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どんな小さなことでも





昨夜、仕事を終えてから

お芝居を観に行った。




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演目は『釈迦内棺唄』

昨夜の舞台は、東松山市で

東松山震災ボランティアの会(チーム東松山)協力の

上演会だった。

この上演会に関しては、何もお手伝いの出来なかった私だけれど

席を埋めるお手伝いなら出来るぞと、会場時間丁度に

会場ホールのチケット売り場まで着いたところで

「ああ、はいこれ」と

スタッフと書かれた名札を手渡されてしまった。



「なるほど。そのノリなのね。」



お芝居を観に来ただけのつもりだったけど

ははあ、軽~いノリで巻き込むつもりなんだわと、

名札を渡された瞬間に理解したので、

軽いノリで巻き込まれてやろうと、急ごしらえのスタッフとして

お手伝いをしてきた。

開演前に、コスモスの葉書と便せんと福島の写真集の

売り子をやった。

申し訳ないことに1冊も売れなかった。

それから、終演後に舞台の後片付けのお手伝いをした。

1冊も売れない売り子としての申し訳なさを追い払うように

これは面白かった。

お芝居の舞台裏。

滅多に見ることが出来ない舞台装置が間近で見られた。

大きな舞台幕を下ろしたり、畳んだり

大道具をばらしたり

立ち位置のテープを剥がしたり

大きなカーペットを「えいや!」と丸めたり。

出演の役者さんたちも一緒だから、なおのこと

面白かった。







111804970.jpg



死者・行方不明者2万人を超える東日本大震災。

今を生きる私たちはこの悲しみを

どのように受け止めたらよいのでしょうか。

秋田県の釈迦内を舞台としたこの芝居は、

家族の深い絆と愛情、わけへだてない、人間に対する優しさを基調に、

震災後、私たちが見失ってはならないことを伝えています。




※太字は釈迦内棺唄の東松山上演会のパンフレットより。




お芝居には泣けた。

人間の不平等さと、生きる意味と、愛と。

震災後に幾度も考えたことをまた改めて考えた。



どんな小さな手助けでも、やれることはある。

何も出来ないと決め込んで、何もやらなかったら

それは何も出来ないのじゃなくて

何もしないってことじゃあないかしらなどど

えらそうに思ってみる。

大げさだけど、小さなことでも、何か手助させていただけたら

ああ、今日も私は生きているって感じられるから

小さなことでも、生きている意味を見つけられるから

だから、生きていけるのだと思ったりする。







| Daily life | 18:00 | TOP↑

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言葉の刺






13日の日曜日は、新しく購入した車を運転したくて

用事もないのに高速道路を走らせて

まるでテーマパークの様なPAでフレンチブッフェの食事をした。

帰宅後、TVを点けてNHKスペシャルを観た。






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震災関連の内容。

番組の始まりに、ナレーターがTVの向こう側に

呼びかける。




「東日本大震災を忘れていませんか?」






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チクリ。

言葉の刺が胸に刺さって

ちくちくした。






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「忘れていないよ。忘れるわけないじゃない。」

その瞬間、TVに向ってだろうか

それともヒトさんに向ってだろうか

思わず声が出た。





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忘れるわけがないのは、私だけじゃない。

大方の日本人は忘れてなんかいない。

みんな自分たちに出来ることがあるか、一生懸命考えて

行動を起こしたじゃない。

そして今、何が必用か、何が求められているか

分かったら、機会があったら

行動しようと心に秘めているのじゃないかな。

無理をしないで出来ることがあったらきっと

優しい日本人は応じてくれるよ。







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だから、公共放送の大切な電波で

私たちを責める言葉を使わないで。

悲しくなるから。





のんきに車を走らせていた

自分を責めたくなるから。





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写真は今月の11日に撮影されたもの。

場所は宮城県石巻市長面。

撮影者は『チーム東松山』の代表者。

11日に次回のボランティアツアーの事前視察で

