終了して通行可能になった。

対岸に渡る際に、約12キロ上流の飯野川橋まで

およそ往復40分もの回り道を強いられていた地元のかたがたの

喜びはいかがばかりかと思う。







20111018RIMG0152.jpg

遠くに見えるのは長面。

かつて水田だった場所は、水没したままで

沼のようになってしまった。

義兄の姉が亡くなった、長面にも視察で訪れる日がくるかもしれない。






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橋の一部が壊れて流されたまま

水面から顔を出していた。




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引き上げ撤去するよりも

橋の復旧が優先されるのだろう。

何年かかることだろうと思うと胸が痛み

この胸の痛みにも、決して慣れることはない。







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雄勝公民館の屋上のバスも、まだ乗っかったまま。






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瓦礫の山は延々と成長を続けているけれど

街の様相はほとんど変化がない。

雄勝の街は朝日を浴びて、ひっそりと静まり返っていた。





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私がチーム東松山のバスツアーに参加を続ける理由のひとつが

このツアーの主目的が瓦礫撤去だから。

瓦礫撤去や泥出しの作業を黙々と続けている間は

決して慣れることのない胸の痛みを、忘れさせてくれるから。

作業が終わった後に『瓦礫隊』の笑顔があるから。




往復の移動時間も合わせ、3時間の視察の終了後

前日から持ち越した、野蒜小学校の側溝の泥出し作業をして

笑顔の面々を乗せ、ツアーバスは昼過ぎに小学校を後にした。







※今週末21日発の鮎川便のツアーに参加する予定です。
 作業先は現地に行ってから決まります。
 作業の様子等、来週明けに更新します。






| Ishinomaki | 09:07 | TOP↑

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いちばん伝えたいこと








昨日の日曜日

埼玉県東松山市・松山中学校の体育館で

東松山市主催、東松山災害ボランティアの会(チーム東松山)協賛の

後援会があった。






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講師は宮城県東松島市在住の市議会議員の菅原節郎氏。

震災で奥様と息子さん、ご自宅を失いながらも

懸命に避難所の運営に当たられた方。

実際に大変な被害に遭った方が、涙を交えて語る

震災の被害状況と震災当日や翌日のお話は

思わず息を呑むようで、

これが本当に同じ日本に起ったことなのかと

涙が出た。







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菅原さんのご自宅にほど近い野蒜地区。

私は、先日のボランティア活動の際と

7月の活動終了後にワーゲンを走らせてと

震災後に、2度行った。


7月に行った際には、全壊した家屋や

家に飛び込んだ車や瓦礫だらけだった住宅地は

撤去が進んですっかりきれいになった。






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家屋が所々に残ってはいるけれど

本当に悲しいことだけれど、修理しても住める状態ではないように

見受けられる。






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菅原さんのお話によると

今後の土地利用については、協議が進んでおらず

まだ決まっていないとのこと。

電車が走らなくなって久しい仙石線のレール。

この線路の上を電車が通る事は、今後2度とないのかもしれない。






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2時間のお話の最後に、菅原さんが

私たちに伝えたいことを3つ話してくださった。

ひとつは、近隣の方や見知らぬ方、遠くから駆けつけたボランティア

古くからの友人知人など、大勢の方に助けていただいて

心から感謝をしているということ。

ひとつは、ないにこしたことはないけれど

もしどこかで災害が起ってしまったら

今度は自分たちが人助けをしたいということ。

そして、一番伝えたい事は

「忘れないで下さい」ということ。

「ああ、そういえば、そんなことがあったなと

忘れ去られてしまうことが一番怖いのです。」

菅原さんは涙ぐんで、けれど力強い声でお話を結んだ。




忙しい中を、埼玉まで足を運んで下さった菅原さんと

お話を聞かせていただく機会を作ってくれた

東松山災害ボランティアの会に感謝します。





| Ishinomaki | 09:29 | TOP↑

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変な人たち







10月8日

野蒜小学校の校舎の清掃後

午後からの作業は校舎周りの側溝の泥出し。

大津波が運んで来た泥を

ひたすら掘ってかき出す作業。





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生憎、作業開始前の写真を撮り忘れてしまった。

作業を始める前は、何処に側溝があるのかさえ

分からないほどに泥が詰まっていて

まず、男性陣が側溝のある場所に見当を付けて

ザクザク掘っていく。





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ざっくり掘った後を、大中小のスコップ隊が

丁寧に泥を取り除く。





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側溝から出た泥の山と側溝の周りの泥を

一輪車で泥置き場まで運ぶ。





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とにかく半端な量ではないから何度にも分けて運ぶ。






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すっかりとまではいかないけれど

きれいになった。

これなら今後降る雨がきれいに掃除をしてくれるだろう。





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今回の泥出し作業は達成感があった。

皆、口々に「疲れましたね」「大変でしたね」

「腰が痛い」「筋肉痛を起こしそう」と言っていたけれど

どの顔も、とても満足そうだった。





いつもボランティアに参加をして思うのだけど

作業が大変であれば大変なほど

皆、嬉しそうに満足げな顔をする。

「会社の仕事もこれだけ真面目に出来たらなあ」

誰かがぽつりと言った。

ホントだね。

みんな、なんかヘンだよね。

なんかヘンな人たちだけと、やっぱり素敵な人たちだ。









| Ishinomaki | 08:21 | TOP↑

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消してしまいたかったけれど






10月8日

野蒜小学校の清掃作業。




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この小学校は今後しばらくの間は

地域住民の方が、何らかの形で使用することになるらしい。





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校庭では役場が入るプレハブの建物が

建設中だった。





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今回の私たちの作業は、

ボランティアの拠点として使わせていただいている校舎を

地域住民にお返しするための、校舎の徹底清掃。

泥と瓦礫だらけだった校舎を、数ヶ月掛けて

きれいに片付けてきた総仕上げといったところ。





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主な作業は、窓拭きと

壁に残った津波の爪痕を拭き取ること。

津波はこの校舎の1階天井すれすれまで襲ったので

高所の作業がメインで大変だった。





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この教室は、使用が決まったので

徹底的に掃除してくださいと頼まれた教室。

すでに何度も清掃済みの部屋なのだけれど

今回また壁のシミや汚れを取り、窓を拭き、ロッカーの泥を拭き

床の雑巾掛けをした。

黒板の上の壁にあった津波が付けた線は、きれいに取れた。






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残念な事に、教室後方とサイドの壁は、壁材にカビが発生して

こすってもこすっても取れなかった。

津波が付けたこの線が無くならない限り

この教室を使用する度に、津波の恐怖が蘇るんだろうなと思うと

市民ボランティアの力の限界を感じてしまう。






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けれどまあ、廊下の窓はピカピカになって

薄暗かった廊下が明るくなった。

少しでもきれいになれば、

それが地域の方に喜んでいただけるのであれば

こんなに嬉しいことはない。




この後、時間が余ったので

校舎周りの側溝の泥出しに全員が専念した。

その模様は、明日また。








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