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もう恐いものはない






震災から1年4ヶ月も経ってしまったので

悲しいことだけれど、ボランティアの数が

昨年から比べると、大幅に減少した。


かく言う、『チーム東松山』でも

最近では交流系ボランティアが中心なこともあって、

参加者数が少なく、人集めが大変な様子だ。

今回の橋浦ツアーでも、応募者が少なく

予定していたマイクロバスの定員が埋まらず

日程の見直しをして再三再四募集をかけたものの

やはり必要人数が集まらず

マイクロバスからワゴン車に車両変更しての出発となった。

今回は私も旅の疲れが残っていたので、参加する予定はなかったが

再度の募集に「仕方がないなあ」と、重たい腰を上げたのだ。





20120731IMG_0605.jpg

結局今回の橋浦ボランティアツアーの参加者は

男性10名、女性は私を含め2名の12名。

ワゴン車と乗用車に分乗しての被災地入りだった。

参加者全員がこのチームのボランティアに何度も参加をしており

全員が顔見知り。

女性の1名は、アツアツの彼と一緒の毎度のカップル参加なので

実質、参加女性は私一人かも(?)な状態。

この状況、作業中や食事中はどうということはなかったが

移動中のワゴン車の中や宿舎では、大変居心地が悪かった。

宿舎はいわゆる公民館利用なのだけれど、利用可能な部屋は1部屋だ。

部屋数は3部屋あるのだが、人の使用した気配がない部屋なので

喘息持ちの私にはとても使う気になれなかった。

だからもちろん就寝は大広間で、まさかの男女一緒の雑魚寝。

これには、本当にまいった。

女性の一人はアツアツの彼氏と、ぴったり身体を寄せ合って

案外平気な様子で眠っていたけれど、

私と言えば、寝袋の中で身動き出来ず、男性の気配が嫌で

第一、延々と続くイビキの大音量の中で

どうして皆、眠れるのか分けが分からず、耳にコットンを詰めたり

導眠剤を持ってこなかったことを後悔したりと、泣きたい気分だった。





20120731RIMG0041.jpg

泣き出したい気分の夜でも、疲れた身体は睡眠を欲していたとみえ

いつの間にか眠りに着いたらしく、

気が付いたら周囲が明るくなっていて、

あわてて飛び起き、女子トイレで身支度を済ませ

橋浦小学校へと朝の散歩に出かけたのだ。



ボランティアでは、本当に様々な体験をした。

瓦礫を運び、泥を運び、砂を運び、家財資材を運び

スコップを持ち、ツルハシで凍った土を砕き

足場を組みの補助をし、田んぼの草取りもした。

作業現場のトイレは大抵は仮設のトイレで

外で息を大きく吸い込んで、素早く済ませたり

(それでも臭気で涙が出るけど)

