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たぶん私は嘘つきで。







12月4日

今年最後のお手伝いが全て終了した後に

全員で訪れた東松島市大曲地区。





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この地区は集団移転が決まり

跡地は公園になるらしい。

訪れたこの日は風の強い日で

復興なんて、いったいどこの話し? と思うほど

まったく手のつけられていない町の様子に

一同呆然と立ちすくむばかりだった。








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まったく手がつけられていないわけじゃない。

GWに、この場所を訪れた時には

全壊して原型を留めていない家屋の残骸が山のように積み重なっていて

足の踏み場もない有り様だったから

ずいぶんと瓦礫撤去は進んだ。

けれど、この荒涼とした光景はどうなんだろう。

復興なんて、何も進んでやしないのだということを

思い知らされる。

脳天を殴り付けられたような気がして

それは私だけじゃなく、この場所に立った人間が皆

感じることのように思う。




遠くに牡鹿半島の山が見える。

この場所からは埠頭だって見えなかったのに

埠頭を通り越して、半島が見えてしまうなんて。






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たぶん私は嘘つきで

本当は復興なんてまだまだなのよ

復旧・復興しているのは、ほんの一握りなの

復興から取り残されて、置き去りにされている人たちの方が多いのよと

そう書きたいはずの、私自身のブログに

あそこのお店がオープンしただの

道路が舗装されていただの

魚市場が新しくなっただの

努めて明るい話題を書いている。

本当に伝えたいのは、置き去りになった人や土地や町のことなのに

読まれることを意識して、読む人が辛くならないようにと、

明るい話題を敢えて探していた。

いったいなぜ?

なんのために?






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前に進むために?

笑顔で前に進まなくてはいけないから?

いつまでも悲しんでいたらいけないから?

だから、明るい話題をここに書く。



もしも、私だけではなく

日本の社会全体が、同様に前進するために

敢えてほんの一握りの復興の話題を取り上げているとしたら

置き去りにされて正月どころではない人々や町はどうなる?

明るく笑顔になれない人々の深い悲しみはどこに行ったらいい?

私には、この大曲浜の町がそう叫んでいるような気がして。





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読む人が辛くなったっていいじゃない。

どうしてそこまで人に媚びる必要がある?