長面に訪れた際に撮ったそうだ。

私が長面で遠い親戚が亡くなったと以前話したのを覚えていて

送ってくれた。






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写真の沼のようになった場所は、以前は田圃だった。

震災から8か月経った現在でも未だこのような状況で

そして、この状況は長面に限ったことではなくて。

掲載をためらってしまう辛い写真だけれど

敢えて公開する。





忘れてないよ。

忘れるわけないじゃない。




瓦礫撤去を目的として現地へ向っても

軽作業しか与えられなかったり、普通の暮らしを見かけたりすると

私のやっている事の意味が分からなくなって

心が折れてしまいそうになるけれど

向う前はいつも心が重くて、正直「だるい。」と思うけれど。




行くことを止めちゃいけないと思う。

誰かが行かなくちゃいけないとも思う。

被災地には「行くこと」に意味があるのだから。

理由なんてなんでもいいとも思う。





そう私自身に言い聞かせて

明後日にまた、石巻・鮎川行きのバスに乗る。







| Ishinomaki | 11:24 | TOP↑

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違いはあまりにも濃く







10月21日~23日の鮎川へのボランティアツアー。

22日と23日早朝の作業を終えて

向った視察先は前回と同じ女川と雄勝と大川小学校

そして南三陸町志津川だ。





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相変わらず公民館の屋上にバスが乗ったままの雄勝へは

個人で来たのも含めて5回目になる。

雄勝の町は、瓦礫の山こそどんどん成長を続けて

大きくなっていたけれど

あまり変化が見られない。

人が戻ってきている気配がまったく感じられなかった。






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今回の視察で驚いたのは

立ち木の色。






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塩水に浸かった杉の木が枯れてしまって

山にはっきりとしたラインが出来ていた。






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下の建物は雄勝小学校。

この小学校に通っていた子供たちは

現在、間借りしている河北中学校に通学していると聞く。

本当に大変なことで、人も山も町も

もとの姿に戻るのには何年もかかるのだろうなと

再度実感する。





私たち『瓦礫隊』ボランティアのニーズもそろそろ無くなりつつあり

チーム東松山のツアーバスもそろそろ派遣が終わる。

これからは支援の形が変わってくるのだろう。

一番必用なのは就業・生活支援だと思うけれど

市民ボランティアでは、何とも支援の方法がないもので

本当に難しい。

私も今月の鮎川ツアーが、瓦礫撤去の

最後のお手伝いになるかもしれないと薄々は思っていて

今後、どのような形でお手伝いを続けていこうか

模索する日々が始まるなあと、感じている。







| Unclassification | 09:04 | TOP↑

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なんだかヒリヒリするけれど。





昨日のNHKニュースのアナウンサーの言葉。

「東日本大震災による地価の下落を反映するため、

国税庁は、被災地について地域ごとに調整率を決め、

土地の評価額である路線価を引き下げました。」

思わず仕事の手を休め、つけたままになっていたテレビの前に座る。

何でも震災被害に遭われた方への相続税や贈与税に対しての

救済措置でもあるらしいけれど

それにしても女川の80%、東松島市と南三陸町の75%の下落はすごい。

ニュースでは触れてくれなかったけれど、

石巻もすごいことになっているんだろうなあ。

首都圏近郊では浦安市の下落幅が大きいという。

予想されることではあったけれど、なんだか心がヒリヒリする。

浦安は元々の価格が高いだろうから、本当に大変なことだ。

福島第一原子力発電所周辺の警戒区域や計画的避難区域などの

土地については地価をゼロとするという発表には

思わず「う~ん」と唸ってしまった。






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10月22日、生憎の雨天のため

午前と午後の作業の合間の昼食は、バスの中で食べた。

コンビニ弁当を食べ終え、他の参加者がバスの中で

冷えた身体を休めている間に、

バスから降りて、周辺を歩いてみた。






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牡鹿公民館のボランティアセンター前に工事中の建物があったので