暑さの中での食事が3食とも菓子パンだったこともあり

ああ、そういえば漁船に乗ったこともあった。

ボランティア先のお宅のご婦人から

涙まじりの霊魂の話を聞かされたり、仮設にお住まいの方の愚痴を聞いたり。

そして、今回は男女同室の雑魚寝経験。

しかも大音量のイビキの合唱のなかでの爆睡。




タフになったなと、我ながら思う。

タフでなければとも思う。

「もう恐いものはないよ。何の仕事でも出来そうだ。

 工事現場でだって働けるかもしれないよ!」と

ヒトさんに言ったら

「飯場でご飯も平気だね。きっと美味しいよ!」と返事が返ってきた。

飯場のご飯ではないけれど、お散歩の後の朝食は

自然農場で採れた差し入れの白米と1個50円の超高級卵の『卵かけご飯』だ。

これは、泣けちゃうほど美味しかった。








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やってみて初めて分かること。





震災から1年以上も経つと

ボランティアの内容は段々と変わっていく。

気が遠くなりそうになった瓦礫拾いも泥出しも、

必要とされる場所は終了したとみえ、ほとんど依頼が無くなった。

最近では、作業系のボランティアの依頼は

瓦礫撤去などの後片付けに代わり

農業や漁業(養殖)などの就業支援がほとんどだという。

その農業や漁業支援のボランティアの件数もガタッと減って

今や被災地でのボランティアは

お祭りに参加協力したり、仮設住宅を訪問したり

生活全般の手助けをしたりなどの交流系が主流となっている。




20120729RIMG0020.jpg

今回私が参加したのは

石巻市北上町橋浦の自然農場の農家の方たちが

企画・運営する、ほたるの郷の田圃の雑草取りのお手伝い。

農薬を使わない自然農法の田圃脇の水路に

毎年ホタルが乱舞するのだそう。

けれど昨年は震災の騒ぎで、水路の手入れが出来ず

ホタルがまったく飛ばなかったのだそうだ。





20120729RIMG0022.jpg

橋浦地区は、子供の数が少なくなってしまったので

石巻の市街地の子供達を呼び集め

ホタルを見る会を開くことが、毎年の楽しみであったらしい。





20120729RIMG0017.jpg

ホタルの居なくなった田圃に、またホタルを呼び寄せるための

自然農法のお手伝いとして

チーム東松山では、この写真の田圃1枚を受け持っている。

春には田植えをして、夏の雑草取り、秋の稲刈りと

機械を使わずに、作業を進めるのだ。





20120729RIMG0018.jpg

橋浦の、この自然農場のある地域は

震災津波の被害は受けなかったので

厳密に言うとこれは

震災ボランティアではなくて、地域交流なのだと思う。

『お手伝い』ではあるけれど

『交流』であってボランティアとは、ちょっと違うかな?

という感じがした。




20120729RIMG0021.jpg

まあ、それでも

雑草取りは、想像以上にキツイ仕事で

中腰になった腰は痛いわ

太ももはパンパンに張るわ

草を引き抜く手指が痛いわで

途中で逃げようかと思ったほどだ。

農薬を使わない自然農法で採れるお米は

人の手で、こんなに苦労して育てているのかと思うと

これからは、一粒たりとも無駄にしたりできないなあと

農家の方たちの仕事の厳しさや大変さは

やってみないと分からないものだなあと

改めて感じた次第だった。





20120729IMG_0607.jpg

我々の受け持っている田圃の草取りが全て終わった後、

石巻市街地から、子供たちがやって来た。





20120729IMG_0608.jpg

子供たちが、雑草を抜くのは

古代米の稲の植えてある小さな田圃1枚。

イモリやカエルを追いかけて、キャーキャー、ワーワー。

おやつのキュウリの漬け物

採れたて卵のゆで卵、茹でたジャガイモを食べて

ワイワイと、楽しいひとときだった。





20120729IMG_0609.jpg

田圃の草取りの終了後は、納屋の片付けのお手伝い。




20120729IMG_0610.jpg

なんでも、廃屋を譲り受けたので

手入れをして

地域の憩いの場にするそうだ。



20120729IMG_0612.jpg

片付ける納屋は、農家だったお宅の納屋なので

大量にあらゆるモノが納められていて

ホコリやら虫やらカビやらで

「うひゃあ」と言ってしまいそうになるほど

大変だった。






20120729IMG_0611.jpg

母屋は大工さんが入り、綺麗に改装する予定なのだそう。

きっと素敵な『憩いの場』になるのだろうと思うので

出来上がったら必ず訪れたい。



さしずめ、秋の稲刈りの時?



でも、機械を使わないってことは

鎌を持って刈り取るのだろうから、

またもや太ももがパンパンで、手首がジンジンしちゃうかも。

う〜ん。

よく考えて決めることにしよう。








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それだけじゃないよね?