実際にこの震災で親を失った子供は2,000人近くいる。

両親を失って孤児になった子供は250人。

彼らは復興どころじゃないだろう。





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私が震災のことをこのブログに書いていたら

「悲惨な写真は見たくない」と言われた。

「悲惨さしか伝わらない」と言われた。

だって、それが本望だもの。

伝えたいのは悲惨な現実だもの。



「明るい話題も見せてください。」

気持ちはわかる。

人は悲惨な現実を見てばかりいたら希望を失ってしまう。

でも、被災していない人間の甘い感情のために

このブログを書いているわけじゃないということを

わかってほしいと思う。






私は本当に嘘つきで

伝えたいことがあるのに

読者に媚びる。

本当の気持ちを隠して媚びる。

自分のためのブログなのに

伝えたいことを無理して曲げる。





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大曲浜の入り口近くにこの写真の家はある。

居間に泥だらけになったピアノが今もある。

まだ新しいこの家をせめて華やかにと家主が飾ったのだろう。

壊れているけれど誇らしげに、そして健気な姿を見せている。

懸命に笑顔を作って前に進もうとしているご家族の姿が見えるようだけれど

笑顔でばかりはいられないだろう。

明るい復興の話題の前に、笑顔でいることを強要される社会でいいのだろうか。

明るく前向きにいることを強いられて、逃げ場を失ってしまいはしないか。




私は嘘をつくのを止める。

読む人の少なくなったブログだもの。

媚びる必要なんて、何もない。

だから、お願いだ。

実際に東北に行って、復興から置き去りにされた町を見てきて欲しい。

置き去りにされた人たちと話してきて欲しい。









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| Ishinomaki | 11:05 | TOP↑

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今年最後のお手伝い






12月4日・日曜日

今年最後のボランティア。


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今年最後のお手伝いは

現地で活動のコーディネイトをして下さる

ボランティアの会の方たちの新しい拠点となる

鹿妻地区の集会所の周囲の清掃。






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散らばったゴミを拾い

側溝の泥を出し、草をむしった。




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この集会所は小さな建物なので

作業はあっと言う間に終わってしまったので

働き者の我々には物足りず

ついに集会所の前の歩道の泥掃除にまで手を出してしまった。





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それもすぐに終わってしまって

なんだか名残り惜しい。

実際に被災した町に足を踏み入れると

まだまだ瓦礫や泥がたくさん残っているのだけれど

復興計画が進まないことには手も足も出せないので

我々『瓦礫隊』の活動も来年はどうなることやら。



チーム東松山としての活動の締めくくりは

12月17日に、金華山での初詣客のための

水道工事のお手伝いだった。

なかなか魅力ある作業だったので、行きたい!と思ったけれど

生憎、17日は姪の結婚式に参列するため、金華山は泣く泣くあきらめた。

結婚式に向う車中で息子に言われた。

「ボランティアもいいかげんにしたら。」

コイツ、殴ってやろうかって思った。

そういうことじゃないのと、説明しても理解できないのだろうし

たぶん、母親の私を思い遣っての言葉だろうと

息子の言葉を胸に仕舞い込んだ。

来年も、きっと私は行くことになるんだろうな。

だって私は、それしか出来ないから。






| Ishinomaki | 00:51 | TOP↑

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これも貢献のひとつだと。






12月3日

東松島市大曲保育園の側溝掃除が終了した後

拠点になっている野蒜小学校に戻り

地元の弁当屋さんの弁当で昼食。

午後から1時間程、

現地のコーディネートをしているボランティアの会の方が

拠点を野蒜小学校から鹿妻地区集会所に移動するための

荷物の搬出のお手伝い。

その後、松島温泉で入浴をして早めの夕飯。





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いつもの夕食は地元スーパーで、

それぞれ食べたいものを買い出して食べるのだけれど

今回の活動の参加者は12名、

バスの運転手さんも含めて13名と少人数だったため

外食をしようということになった。




向った先は、石巻市のオープンして日が浅い焼き肉店。

市民(たぶん)で満員のお店で、たらふく肉を食べ

お酒を飲んだ。






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ボランティアにやって来て

外食は初めてのことだったし、しかも夕食で

お酒付きで焼き肉で。

そしてさらに、この焼き肉店のある蛇田地区は

実家の目と鼻の先で、私は石巻にいる事さえ実家に知らせてなくて。




なんだかとても複雑な気分だった。

故郷の生まれ育った家のすぐ近くの焼肉店で

初対面の方たちと親しげに食事をしているなんて。

これも、あの震災がもたらした出会いのひとつで

この宴も地元への貢献のひとつだと考えて

複雑な想いを振り払った。

13名でこの夜、支払った金額は3万5千円也。

スーパーでの買い物よりは、貢献できたかな。



その後、焼肉店の並びの生協で二次会のための酒とつまみを購入。

ここでも地元へ貢献できた。



震災が起ってからのボランティアの数には、すごいものがあったから

被災地で再開した店舗は、ボランティアのお客様で賑わっていた。

昼食時にはコンビニのレジに、店舗の外にまで長い列ができるほどだった。

そのボランティアの数が減ってしまって、

年末にはさらに減るのだと思うと胸が痛い。



お店だって、痛いだろうな。



だから、作業がなくとも、観光でも見物でも

理由なんかなくとも、行けるなら行った方がいい。

お酒を飲んで楽しく過ごしても、行ったほうがいいと

皆がそんな気持ちになってくれたらいいのになあと思う。
















| Ishinomaki | 12:16 | TOP↑

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あれこれ考えない








12月2日金曜日深夜発の

チーム東松山のボランティアツアーの作業現場は

宮城県東松島市の大曲保育園。




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今回のツアーは、震災発生直後から宮城県東松島市に駆けつけ

その後現地で、継続して活動をされているボランティアの会からの

依頼案件で、参加者の募集を急遽募ったために

参加者が少なかった。

定員25名のバスの乗車人数はわずか12名。

参加費用は変わらないので、これではバス会社は赤字になってしまう。



実はチーム東松山の活動に際しての参加費が安い背景には

埼玉県東松山市のバス会社の協力がある。

このバス会社は、チーム東松山の活動の主旨に賛同して

毎回、利益度外視で経費のみでバスを出してくれるのだ。

しかもバス会社の社長が、ボランティア派遣時の隊長を努めてくれるので

とても頼もしい。






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バス会社の赤字の上、急遽集められた参加者が向った

保育園での作業は園の周りの側溝の泥出し。








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泥出しをするのは、今回が初めてではないらしく

側溝に5センチ程に溜まった泥を出す作業は

わずか12人の手によっても、午前中の作業で終わってしまった。






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今回は災害・復興ボランティアセンターの案件ではないので

作業が終われば、私たちの仕事も終了となる。




あれ?