傍に行って中を覗いてみると、なんだか店舗のような造りだった。






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工事許可の立て看板を見ると思った通り

石巻市鮎川浜のれん街仮設店舗の文字があった。






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「お店ができるんだあ」とひとり言。



ここ牡鹿半島では震災後に営業を再開した店舗は

小さなコンビニが、半島全体でたったの1店舗あるだけで

半島に暮らしている人たちは、車で往復1時間半かけて

石巻の市街地渡波地区にあるイオンまで行かなければ

何も手に入らない。

たまに移動販売の車が来ることは来るけれど

積んでいる商品には限界があるから

この仮設店舗がオープンすることは本当に嬉しいことだと思う。

もちろん、ボランティアの私たちも

昼間の作業で疲れた身体を休める間もなく、

渡波まで夕食の買い出しに行かなくても、

ここ鮎川で買い物が出来るようになれば本当に嬉しい。





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震災以降、すっかり人影が途絶えてしまった鮎川浜。

動いているのは、10月に営業を再開した

ガソリンスタンドのスタッフと給油に訪れる車と

日に数本ある定期バスの乗降客が2~3人。

そんなふうに、すっかり寂しくなってしまった。





20111102RIMG0366.jpg

けれども、浜から1キロ弱も離れれば

津波被害の無かった民家が数多くのこっていて

辺りが暗くなれば、高台には多くの明りが灯る。

仮店舗が営業を開始したらきっと

浜に下りて来ず、家に閉じこもった人たちが浜に帰ってくる。

1店舗増えたらまたひとり、

1店舗ふえたらまたひとりというように。

その光景を想像すると、なんだかわくわくする。










| Ishinomaki | 11:32 | TOP↑

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突入!






10月22日土曜日の鮎川浜での作業。

午前中は鯨の缶詰工場の敷地内の側溝の泥出し。

前日から降り続いた雨に、濡れながらの作業だったため

写真を撮る余裕なし。

この日は吐く息が白く見えるほどの寒い日だったので

雨が冷たかった。

雨脚が激しくなる度に休憩を挟んでの作業だったけれど

女性1名に体調の悪化を訴える参加者が出てしまった。

缶詰工場のオーナーさんから

お礼にと鯨の缶詰を段ボールに3箱もいただいた。

3月の津波発生時には出荷前の缶詰1万個以上が流されてしまったらしい。

鯨肉の缶詰は大好物。

一人当たり缶詰4個もいただいてしまって

雨の中の作業ではあったけれど、比較的軽作業だったので

なんだかとても恐縮してしまった。





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持参したコンビニ弁当の昼食を挟んで午後からの作業は

鮎川浜のお寺の納屋の荷物の運び出し。

海岸から800メートル、標高14メートルにあるこの寺は

危うく津波の被害を免れたけれど

先日の台風の際の川の増水にやられてしまったらしい。





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写真は家主の許可を得て撮影した。

2つある納屋は川の泥水に浸かってしまったので

納屋の中にある物全てを処分するため庭先に運び出す作業。






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数名が納屋の中に入り、残りの参加者が畑に列を作って

バケツリレーで運びだした。






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バケツリレー終盤に差し掛かって

それまでリレーの最後尾に付けて、ゴミの分別をしていた私は

皆への申し訳なさから納屋の中に突入を決心した。

突入なんて大げさかもしれないけれど

女性は皆、尻込みしていたので

実際に入るのには勇気が要った。

川の水でも海の水でも、泥水に浸かるとは、こういうことなんだと

思い知らされた。




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2時間ほどの作業の最後の20分間は

納屋の内部の片付けをさせていただいた。






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納屋から出てきたいろいろ。

じっくりモノを選別する時間があれば

年代物の貴重なものがあったような気もする。




この作業中に、2匹の蛭に手首を咬まれた。

「キャー! とって! とって!」と大騒ぎ。

手首から蛭を取ってくれたバスの運転手さんの

「あっ! 写真に撮っておくんだったー。」の声に

その場が和んだ。





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戦いの後の泥だらけの作業着姿を

記録のために写していただいた。

ユニクロで購入した新品の完全防水パーカーを

着て来たことをちょっぴり後悔した。







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柿の実が雨に濡れていた。

秋なんだなあと、思う。



それにしても作業着姿の私のふくよかなこと&色気のないことといったら

どうなんだろう。

ボランティアは基本、重労働の体力勝負だっていうのに

ツアー中の食事は全てコンビに食のために

ツアーに参加する度に体重が増加してしまう。

実際、身体を動かした後の食事は美味しいのだ。

これではいけないなあと思いながらも

この日の夕食は、渡波のイオンで買った寿司と唐揚げと

参加者の優しい女性が作ってくださった豚汁を

おかわりしてもりもり食べた。

キャンプ場の宿泊棟の床にぺたりと車座になって

全員でワイワイ食べる夕食は、

スーパーの出来合いの食事だけれど、最高に美味しかった。






| Ishinomaki | 09:42 | TOP↑

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