7月21日昼

今回の活動現地・石巻市北上町橋浦地区へ向う前に

視察も兼ねて、塩釜漁港に立ち寄った。




20120727IMG_0601.jpg

ついでに魚市場で昼食。

それぞれが食べたい魚を買い求め

持ち寄ってひとつのテーブルで、つっつき合って食べた。





20120727IMG_0604.jpg

テーブルを借りるために

ご飯とお味噌汁代を¥300-支払う。

どんぶりご飯(大盛りは¥400-)とインスタントのお味噌汁

食べ終わる直前で、あわてて写真を撮った。





20120727IMG_0600.jpg

塩釜港の津波のシーンは

何度もYouTubeの動画で見た。

塩釜も大変な被害だった。

この魚市場も水に浸かったと聞く。

津波の被害など微塵も感じない賑わいで

市場の皆さんも明るく元気でいらした。

震災前同様とまでにはいかないかもしれないけれど

活気を取り戻している場所があることは、とても嬉しい。




20120727IMG_0603.jpg

魚はどれも驚くほど安くて美味しい。

海外産のものでも、堂々と売っているところが

東北人の正直な気質のような気がして

とても嬉しかった。

私はボランティア太りを警戒して、あまり食べなかったけれど

他の参加者は、てんこ盛りの海鮮丼をこしらえて

悦に入っていた。

来月のボランティアツアーには、塩釜港から出る

松島湾の遊覧船に乗るメニューがあるらしい。

海上から被害の様子を見る目的らしいけれど

どうやらそれだけじゃないよね?

