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震災報道されない町がある。忘れないで、石巻市築山。





先週末に故郷石巻へ、実家への救援物資を届けに帰ってきました。

丁度同じ日に、震災から1ヶ月も経って菅総理が視察にやって来て

石巻のいくつかの避難所と日和山から

石巻の象徴になってしまった、壊滅した門脇・南浜町を眺め

湊地区の水産加工場等を見て帰ったようです。

震災直後にはまったく報道のなかった石巻ですが

震災から1ヶ月以上が過ぎ、テレビに石巻が出ない日がまったくありません。

先日の4月10日に石巻に帰った私の目から見た石巻の様子と

テレビの報道で見る石巻の様子に温度差があり過ぎて憤りを感じてしまいます。

テレビや新聞で報道されない事実や市民の声も

たとえ一人の方にでも読んでいただいて

伝えたいとの想いで、この震災の更新を続けています。

例えば、菅総理の視察にしたって、テレビの多くが失われた市民には

来たという事実だって知れ渡ってはいません。

姉は、今日私が電話で伝えるまで知りませんでした。

菅総理が見て行った場所にしても、車で入れて(道路の瓦礫除去が済んで)

安全な場所だけです。

大型スーパーの「イオン」の再開や、道の駅「上品の郷」の

営業のニュースは、とても明るいニュースとして取り上げられています。

けれど、この2店舗はもともと津波の被害に遭わなかった地区にあります。

津波に遭わなかった地区というのは、市内中心部から離れた場所なのです。

テレビでは「大勢の市民が喜んでいる」とだけ報道されます。

確かにこの2店舗の営業はとても嬉しいし、大勢の市民が助かっています。

けれど、この市内中心部から離れている店舗に行ける大勢の市民とは

交通手段を持っている、比較的被災の軽かった方や

被災しなかった方たちなのです。

車を失ってしまった方や、自転車を失った方達は、

この2店舗が営業していたって、買い物には行けません。

当座の生活資金がない方達も買い物になんて行けないのです。

先日も『石原軍団』が炊き出しに来たニュースが放映されました。

石原軍団のファンの方達に叱られるのを承知で書きますが

炊き出しをやった場所は旧市役所前。

場所の制約があって、その場所でしか行えなかったのでしょう。

だから、仕方のないことなのでしょうけれど

その場所は背後に津波の被害に遭わなかった山の手が控えている場所です。

避難所で暮らしている方々や大勢の市民が集まれる場所ではありません。

集まったのは、芸能人が来るということで、物見遊山で集まった

余裕のある方たちだと思います。

石巻の実家の姉は、そんな大規模な炊き出しより

町内の隅で(歩ける範囲内で)ちょこちょことやって下さっている

ボランティアの方々の炊き出しの方が、どんなにかありがたいと言っています。

石巻に次々にやってくる芸能人。

避難所の方の心が一時でも被災を忘れて楽しむ時間が持てることは

大変ありがたいことです。

けれど、避難所にいない方たちは芸能人が来たって見に行く余裕はありません。

自分たちが今、生きることで精一杯です。

自衛隊のお風呂や上品の郷のお風呂も、入浴ができない被災者には

とってもありがたいものです。

実際に入浴した姉も、大変ありがたかったと言っていますが

上品の郷では、洗い場が18しかないために

大勢の女性が素っ裸のままで30分も並ぶのだそうですし

自衛隊のお風呂では、洗い湯というのが特にないために

大勢の方が入浴したお湯で、泣く泣く髪を洗ったのだそうです。

けれど、そうした入浴も、交通手段を持っているからこそ出来る入浴です。

一部では送迎バスも出ていますが、まだまだ足りません。

上にあげたことはごく一部です。

これらのことは本当にありがたくてうれしいことなのです。

みんな本当に感謝しているのです。

だけど、その恩恵に預かれる方たちは、一握りに過ぎないのです。

全ての市民が受け取れるわけではないのです。

復興に向けての明るいニュースの中に登場してくる人たちは

ごく一部の方たちです。

人々が復興に立ち向かっていくためには、

「明るく前向き」な報道が必要なのでしょう。

復興して行く過程での明るく前向きで嬉しいニュースばかりで

被災地の現実が隠されてしまって、

私たちが『支援』を忘れてしまわないかと

それが心配でなりません。

被災地はまだまだです。

明るく前向きなのは、明るく前向きでいなければいけないと

必死で頑張っているからです。





先日このブログでご紹介させていただいたブログ

『被災地より、子供達の未来の為に。』の管理者である

こざかなさんの家がある町を歩いてきました。

この町は、石巻市築山。

実家のある大街道北から、徒歩でわずか十数分しか離れていません。

深刻な被害を受けた築山はテレビでも新聞でも報道されません。

もちろん、菅総理も訪れてはくれませんでした。

菅総理が立っていた『日和山』からは車で6~7分しか離れていない場所です。

この町内は新しく可愛らしいデザインのお家が多く

若いご夫婦と子供の多い町でした。

この町の方々も1ヶ月前までは普通の日々を送っていたのです。






