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―被災から16日目の石巻を歩いて― NO.1





3月11日に発生した東北関東大震災で、被災した故郷石巻の街に

先週末に帰郷いたしました。

実家の状況や石巻の街の惨状は、私の想像を遥かに越えて

現実に起ったことだとは思えないほど凄惨なものでした。

どうやってこの街の状況を伝えればいいのか

私にいったい何ができるのか、自分の無力さが情けない限りです。

私の愛する故郷・石巻のために私に今、何ができるのか考えて考えて

私にできるのは、石巻の凄惨な姿を私の目で見て写真に撮って

少しでも多くの方に見ていただいて

募金の協力を呼びかけることだと思いました。

この非常時に写真を撮って歩くということ、それをブログに掲載すること

お叱りは覚悟の上です。

また、少しでも多くの方に見ていただきたいので

ブログ村『パグ』にも新着情報を流しています。

ランキングには参加しておりませんのでどうかご理解下さい。

撮った写真は200枚以上。

数回に分けて全部の写真を掲載する予定です。

枚数を重ねるごとに悲惨な光景の写真になってしまいますが

どうか目を反らさずに見てください。

この街の人々は、わずか20日前にはあなたと同じように

ごく普通の平和な日常を過ごしていたのです。

1円でも10円でも、少しでも多くの義援金を、この街や他の被災した

東北・関東にかけての太平洋沿岸のたくさんの街で必要としています。

わずかな力にしかなれないかもしれないけれど

このブログを見てくださった方のお力をお借りしたいと

切に願っています。







27日に、実家の姉と今回私と一緒に帰郷した姉の娘と伴に

11キロの行程を徒歩で回りました。

実家のある大街道北からスタートして双葉町に向かい

壊滅状態の門脇、南浜町を抜け、旧北上側の川岸から中瀬を望み、

中央、寿町、立町を通り、日和山に登り石高前から宜山町、

大街道南、大街道東を回って大街道北の実家へ戻るルートの予定でした。

けれども大街道東に差し掛かかり、及善商店前で道が塞がってしまい

住宅街の小道も、とても歩ける状態ではなく

大街道南と大街道東を歩くのは断念いたしました。

あの日から16日経っても、街のほとんどが復興するには

ほど遠いというのが現実なのです。





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日本製紙の工場から流れてきた紙のロール。
工場から2キロ程離れている実家近くまで流れてきた。
ちなみに実家は海から3キロ程離れているが
床上1.2メートルまで浸水した。




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ドラッグストア「ツルハ」の駐車場。
もちろんコンクリート舗装だが、泥に埋まって地面が見えない。



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ミニストップの駐車場。
同じく泥だらけ。
駐車している車は水没して動かなくなったまま
放置してある車。



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路上や駐車場に止まっている車の全てが被災した。
動かない、廃車にするしかない車だ。
右上に見える建物が、多くの人が避難・孤立した
パチンコ店「大将軍」



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無傷に見える車でも…




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どの車も車内はこの状態。




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ロール紙。
製紙工場が被災したので紙不足が懸念されていると
ニュースで言っていたけれど
少しくらいの不自由は我慢して欲しいと思ってしまう。



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金網のフェンスは全てこの状態。




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ファミレス「トマト&オニオン」で
炊き出しをやっていた。




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嬉しそうに食べる方たち。




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姉も列に並ぶ。




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大喜びの姉。




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豚汁と丼一杯のご飯に漬け物。




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この地区での炊き出しは、震災発生から16日目の、この日が初めて。
近所のご婦人が「16日振りで温かいものを食べた」と話してくださった。
「昨日初めて下着の配給があって、15日振りで着替えたの」
との話には涙が出た。

もちろん私は、炊き出しの列には並べなかった。
申し訳なくて、食べられない。



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工業港への貨物線の線路の土手。
逃げ遅れた何十人のも人々がこの土手の上に避難したそうだ。
濡れた身体で氷点下の一夜を
身を寄せながら、焚き火で暖をとって過ごした。



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ロール紙は街のいたるところに転がっている。




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ベビー服の「西松屋」前。



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建物が無事でも、ほとんどの店舗や家の中のものは
泥にまみれ、ゴミにするしかない。




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ロール紙。
人にぶつかっていたらと思うと、ぞっとする大きさ。




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末広町の交差点。
ここから被災の激しかった地区に入る。





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水が押し寄せた高さまでゴミがびっしり。





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波の勢いの激しさが分かる。
大街道(398号)では、このように破損した車は
見かけなかった。




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左の四角い固まりは、古紙(古新聞)の束。
ロール紙と同じく製紙工場から流れてきた。




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製材所から原木が流れてきている。




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どの家の前にもゴミ、ゴミ、ゴミの山。





ここから先は壊滅状態になった南浜町と門脇です。
明日以降に掲載したいと思っています。
約1,700世帯の方々が家はおろか、何もかもすべてを無くしてしまいました。
私や姉の知人、友人の家もこの町内にありました。
命は助かったけれど、この方々のこれからを想うと涙がでますし
見慣れた街の変わりはてた姿は筆舌に尽くしがたいものがありました。
凄惨な街の姿を、興味本位でも同情でも何でもかまわないです。
見てください。
そして、少しでもこの街の人たちのために
あなたの力を貸してください。

私も義援金を数万円、募金しておりますし
実家の援助も数十万円しています。
今後も機会があるごとに、私のできる範囲で応援したいと思っています。




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