こんなふうに小さな楽しみがあるから、長く続けられるんだね。

きっと。








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虚無感に襲われる





相変わらず、被災地から帰って来た後は

虚無感に襲われる。

目に映る普段の生活での物事が

現実ではないような気がしてならないのだ。

陽気で元気な3頭のパグに囲まれて、いつもの通り仕事はしているが

どこか上の空で、なかなか仕事に集中できない。

ましてや、愛犬の可愛らしさを題材にして

ブログなぞ書く気にもなれない。

毎度のことながら、このどうしようもない虚無感から抜け出すのには

自分で見てきたこと、行動したこと、感じたことを

こうして書きなぐるしか、手だてはないのだと思う。





20120726RIMG0024.jpg

農作業2日目の朝に早起きをして、

石巻市北上町橋浦本地生活センター宿舎から

5.5キロ離れた大川小学校まで歩いて行くと

参加者のひとりが言い出したので

私も付いて行った。




20120726RIMG0027.jpg

朝5時起床。

パパッと身支度をして、5時半に宿舎から出た。

往復11キロの道程。

7時半の朝食に間に合わせるために、歩を進める。

目指す大川小学校は新北上大橋を渡った先にある。

歩き始めて20分程で、付いてきたことを後悔した。





20120726RIMG0032.jpg

新北上大橋。

大川側から橋を望んだことはあったけれど

橋浦側から見るのは初めて。

橋の半分以上が津波で流され、橋浦側は

仮の橋が付けられたままとなっている。




20120726RIMG0034.jpg

仮の橋は、急なカーブで

元の橋に繋がっていた。





20120726RIMG0036.jpg

大川小学校。

人影が見えたので、近くからの撮影がはばかられ

橋の上から写真を撮った。




20120726RIMG0037.jpg

昨年の秋以来、何カ月振りになるだろうか。

学校のすぐ傍にあった瓦礫の山が、きれいさっぱり無くなって

残っていた診療所の建物も、

他の家々の基礎も何もかも無くなって

更地になって、夏草が生い茂っていた。





20120726RIMG0039.jpg

残っているのは、学校と

子供たちのご遺族が毎日手入れをしている

慰霊碑と祭壇と母子像だけ。

この場所に集落があったことを感じさせるものが何も無い。

ひとつの集落が、人々の営みが

丸ごと消えてしまった現実が、この上なく重い。



そして新北上大橋から川面を見下ろした時に気が付いた事実がある。

私がいつも愛犬を連れて散歩に出かける荒川の堤防に比べ

北上川の堤防の高さは三分の一以下だろうか。

驚く程低いのだ。

堤防のかさ上げの工事はなされているけれど

かさ上げ高は、わずか50センチ程度に見えた。



大都会と過疎地への行政の違いを怒ってみても

仕方のないことなのだろうけれど

こうして見てきたこと、感じたことの重さに

私の思考回路が付いていけず、

虚無感に襲われてしまうのだ。





20120726RIMG0040.jpg

大川小学校から少し離れた堤防沿いに

向日葵の花が咲いていた。

子供たちの親御さんが植えたものだろうか。


この場所で唯一、人の気配を感じるもの。

私の目には、そう映った。








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たとえどんなに叱られても、これは現実






震災から1年4ヶ月が過ぎて、

震災関連のニュースがめっきり少なくなった。

その少ないニュースで流される映像は

瓦礫や壊れた建物が撤去されて、更地になった町の風景が多いように思う。

先週末に4カ月振りに訪れた石巻での作業の合間に

私の義兄のお姉さんが亡くなった土地=長面に行く機会があったので

写真を数枚撮って来た。





20120725IMG_0620.jpg

震災から1年以上も経っているというのに

盛り土した砂利敷の道路が通されているだけで

壊れた家々の撤去は行なわれておらず

ほとんど手付かずのままといった印象を受け

思わず息を飲んだ。




20120725IMG_0621.jpg

更地になり夏草が生えた町や

仮設住宅で必死に暮らしておられる方々の様子や

復興に向けて頑張っておられる方々の映像だけを見せられている身には

何も言葉にならず、衝撃で足がすくんだ。




20120725IMG_0622.jpg

以前義兄から、航空写真でこの辺りと教えてもらっていた

お姉さんの家があったであろう場所を歩いてみた。

「山まで200メートルくらいしか離れていなかったのに」

写真を見ながら義兄が呟いていたけれど

実際に訪れてみると、山までは遠い。

長面浦の湖面は波も立たず静かで、北上川の河口から長面浦までの、

大昔は干潟であっただろう集落の幅は大層広い。





20120725IMG_0623.jpg

「なんで逃げなかったんだろうなあ」

何度も繰り返して問いていた答えは

同じ場所に立ってみなければ分からない。

無理もない。

こんな風景明媚な穏やかな町に、恐ろしい津波が襲いかかってくるなんて

想像だにしなかったことだろう。




20120725IMG_0624.jpg

どんなに怖かったことか。

想像することしか出来ず、何も出来ない我が身を思い

やりきれなさに襲われてしまう。




20120725IMG_0614.jpg

長面には、早朝に訪れたせいもあってか

人影が全くなかった。





20120725IMG_0615.jpg

作業用の重機が何台か見れたので

少しずつでも撤去作業を進めてはいるのだと思うけれど

おそらくここに人は帰ってこられないのではあるまいか。





20120725IMG_0616.jpg

それでも、数件の家の軒先に

ボランティア団体が試験的に設置したという

太陽光発電のパネルが設置されていたり




20120725IMG_0617.jpg

漁師さんが作業場に使っているのだろう

水揚げ用のカゴが置いてあった。





20120725IMG_0618.jpg

生き残ることが出来た全ての人が

ここでの生活をあきらめたわけではなくて

漁を再開した漁師さんもおられるので

すでに営みは再開されているのだけれど

その数が絶対的に足りていないので

遅々として復旧・復興が進まないのだと思う。







20120725IMG_0619.jpg

今回、長面を訪れることができ

写真も撮ることができたけれど、だからといって

こうして凄惨な町の姿をブログにアップすることが

正しいことなのだろうかと、いつものように

思い悩む。





20120725IMG_0633.jpg

「見るに耐えない」と

お叱りを受けるかもしれないと覚悟の上だ。




20120725IMG_0628.jpg

「写真を載せて何になる?」

そう思う人もいるであろうことも承知の上だ。




20120725IMG_0631.jpg

都会から出ている『被災地応援バスツアー』は

決してこの場所には来ない。

取材のカメラも入らない。

ボランティアでさえ、手の出し様がない。




20120725IMG_0632.jpg

けれど、この海で生計を立て

なによりもこの土地を愛している人々がいるのだ。



土地を愛するということは

理屈なんかじゃないはずで

生まれ故郷を捨てた私がしたり顔で語ることほど

不遜なことはないのだと思う。





20120725IMG_0635.jpg

私は都会からやってきた、ただの通りすがりの者で

何の手助けもできない、なさけない人間だから

せめて、ほんの少しの人にだけでも

長面という集落のことを

「忘れないで」という想いや

「あの日のまま時間が止まった場所があることを知ってほしい」との

願いを込めて、こうしてブログという形で

公開するしか出来ないのだ。

たとえどんなに叱られても。








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