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398号(大街道)から少し入った場所。
ようやく片付けが始まったという感じ。




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買い物袋を下げて歩く女性。
この地域での再開のスーパーは皆無。
実家の近くの「あいのや」は震災後一時開店したが
チェーン店の大部分が被災してしまったために
休業してしまった。
おそらくこの二人は3キロ程離れた「ウジイエ」からの帰りだろう。




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片付けが始まった家もちらほらあるが
人気がまったくない。




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小型重機が道路を片付けていた。
震災発生から1ヶ月もたっている。
地元にいない私だが、
この地区の復旧の遅れを感じた。



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「まるき商店」付近。
港湾から1キロ、防波堤からは2キロの地点。
海に近づくにつれて、まだ車が通れない道が多くなる。



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まだ、水が引いておらず
人が長靴で通れるのがやっとだ。




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通りの脇の小道は人さえ歩けない。




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放置された車には、この貼り紙が。
街中の車に貼ってあった。




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ここは空き地や広場ではない。
全て家が建ち並んでいた。




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家の中に流れているのは肥料の袋。
この辺りには大量の肥料が流れついていた。




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玄関に貼り紙が。




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無事と避難先を知らせる内容の他に
2階は崩れる恐れがあるので近づかないでと書いてあった。
報道されない現実がここにもある。
無事だった家や2階から、
金品や物品が持ち去られる被害が
多発している。
実際に以前の更新で掲載した友人の実家も
友人のお母様が閉めて避難した店のシャッターが
めちゃくちゃに壊されていた。




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以上の写真は今月、4月11日に撮ってきた写真です。

震災直後の写真ではありません。

しつこいようですが、

震災発生1ヶ月後の写真です。

私には『復興に向けて様々な動き』というニュースが

きれいごとに感じます。




今回石巻へ向うため、三陸道を通りました。

途中、松島に差し掛かった時に、道路の両脇で

大規模な工事を見かけました。

たくさんの重機と人が働いていました。

なんの工事なのだろうと思って看板を見ると、そこには

『車線拡張とパーキングエリア設置』と書いてありました。

これが、日本の縦割り行政、日本の報道なんだと怒りを感じました。

パーキングを作っている予算や人手を復興に回せないものか

パーキングを作るための広い土地があるのだったら

その土地に仮設住宅を作ってくれないものだろうかと思います。

実際には山の中なので仮設住宅は現実的ではないのかもしれませんが

広い土地が地ならしされていました。

報道関係者が石巻入りする際に必ず通る幹線道路です。

報道関係者が見ていないはずはないのです。

私、一人がこんな拙いブログで言っても、お上には届かないでしょうけれど

読んでくださった方々が何かを感じてくださればと思います。





実家の後ろの家は80歳を越えたご夫婦の二人暮らしです。

震災発生後に避難をされていたご様子でしたが

数日前に戻っていらっしゃいました。

家の中を片付けようにも、何も手につかないので

ボランティアを頼んだのですが、件数が多過ぎて

いつになるか分からないと言っておられました。

私は、次に石巻に帰る際には、実家はもう大丈夫ですので

日帰りボランティアに参加する予定でいます。

新幹線が今月末には仙台まで復旧します。

仙台からJRのバスが30分おきに石巻まで出ています。

一日だけのボランティアでも受け付けているので

HPで詳細をご確認の上、一人でも多くの方が

一緒に頑張ってくださる事を願っています。






石巻災害ボランティアセンター




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