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思わず声が出た






11月20日 日曜日

早朝に宿泊先のケビンの掃除を終え

被災地の視察へ。

今回の視察先もいつもの鮎川ツアーと同じ

女川~雄勝~大川小学校~十三浜~志津川だ。

今回の視察で私は、今回同行出来なかったチーム東松山の

代表者の代わりに、視察のガイド役を仰せつかった。



稚拙なガイドではあるけれど、地元出身なので

詳しい御案内が出来たのではないかなと思う。





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途中、マイクを握りしめているのも忘れて

「うわあ」と声が出た。

女川町の市街地が見渡せる高台の道路に差し掛かった時に

対岸に真新しい岸壁と魚市場が見えたからだ。

たくさんの船と人の姿。

きらきら光った魚市場の屋根が眩しくて

マイクを通して

「魚市場が新しくなってるー!」と叫んでしまった。





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この写真はバスから降りて

女川町立病院の駐車場の高台から写したもので

正面から魚市場を撮ることは出来なかった。

ピカピカの魚市場の写真を、掲載できなくて本当に残念。





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魚市場が新しくなったとはいうものの

街の様子は相変わらず。

丁度満潮時だったのだろうか

マリンパル前は、もはや海面と地面との差が見えない。






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女川町立病院の駐車場に仮設の歯科医院が建っていた。

地盤沈下してしまった街の様子には胸が痛むけれど

着実に復興へ向って進んでいるのだと思うと嬉しい。



次回のツアー参加は今週末の2日発の東松島便だ。

この東松島便で、今年度の私のボランティアツアー参加はお終い。

東松島便のツアーの視察先には女川が含まれてはいないので

女川にはまたいつ来れるのか分からない。

今度来れる日はいつになるだろう?

