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土曜日は旅の記憶 Vol.20『上海・蘇州 亡き母に捧ぐ』








私の亡き母は1927年(昭和2年)に生まれた。

昭和元年は1週間しかなかったので

実質は昭和の最初の年に生まれたのだと

母は生前、口癖のように言っていた。





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昭和の初めに生まれた母の世代は

人生で一番華やかな年頃を太平洋戦争に奪われた世代だ。

幼かった私と姉は母から『戦争の話』を聞かされて育った。

それはまるで、ご飯のおかずのように

尽きることなく毎日毎朝毎晩繰り返され

耳にタコができそうな程だったけれど

子供だった私たちには、『戦争の話』なんて聞きたくはないと

母に告げることも出来ず、実際に経験したことのない『戦争』が

妙になリアリティーを伴って頭の中に植え付けられ、

幼いながらに戦争は怖いのだと恐怖に震えたものだった。







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母から聞かされた『戦争の話』は

食糧難や、空襲の恐怖、原爆で死んだ弟、

千人針、引き上げのことなど様々なことで

それにはため息と愚痴が付き物だったけれど、

その深く悲しい戦争体験の中で、唯一母が楽しげに語った話がある。

それは、母の中国での暮らしの話しだ。




母の父親、すなわち私の祖父は鉄道員だった。

父親の鉄道の仕事の関係で、10代の少女だった母は

終戦を迎えるまでの数年間を一家で中国・蘇州で暮らしたそうだ。






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蘇州で高等女学校に通い

上海の領事館でタイピストとして働いたことや

蘇州の家には中国人の使用人が何人もいたこと

恋い焦がれた男性がいたこと、等々。

仏頂面が常だった母が蘇州時代に話が及ぶと

目を輝かせ笑みを浮かべ本当に楽しそうに語った。

そして必ずといっていいほど

「あの頃が一番楽しかった。もう一度、蘇州に行きたい。お母さんの夢なの。

 住んでいた家を見てきたい。まだ残っているかしら。」

こう言って話を終えるのだった。






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母に虐げられ愛された記憶もなく、18歳で母との暮らしに見切りをつけ、

生家を出た私だけれど、幼い頃から幾度も聞かされた『母の夢』は

私の脳裏に何故かしっかりと根を張っていた。

大変ありがたいことに、1999年のこの年に

山のように仕事をいただいた私は、

例年よりも多くのお金を手に入れる事ができたので

そのお金で「母の夢を実現させる」ことに決めたのだった。





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母に蘇州に連れて行くと告げると、父も行きたいと言い出した。

この年の数年前に胃がんを煩って胃の全摘出手術を受けた父だ。

数年を掛けてやっと元気になったものの

再発の心配はつきまとう。

もしかすると、この機会が父にとって最初で最後の

海外旅行になるかもしれないと電卓を叩き、父も連れていく覚悟を決め、

老人を二人も連れて行くのは私一人では手に余るため

カバン持ちに二男を同行させて、

たった3泊4日の上海・蘇州の旅をスタートさせた。






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楽しかった。

考えてみれば、私は18歳で親元を離れたのだ。

故郷を離れてからこの時で20数年も経っていて、

これが初めての両親との旅だった。




癌を煩って以来、食事が思うようではなく

痩せ細ってしまった父が、一番はしゃいでいた。

驚くほど歩いた。

精力的に名所を観てまわり、土産物屋を覗き

点心を美味しそうに頬張り、上海蟹を独り占めし

高い塔にまで登った。







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どの写真でも楽しそうに笑っている。

嬉しくて楽しくてたまらないと

満面の笑みを浮かべて微笑んでいる。



昼間歩き続けて疲れているはずなのに

私と二男が夜景を観に行くと告げると

「俺も行く。」

と言って付いてきた。






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長い距離を歩いた。

ふと振り返ると父と母が手を繋いで歩いていた。

両親が手を繋いで歩く姿をこの時に生まれて初めて目にして

笑いが止まらなかった。

母の笑顔を久しぶりに見た気がした。

私も父も母も二男も楽しくて嬉しくて

みんなで手を繋いで歩いた。

笑ってはしゃいで、その勢いで泣き出したくなるような

そんな楽しい夜だった。





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私はずっと母が嫌いだった。

もちろん母が亡き今でも嫌いだ。

だけど、あの時は母の夢を叶えてあげたいと

今なら叶えてあげられると思ったのだ。




子供の頃からずっと聞かされて育ってきた

母の蘇州と上海に

母を帰すことが私の仕事のような気がした。




決して親孝行をしようと思ったのではなく

親に恩返しをしようと思ったのではなかった。




私なら出来る。

そして出来るのが今だと、そんなふうに思い実行した旅だった。






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満面の笑みを浮かべて、上海の夜の街を手を繋いで歩く父と母。

この写真を撮ってから5年後に

癌を再発した父が逝った。

後を追うようにその2年後に母が大腸癌で逝った。

その晩年は二人ともこの日の笑顔が嘘だったかのように

壮絶だった。





嫌いな母なのに、なぜ連れて行く気持ちになったのか

今でも私は自分の気持ちがよく分からないでいる。

あの日の母の笑顔は私には嬉しくて悲しい。

母が喜んでくれた分だけ嬉しくて

母に愛されなかった分だけ悲しい。

上海英国疎開の夜の4人の笑顔の写真はリビングの隅に置いてあって

私は思い出したように写真に語りかける。



「お母さん、中国の旅行は楽しかったね。

 私はもっとあなたと話がしたかった。

 私はあなたに愛されたかったんだよ。」



答えてはくれない笑顔の写真に私は今も語りかける。






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※書き進めるうちに日付が変わって日曜日になってしまいました。タイトルは土曜日は~と打ってありますが、お許し下さい。


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