仙石線に乗りたかったから
あの大震災で、一部区間が不通になっていた「仙石線」が
5月30日に全線開通した、というニュースを聞いたので
6月6日に、さっそく乗るために
石巻へ帰った。

仙台駅で、電車待ちの時間があったので
終点の青葉通り駅まで上り線に乗り
そこから石巻行きに乗り換えようと思ったが
長い待ち時間に耐えられず、次発の高城町行きに乗った。
入って来たのは、マンガ列車だった。

高城町の駅で降りたところで
何もすることがないので
ひとつ手前の松島海岸駅で降りて、お手洗いを借りた。

ホームからは
閉園してしまった「マリンピア」が見える。
幼い頃には、ここは動物園だった。
生まれて初めて象を見たのも、ここだった。
閉まる前に、もう一度、行きたかった。

松島海岸の駅のホームで時間を潰し
石巻行きの電車を待った。
ここからが、私の乗りたい「仙石線」の区間。
本番だ。
陸前富山(とみやま)を過ぎると海が見えてくる。

残念過ぎる高い堤防。
けれど、海が見えてきたら
乗客たちが一斉に窓の外を見た。
中には立ち上がって、背伸びをして海を見ている人もいた。
携帯を取り出して写真を写す人
本格的なカメラで写す人も、ipadで何やら書き込んでいる人
皆、落ち着いて座っていられない。
車内は感嘆の声に包まれた。
「涙、出てくる」
女性の声がした。
私も、つられて涙が出た。
皆、待ち望んでいた。
こんなにも皆、仙石線の車窓から、松島湾が見たかったのだ。

物心ついた時から乗り馴れた
仙石線から見える風景のピカイチは松島湾だ。
ほんの僅かな時間だったけれど、あの日から数えて4年。
長い待ち時間の後に与えられた、夢のような時間だった。

仙石線は陸前大塚を過ぎると
旧区間から外れて、内陸を走る。

線路から山側は造成地ばかり。

その全てが空き地だ。
宅地造成を計画した頃には
震災で非居住地域に指定された地区に住んでいた人々が
ここに新しい街を形成するためのものだったが
4年は長すぎた。
仮設住宅や親類宅に身を寄せていた人々は
仙台や、その他,内陸部に住処を求め仕事を求め
もはや、新しい生活を始めている。
この、恐ろしく何もない造成地に
いったい、何人の人が帰ってくるのだろう。
政府の見通しの甘さや無駄な金遣いを
東北の太平洋沿岸では、イヤと言うほど見せつけられて
怒りを通り越して悲しみすら覚えてしまう。

そんな気分を一掃させてくれるのが
新しい野蒜駅だ。

可愛らしくてオシャレな駅舎とホームが出来ていた。

野蒜駅を出ると、電車は田圃の真ん中の高架上を走る。

私は、この日
野蒜駅の次の陸前小野駅で降りた。
小野での第一の目的は
ご無沙汰している叔父叔母の家に行くこと。
叔父さん叔母さんは大歓迎をしてくれた。
採り立ての筍ご飯とカツオの刺身の旨いこと。
そして二番目の目的は
仮設住宅で作られている「おのくん」という
ぬいぐるみを買うことだ。

おのくんは、一組の靴下で作られている。
知る人ぞ知る、全国区のヒット商品だ。
ところが、この「おのくん」
制作場所にしている仮設住宅の解体期限が迫っているらしい。
仮設のおばちゃんたちには深刻な問題だ。
現在、小野駅の傍に「空の駅」という新たな拠点を建設中だけれど
資金不足だそうだ。

さて、
私が「里親」になった「おのくん」は全部で6体。
全部違うけれど、全部が「おのくん」だ。
5体は、私の地元のイベントで
新たな里親を募集しようと思っている。
ちなみに、おのくんの後ろでアイスキャンデーを舐めているのが
私の叔父さん。

叔父さんに見送られて、再び仙石線に乗車。
陸前山下駅で下車して、レンタカーを借りて
亡き両親の墓参りに行った。

その後
「がんばろう石巻」の看板のある地区へ。

石巻市南浜町と門脇地区は
渡波地区に次いで犠牲者の多かった地区だと聞くが
すっかり更地になり
あちこちで、道路工事が始まっているので
始めてこの場所を見た人には
ここが「被災地」だとは、感じられないのじゃないか
そんなふうに思った。

寂しい。

きっと
ここに住んでいた人たちは
今のこの場所を見たら、そう感じる。
ここに、昔のように賑やかな街が再生出来ないのは
仕方のないことだとしても
何もかも無くしてしまうのは、あまりにも寂しい。

その後
レンタカーを運転して女川へ行った。

やはり、全線開通した「石巻線」に乗りたかったけれど
時間が無く断念。
次のお楽しみだ。

駅舎利用の温泉に入って見た。
真新しい施設がとても気持ちいい。

しかし、心配なことに
土曜日の夜の早い時間というのに
客の姿が無い。

開業時には満員だったと聞くが
日本人の、新しい物好きで飽きっぽい気質が
影響しなければいいなあ、と思う。
せっかく出来た、待望の施設だ。
なんとか、頑張って欲しいと願う。

女川も、駅の周りは何も無い。
やはり、あちらこちらで
道路や土地の造成工事をしているので
初めてこの場所を見た人には
震災の悲惨さは伝わらないだろう。
忘れてはいけないのに
どんどん、進まなくてはいけない。
このジレンマに被災地の人たちは、これからもずっと
苦しまなくちゃいけないのかなあ、と思うと
外に出て、たまに帰省して眺めているだけの我が身のことを
役立たずの情けない存在だと思ってしまう。


スポンサーサイト
| Ishinomaki | 14:10 | TOP↑