たぶん、ずっと先の話で

たぶん、その時には、街の様子がまた一段と変化しているだろう。




「また、来るね」




そっと呟いてバスに乗り込み

女川の街を見下ろせる小高い丘を後にした。







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| Ishinomaki | 09:06 | TOP↑

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必ず戻って来る







鮎川の仮設のショッピングセンターがオープンした。




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おしかのれん街

11月18日オープン。





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入り口の花飾りが、どこか誇らしげ。






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8店舗入居している店舗棟が2棟。

果物屋さん、美容室、パン屋さん、観光協会等々。






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ボランティアのマッチングの合間に

カメラを抱えて行ったので、まだ開店前だった。

瓦礫撤去の作業が終了した後に、また行った際にはカメラを忘れた。

うーん! 残念。

お客さんで賑わっている商店街の写真が撮れなかった。






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鯨の工芸品のお店で、鯨の歯の加工品の

ストラップを買った。

¥2,000-也。

少々お高い気もするけれど、これでも値引きしていただいたので

文句は言わない、言わない。

これも被災地への支援のひとつだね。




この日の夕食は、東松島市の被災されたお弁当屋さんのお弁当と

チーム東松山の会の世話役の女性が作って下さった

あぶら麩の入った温かい豚汁。

豚汁の材料は、もちろんこの商店街で揃えた。

豚汁の大鍋を囲んで、チーム全員で食べる夕飯は美味しかった。

食事の合間に、鮎川で捕鯨船に乗っていらっしゃる方から

貴重なお話を聞かせていただいた。

鮎川の捕鯨船は操業を復活していて

鯨の加工場も再開しているそうだ。

鮎川の主産業である、鯨の漁と加工場が再開して

商店街もできた。

手放しで喜ぶにはまだ早いけれど、

モノを作れれば、お店が出来れば、必ず人は戻って来る。

そんな気がして、なんだかほっこりうれしかった。






| Ishinomaki | 09:55 | TOP↑

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泥に足をとられながら/ちょっとお知らせ







11月19日のボランティアの作業内容。





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鮎川からバスで10分ほど石巻よりの小さな浜

小渕浜。



小渕浜は3月11日の大津波で

高台の家を除き全滅。

震災発生時は死者・行方不明者60名ともいわれたけれど

その後、無事が確認された方がおられると思う。

詳しい数字は調べられなかった。





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残った高台の家もこのような状態で

人の気配はなかった。

嬉しかったのは、浜の入り口の高台に

仮設の床屋さんがオープンしていたこと。

入り口に飾られた花輪がとても誇らしげだった。






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残った家には人の住んでいる気配はなかったけれど

浜にはたくさんの船があった。






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震災当日は沖に出て、難を逃れたのだろうか。

漁も復活している様子だった。






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この日の作業は浜に散らばった

おびただしい数の瓦礫の撤去。





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前回の10月のボランティアの際は

半島全体での人影がまばらだったのに対して

19日の小渕浜はたくさんの人、人、人。






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ざっと300人はいただろうか。

それぞれの団体ごとに、持ち場へと泥の中を進む。






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おそらくは、震災以前は田や畑だったのだろう。

ぬかるんで、とにかく足場が悪い。





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大人の背丈以上に育った葦を刈りながら

瓦礫を拾う。

泥にまみれた瓦礫は重く

気を抜くと泥に足を取られて、泥の海に転んでしまいそうになるので

作業がなかなか捗らない。





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泥との格闘が続く。





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合羽が、あっという間に泥だらけになった。

これも人生で初めての経験。





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人海戦術とはよく言ったもので

片付かないんじゃないかと思った浜が

数時間でこんなにきれいになった。



みんな泥だらけ。

「すごいねー、頑張るねえ」

「いや~、潟スキーやってきました!」

なんて、冗談が飛び交う良い雰囲気の中で作業が終わった。



10月のボランティアでは

半島全体の参加者が少なくて、ボランティアさんたちの姿を見ることもなく

与えられた作業も比較的軽作業だったため

ボランティアの必要性が見いだせず、何のために向ったのか

余計なことをしているのではないかと、折れかけた心が

また真っ直ぐになった。




ボランティアなんて、人の為にと言いながら、所詮は自分の為のもの。

自己満足のたまものなのだもの

モチベーションの高まる作業が与えられるのって

やっぱりうれしい。




この日私は、泥に足をとられて尻餅をついた。

半島で唯一再開したホテル「さかい」の大浴場の脱衣所で

服を脱いだら、ヒートテックやパンツはおろか

背中まで泥だらけだったけれど、確かな達成感が有って

熱めの風呂のお湯が肌にぴりりと心地よかった。











※お知らせ


今回の更新をもって、ブログ村『パグ』カテゴリから撤退します。
このブログは、ランキングバナーを貼っていませんが
ランキングには参加しております。
ブログ村地域情報『石巻』に、3月11日以降、ちゃっかり存在しておりました。
今後はメイン参加のブログ村地域情報『石巻』にのみ新着情報を流しますので
『パグ』から読んで下さっていた方々は、よろしければブックマーク登録か
『石巻』から読んでいただけると嬉しいです。
パグとはかけ離れた内容でしたのに、震災のことを伝えたくて
カテゴリ違反を続けたブログですのに
黙認して読んで下さった皆様には本当に感謝しています。
どうもありがとうございました。






 