せっかく呼ばれたのにと、拍子抜け。






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午前中の作業だけでも、運び出した泥はこんなにあるし

園の先生方も喜んで下さったことだし

だいいち、被災地へは足を運ぶだけでも意味がある。



私たちボランティアが行くことによって

現地にお金が落ちる。

活気も出る。

誰かが行かなければいけないのだから

忘れてしまうことだけは、してはいけないのだから

行くこと。



もう、あれこれ考えるのはヤメだ。



ここに来ていることに、

そのこと自体に意味があるのだと

そう信じて笑顔で保育園を後にした。






| Ishinomaki | 11:30 | TOP↑

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皆既月食







昨夜は月食だった。

しかも11年振りに皆既月食になるという。

好天に恵まれた太平洋側の各地で見られるということだったので

時間を見計らって

一眼レフに三脚を装備して2階のベランダに出た。






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リビングの掃き出し窓から出て空を見上げる私の丁度真上に

青白く光る欠けた月の姿があった。

12月の夜空の下は痺れるほどに寒くて、吐く息が瞬く間に白く変わる。

さっそくリビングに戻り、部屋着の上にジャージを羽織り

また外に出て、三脚を立てカメラをセットした。

そのまましばらくの間、刻々と姿を変える月をファインダー越しに見ていた。

部屋着の上にジャージを羽織っただけの身体が芯まで冷えて

歯がガチガチと震えて止まらない。

また室内に戻り毛布を手にベランダに引き返し

毛布にくるまって空を見上げた。





冷たい空気を通して地上に届く月の光は白く明るく

眩く輝いていた。





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やがて地球がすっぽりと太陽と月の間に入り光を遮ると

月の光は白から温かなオレンジ色へと変化する。





生まれてからこれまでに何度、月食を見ただろう。

一番最初の記憶は10歳だった頃に遡る。

両親が現在の私の歳よりも若くて、まだ二人とも生きていて

私は学校の宿題で月食の観測を命じられてしまったために、

刻一刻と変化する月の姿を和室の窓から眺め、

母の出してくれたテーブルの上で画用紙にその姿を書き留めていた。

その月食の夜は

ススキが飾られ、蒸かした芋と栗と母のこしらえた大きなおはぎが

宿題をする私のちょうど真正面にあった。

月食の夜と中秋の名月を祝う夜が、同じ夜だったなど

まったく有り得ない話なので

きっと後から、別の記憶とごちゃまぜになって

自分で作りあげてしまったのであろう。

けれど、この記憶が私の中にある一番最初の月食の記憶なのだ。

だから、月食を見る度にこの光景が頭の中に蘇る。




宿題と色鉛筆と画用紙とススキと芋、栗、大きなあんこのおはぎと

若かった父と母と、そして幼い私と姉と。








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月食の記憶に想いを馳せていたら

故郷の懐かしい風景に想いが至ってしまった。

幼い頃の私を思い出す時に石巻の風景が頭を過ってしまうことは

仕方のないことだけれど

月の妖しい光が昨夜の私の心を余計に故郷へと誘ったのかもしれなくて

そして、それが悲しかった。



冷たくなったつま先を手で温めながら故郷を想う。



幼稚園の帰り道、モンシロチョウを追いかけたキャベツ畑や

道草を食いながら蛙を追い、おたまじゃくしを掬った田圃や

腰までの高さになった青い稲のあぜ道を、親戚の家に行くために

ギラギラ燃える太陽の下を汗をかきながら歩いた暑い夏休み。

どこまでも青い空。

入道雲。

渡波の海水浴場と松原と、浮き輪のぶら下がった土産物屋の軒下や

工業港の岸壁まで自転車を走らせて、水辺で遊んだこと。

雲雀野の荒れた海や、高校の1歳年上のボーイフレンドと

一緒にテクテク歩いた運河沿いの道。

桜の花の咲く日和山の賑やかなお花見の人混みと

山から見下ろした太平洋と北上川と河口に広がる町並みと。




海はどこまでも広くて青くて丸くて。

海の見える、海のある町に生まれて住んでいたことが

誇りだった。





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毛布に包まりながら

つらつらと、そんなことを想いながら月を観ていた。



「悲しい。」が夜空を泳ぐ。



ファインダー越しに観るのを止め、自分の目で直接月を仰ぐ。

涙というフィルターを通して見た月は

先ほどまでの温かなオレンジ色から、氷のように冷えた緑色に変わった。

キラキラと輝いていた故郷が

荒涼とした大地に変わってしまったことを

まるで月も悲しんでいるかのように

暗く深く静かな夜になる。





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たくさんの苦しみやたくさんの悲しみが

夜空を飛び交う。





そして月の涙がひとしずく

悲しく光る。






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次に月食を見るのは3年後だ。



3年後の月も今夜の月と同じように

たくさんの悲しみを受け取って、

深く冷たい緑色になり、光を止むのだろうか。

願わくは

人々の嬉しい楽しいを受け取って

温かなオレンジ色の希望の光で輝く月であって欲しい。

そしていつまでも、止むことなく夜空に輝いていて欲しい。











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