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―被災から16日目の石巻を歩いて― NO.6






私は高校卒業後18歳で進学のために

故郷石巻を離れ、上京いたしました。

以来30数年間、ただの一度も石巻で暮らしたいと思ったことはなく

それどころか、盆暮れにですら石巻へは滅多に帰らず

一度も帰郷しなかった年も数回あります。

さすがに最近は両親の病気や父に続いて母が他界したことも手伝って

帰郷することも多くなっていましたが、それでも多くて年に数回。

大抵は1泊か2泊の短い滞在です。

私は子供の頃からこの街が好きではありませんでした。

それは、目立たない子供時代を過ごしたせいもあるかもしれませんし

自分自身の好奇心を満たすものを

この街に、見いだせなかったからかもしれません。

長い間「石巻なんて」と思っていた私が

こんなにも石巻が好きだったことに、今回の震災で気付かされました。

すっかり首都圏の人間のような顔をして生活している私ですが

やはり石巻が好きですし、石巻の人たちが好きです。

故郷石巻に被災前の美しい姿が戻ってくることを何よりも願っています。

そして、列車で帰郷する際には、仙台駅から必ず利用した

仙台と石巻を繋ぐ、今回の津波で流されてしまった仙石線に

揺られて石巻に帰る日が近く訪れる事を信じています。







+マップ5_convert_20110406113342

今回掲載のルート。地図上のオレンジのライン。
日和山を後にして石巻高校前を通り吉山町の坂を下り
セブンイレブン前の交差点へ。
240号を曲がらずにそのまま真っ直ぐ進む。
貨物線の踏切を超え及善商店前から用水沿いに住宅街へ
進もうとしたが道が塞がれていて断念。
本草園横から住宅街へ入るも浸水のため断念。
240号に戻り、出発直後に通った末広町交差点を経て
大街道・398号を通って帰宅した。



RIMG0497_convert_20110406113411.jpg

日和山・鹿嶋御児神社前を後にする。
日和山に向う途中の泉町のコンビニで弁当を買った。
家で『泥出し』を頑張っている義兄と甥にミックスフライ弁当を2つ。
写真を撮るために、姉に持たせた。


RIMG0498_convert_20110406113428.jpg

コンビニで弁当を目にするのは、夢のようだった。
空いている棚が多いのに、弁当の棚だけはミックスフライ弁当と
いなり寿司と海苔が巻かれたおにぎりが、山のように置いてあった。
姉がぽつりとつぶやいた。
「なんで、ガスも電気も水道も通っている所のコンビニに、弁当があって、
 ウチの方には売ってないのかな。なんだか不公平。」


RIMG0499_convert_20110406113447.jpg

ちらほら舞っていた雪が本降りになってきた。
姉に言われるままに、ダウンコートを着てきてよかった。
3月も末だというのに、石巻は本当に寒かった。



RIMG0500_convert_20110406113507.jpg

眼下の街に手を合わせ日和山を後にした。
この日、日和山にはフジテレビとNHKの中継車の姿が。



RIMG0501_convert_20110406113526.jpg

さくら自動車学校前。
私が石巻にいた当時には本草園自動車学校だった。
中央から少し右側にちらりと写っているのが自動車学校の建物。
姉の記憶では、通りから学校の建物は直接は見えなかったそうだ。
この場所に何があったのか、どうしても思い出せないらしい。




RIMG0502_convert_20110406113547.jpg

貨物線の踏切上から大街道東2丁目方向。
線路も津波の通り道になってしまったのだろう。
線路の両脇には大量の瓦礫。




SA2A0038_convert_20110406113815.jpg

踏切から海の方向。
ここでコンデジのバッテリーが切れた。
ここからは携帯の画像。
線路沿いに七星社(?)の建物が酷く破壊されていた。



SA2A0003_convert_20110406113603.jpg

及善商店前の交差点。
ここから2本の道が水路を挟んで平行に走っているが
大きい方の道は瓦礫が除かれ通行可能だった。
小さい方の住宅街へ続く道は人が通れる状態ではないように見えた。
散乱しているのは肥料工場から流れ出た肥料の袋。
この付近は肥料のなんとも言えない匂いが鼻についた。




SA2A0041_convert_20110406113909.jpg

外国人(?)の方が写真を撮っていた。
報道の人間以外では、この日にカメラを手にしている人を
見るのは初めてだ。
私のように、コンデジで写真を撮っている人間は皆無。
被災地のかたたちが、生きるのに一生懸命で写真を撮る余裕のない中で
写真を撮らせていただくことを謝りながら写してきた。
報道関係者でもなんでもない、被災地の外に暮らす私が
写真をこうして公開していることを、今でも申し訳ないと思ってしまう。
色々な考えがあり、私の中でも様々な想いがあるが
それも正直な私の気持ちのひとつだ。







SA2A0039_convert_20110406113835.jpg

日本製紙工場。
工場の海から一番離れている場所の被害がこれでは
近い場所の被害はどんなだったのだろう。
工場の内部はどうなのだろう。
上空からの映像をニュースで見たけれど言葉にならない。



SA2A0036_convert_20110406113744.jpg

自動車学校の校舎方面へ住宅街を進む。



SA2A0029_convert_20110406113635.jpg

とにかく、泥が凄い。



SA2A0027_convert_20110406113620.jpg


SA2A0037_convert_20110406113757.jpg

写真中央左に車が見える。
普通の家の普通の庭に、何台もの車が重なっていた。
この先のT地路が、深さ15センチ程の泥の水たまりとなっていたため
スニーカーで歩いていた姉が進めなくなった。
引き返して、午前中に通った道を実家に戻った。



SA2A0030_convert_20110406113650.jpg

実家ちかくのスーパー「あいのや」の駐車場。
実家を午前11時にスタートして帰宅は午後5時。
実に6時間を、たった1回の休憩で姉、姪、私の3人が黙々と歩き続けた。
自衛隊の給水車が実家から近いこの駐車場に毎日来てくれるのは
大変ありがたい。



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作業する自衛隊の方たちのすぐ傍には
乗り上げて放置されたままの車があるのだが
もはや誰も気にとめない。





被災地石巻を先月の27日に歩いて写した写真は上の1枚で最後です。

次回の更新では、被災15日後の実家の様子を掲載します。

この掲載 ―被災から16日目の石巻を歩いて― NO.1で掲載した

炊き出しの現場で、同じテーブルにいらした方と

少しだけお喋りをしました。

実家のある場所を「あいのやの近く」と伝えますと

「あのへんはまだいいっちゃ。おらい(我が家)なんてペロリンだ。」

と話してくださいました。

屋根の上まで浸水してしまった方や、家が流されてしまった方

命を奪われてしまった方からみれば

実家の被害は本当に『まだいい』のです。

被災者の身内の顔をして、こうしてブログに写真を掲載することを

申し訳なく思ってしまう程に『まだいい』被害なのです。

被害を比べるものではありませんが、被災者のだれもが

被害にあっているのに、『まだいい』ということを

他の被災者の方に申し訳ないと思っていて、

自分の於かれている状況を「幸せ」だと

言いながら毎日を送っています。

「幸せ」と言わないと、心が折れてしまうのかもしれません。



私が言える立場の人間ではないのですが

「辛かった、悲しかった。」と言っていいのじゃないかと思います。

大変な出来事を『まだいい』と遠慮なんかしないで

「大変だった」と言っていいのじゃないかって思います。

そして、その辛い体験に耳を傾けるのも

被災しなかった私たちが、被災した方々に対して

出来ることのひとつではないかと思っています。






【義援金・募金・寄付できるサイトまとめ】東日本大地震





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