| Ishinomaki | 10:15 | TOP↑

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ちがうよ、そうじゃない。






被災地の方からこんな言葉を投げかけられた。

「こうしてみんなしてボランティアにやって来て

 ずいぶんあんたたちは余裕があるんだね。」





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悪気があって発せられた言葉ではないと分かっていたので

何も反論しなかったけれど、チクリと刺が胸に刺さった。

以前、息子にも同様のことを言われた。




ちがうよ、そうじゃない。




余裕があるから行くのじゃなくて

行きたいと思うから、余裕を作るんだよ。

お金も時間も

行きたいと強く思うから、頑張って作るんだよ。






20111125RIMG0002.jpg

ボランティアに参加する人たちは皆同じ。

金曜日の夜行バスに乗るために

金曜日の朝、着替えや寝袋の入ったリュックを背負って

電車に乗って出勤して働いて。

仕事を終えて、そのまま家に帰らないで

夜行バスに乗る。

活動を終えて、日曜日の夜遅くに帰宅して

疲れもとれないまま、月曜日を迎えるのだ。

できるだけ安い費用で現地へ向えるようにと

ネット上をあれこれ探して、自分に合うボランティアツアーを探すのだ。

お金持ちの人だったら、時間がたっぷりある人だったら

たぶん、被災地支援は別の方法を選んでいるはず。

皆、時間やお金の余裕はないけれど

放っておけないと強く思うから、頑張って時間とお金を作るのだ。

老若男女、皆それぞれの事情を抱えているけれど

「行きたい」気持ちが、優先順位の1番になっただけのこと。






私たちボランティアに向う者は

決して余裕のある者ではないことを知ってほしいと思う。

強く突き動かされる心を持っている者たちだということを

分かって欲しいと思う。






20111125RIMG0003.jpg

11月18日の夜行バスに乗り,19日の早朝に鮎川に着いた。

前回の10月の活動の際は、ボランティアセンター前の広場には

私たちの乗ったバスの他は、たった1台のバスしか止まっていなかった。

けれど、19日の朝はたくさんのバスが止まっていた。

写真を撮った後も、続々とバスがやって来た。




まだまだ「行きたい」と強く思う人たちがこんなにいた。

優しい日本人の姿をたくさん見て、この日はとても嬉しかった。





| Ishinomaki | 09:23 | TOP↑

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往復書簡





Huranaさま

はじめまして。
ブログ拝見しています。
綴られた思いのいくつかに 同じものを感じて、
すこし気持ちが軽くなったり、励まされたり。
11月13日。鮎川浜で
ボランティアさせていただきました。4月にはじめてはいったとき、
恐くて、
ここから先にはいけないと感じた場所を抜けて。
被災地にいくたびに自分の非力さを痛感する。
心が痛くなる。
でも また いきます。
動くことしか 
いまは それしか
できないから。



日時 2011年11月18日 03:51:06




・・さま

メールをありがとうございます。
本当にありがとうございます。

メールを拝見して、涙がぽろぽろこぼれて困りました。
嬉しいとか悲しいとか、そんな涙ではなく
うまく説明ができませんが
あの惨状を目にして、心を痛めて、恐いと思っても
それでも動かずにいられない方の存在を身近に感じることが
たまらなく切ないです。

切ないが適切な言葉じゃないかもしれませんが
辛い感情を抑えてなお、現地へ向う気持ちが分かるので切ないです。

これから冬に向って、寒くなりますね。
今日はずいぶんと寒いです。
・・さま、どうか、お身体大切に。
また被災地に向う際には十分に気をつけてお出かけくださいね。
私は、今夜冬支度をして、鮎川まで行ってきます。

ブログを読んでくださって本当にありがとうございます。

Hurana(注・原文は本名)






Huranaさま (注・原文は本名)

お返事 とてもうれしいです。
今日から 鮎川にはいられたのですね。
どうか 気をつけて。
ボラセンの前のお店。11月18日(昨日ですね。)
オープンとなっていましたよ。楽しみです。


4月、5月、7月、8月、9月と いくたびに
明かりが灯る。水道が使えるようになる。
お店が増えていく。
震災の被害を受けた方々が、ゆっくりと 
前にむかって 歩んでいることを感じています。


4月の石巻では 夜 車のなかで 寒さで足が ちぎれそうになり。
仮設トイレは 駐車場から はなれていて 風が強くて、
用足しのために 車外にでることが 恐くなるほどで。

朝 石巻大橋をわたった。
その先にいくことは とても恐くて、
右に曲がって 進んだ。
大きな獣に蹂躙されたような町が続く。
投げ飛ばされたように、 
車が 建物にめりこんでいる。
正視することは ためらわれた。
しばらく歩くと マンションの脇に朝市がたっていた。
行列ができ、談笑する声が聞こえる。
人がいることが、生きていてくれたことが 嬉しかった。
でも そこにいることが申し訳なくて 足早に通り過ぎた。
ちいさな橋に向かってあるくと 前方に 銀色のドームがみえた。
朝日をあびて、
まるで 夢のように 輝いていた。


ボラセンから派遣されて永厳寺に集合し、向かう途中で 
片付けをしていた方に、声をかけた。
手伝ってもらえるの。
本当に嬉しそうに 表情が明るくなった。
でも そのお宅はボラセンにニーズをあげていなかったため、
チームで 作業はできないと。
あとからボラセンにニーズをだしてくれと。
目の前に 助けを求めている人がいるのに、
そのまま 通り過ぎてしまうことに 疑問を感じた。
リーダーに断って、チームと別れ そのお宅に戻り、
単独でお手伝いさせていただいた。


作業が終わり、しばらくお話して おいとまするときに、
静岡までじゃ 大変だ。途中で 食べてと 
パンと飲みものを いただいた。お気持ちを思うと 
断ることなんて できなかった。
生命を分けていただいたのだと 感じた。


あのとき 感じた気持ちが いまも ずっと 続いている。
いくたびに いく土地々で 
それは 大きく、強くなっていく。


陸前高田で出会った 津波から こどもたちを守り、
ずっと支えてくれている保育園の先生たち。
わたしたちに こころを 開いて 
身体いっぱいに楽しさを表現してくれた こどもたち。
南三陸町の校長先生からいただいた手紙。


南三陸町の防災対策庁舎の供養台の下に置かれた、
息子を亡くされた方の思いを綴った手紙。
大川小学校の祭壇に供えられた
クッキーやチョコレート、ぬいぐるみやおもちゃ。
復興という言葉を安易に用いてはいけないと思った。
人の哀しみを置き去りにしたまま、
前へ進んでは ならないと思った。


私は あの方たちの 本当の哀しみを、こころの痛みを
理解することができない。
自分の無力さ、非力さを 突きつけられる。
だから せめて 思い続けたい。
そして、動き続けたい。



いつか だれもが 

自分の人生を

真に生きることができる 社会がくることを 夢みて。

哀しみを、そして感謝の思いを しっかりと 胸に刻んで。



日時 2011年11月19日 12:14:54






・ ・さま

おはようございます。
お返事がすっかり遅くなってごめんなさい。
被災地から帰って来た後、しばらくは
平常な心に戻ることにとても時間がかかってしまいます。
メールをいただいてから、すでに5日も経ってしまって
遅過ぎますよね。
お許し下さいませ。

まず、ご報告から。
鮎川のお店、オープンしていました!
たくさんお花が飾られていました。
人の声、笑顔、温かな料理の匂い。
久しぶりに鮎川に地元の人の息づかいを感じてきました。
オープンの記念と、少しばかりのお店への応援として
鯨の歯の工芸品のストラップを購入させていただきました。

お返事のメールは、埼玉の自宅に帰宅後、すぐに読ませていただきました。
その後も何度も何度も読ませていただきました。
綴られた想いに、やはり切なくて涙がでます。
大変な経験をなさいましたね。
私、思うんです。
今回の震災は、それはそれは大変な出来事だったけれど
遠く東北で起った出来事で、他人事として、見なかった振りをすれば
いくらでも見ない振りができたはずです。
だのに無視することが出来ずに、現地に向って
重たい荷物を背負って帰って来てしまう。
そして帰って来てからも、その荷物を下ろす事が出来なくて
心が、被災地と現実の生活の間をさまよってしまう。
なぜなんでしょうね?

疲れるのに、苦しいのに、悲しいのに、下ろす事が出来ないのは
あなたが優しい方なのだからだと思います。

こころが優しければ優しいほど荷物が肩に食い込んでいって
自分のことのように被災地に想いを寄せてしまう。
だけど、その苦しみは被災地の人々とは比べようもなくて
そして、ご自身を責めてしまう。
いただいたお返事のメールを拝見して、
そんな魂の叫びのようなものを感じてしまいました。

この想いは、この感情は、実際に被災地へ行き
その現実を実際に自分自身の目で見て、被災された方たちの話を聞いて
額に汗して働いてきた人間にしか分からないことなのかもしれません。
私はここにいて、この複雑な感情を家族の者や親しい人たちに話しても
共感を得ることは出来ないでいます。
被災地での体験を話したくても、あまり真剣に聞いてはもらえないのです。
話しても共感を得る事が出来ないので、終いには口をつぐんでしまいますが
こころに溜まったものを吐き出さないと苦しいのです。
だから、ブログに書き綴ります。
私の叫びを、どこかで誰かが同じように感じ取ってくれれば
私にそれが届かなくとも、それでいいと思って書いています。
実際にこうして書いていると、気持ちが整理され落ち着いてきますので
ブログを持てたことや、読んで下さる方がいることに
本当に感謝をしていますし、こうして共感してくださって
同じような体験をされている方からのメールは何にも代え難い宝物になります。

せっかくの想いのこもったメールです。
優しい優しいメールですから、今日のブログにこのまま掲載させて下さい。
あなたの目で見たこと、感じたこと
一人でも多くの人に読んでいただきたい。
私ひとりが読ませていただくのは、あまりに惜しい。
そんな気持ちです。
もちろんお名前は伏せさせていただきます。
事後承諾になってしまうことをお許しくださいね。




いつか だれもが  自分の人生を

真に生きることができる 社会がくることを 夢みて。

哀しみを、そして感謝の思いを しっかりと 胸に刻んで。



この想いをしっかりと受け止めたいと思います。
本名でのメールを本当に本当にありがとうございます。


Hurana(注・原文は本名)




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