PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

東日本関東大震災・映らないテレビ。




仙台方面から石巻へ入るには国道45号線か三陸自動車道を利用する。

三陸自動車道を通ってきた車は石巻港インターを出て右折

仙石線の線路を越え、パチンコ店「ダイナム」前の交差店で

国道45号線に合流する。

「東松島市」との市境を過ぎ、石巻市に入っておよそ1キロの時点で

国道45号線は、市街地にむかう398号(大街道)と

市街地を通らずに気仙沼方面に向う45号(一関街道)に分岐する。





RIMG0537_convert_20110420102240.jpg

この道路に空いた巨大な穴は(手前はもとからある用水路)

45号線と398号線が分岐してすぐの398号線の入り口付近にある。

震災直後はこの大きな陥没した部分に

何十台もの津波に流された車が折り重なっていたのだが

私が先日帰郷した、発生から30日後の4月11日には

穴の中の車が全て撤去され、大きな池のような姿を見せていた。

震災で、無事だった「石巻日赤」や

ボランティアセンターのある「石巻専修大学」そして

「石巻災害対策本部」のある石巻市役所、さらに大きな避難所へは

この穴のある398号を通らずに、大抵の車は45号線を通って

市内に入るので、この巨大な穴に気がつかないのだろうか。

平常時であったなら、『大事件』として取り上げるであろう巨大な穴が

私の知り得る限りでは報道もされていない。





RIMG0539_convert_20110420102122.jpg

報道されないどころか、この巨大な穴の水深が

いったいどのくらいあるか分からないが

一般人の立ち入りが可能で、注意を喚起するものも

穴の手前にある小さな看板だけ。

どこもかしこも、危険な箇所だらけの石巻に於いて

危険な場所で自分の身を守るのは全て自己責任だ。

子供やお年寄りが落ちたらとおもうとぞっとするが

仮設の柵すら渡っていない。



平常時では考えられないことが

今の石巻の街のあちらこちらで起っている。

これもまた,被災地石巻の現実だ。






RIMG0535_convert_20110420101905.jpg

石巻港湾合同庁舎前の交差点から

中浦方向(カメラのキタムラ前交差点)への道沿い。

この道は港湾から垂直に市街地に向っていたために

津波の通り道になってしまい

突き当たりのカメラのキタムラやヨークベニマル付近に

甚大な被害を引き起こした。





RIMG0536_convert_20110420101951.jpg

自転車にリュック姿の初老の男性。

自動車もバイクもなにもかも流された石巻市民にとって

自転車は大切な移動手段。

甥も発生後、6時間並んで手にいれた。

自転車があるだけで幸せなことなのだ。

市内をリュック姿であるく人の姿が本当に増えた。





RIMG0541_convert_20110420102308.jpg

ヨークベニマル付近で、上に掲載した大陥没の穴を

覗きに来た若い女性たち。

若い女性でもスカートをはく姿は見かけない。

けれど、大きな被害を受けた建物や場所を見学する余裕はできた。

甥も、姉も、姉の長女も「凄い,凄い」と言いながら

市内の要所要所を見学に出かける。

それぞれの被災の体験を、敢えて面白可笑しく話す元気も出てきた。

けれど、一人になった時には先の見えないこれからに

どうしようもない不安を感じ、やりきれなさから

やはり涙がでるのだ。





RIMG0542_convert_20110420102513.jpg

398号(大街道)からスーパー大街道巻の道を右折。

築山三丁目四丁目方向へ入った。

姉の話によると、この写真の場所にも

たくさんの家が建ち並んでいたそうだ。





RIMG0543_convert_20110420102529.jpg

築山の町内を工業港方面へ進み

T路ロを突き当たり右折。

昨日の掲載の用水路添いの下道を右折。

「おいき(及善)」商店方向へ進んだ。





RIMG0544_convert_20110420102545.jpg

この辺りは亡くなられた方も多かったと聞く。





RIMG0545_convert_20110420102614.jpg

家が無くなり、家の代わりに積み上げられた泥に

呆然としてしまう。





RIMG0546_convert_20110420102633.jpg



RIMG0513_convert_20110420101831.jpg

写真、前後してしまったが、この建物は

大街道南三丁目付近。






実家ではテレビが3台、津波の被害に遭った。

2階の部屋に置いてあったテレビが無事だったが

震災から半月経って、電気が復旧しても

このテレビが映らない。

おそらくブースターが津波でやられてしまったのだろう。

現在は仕方がないので、ラジオを聞いている生活だ。





震災発生直後には、市内の電気が止まり、電話が止まり

テレビやパソコンの多くが流された石巻では

外からの情報がまったく入ってこなかった。

震災発生から5日目に、やっと姉と電話が繋がった時には

姉は自分の身に起った津波被害が石巻や近隣にだけ起ったと思っていた。

私が、青森から岩手、福島、茨城に、壊滅した街がいくつもあると告げると

「うそ!」と驚いていた。

関東の石油コンビナートの爆発炎上や浦安の地盤沈下

福島原発の事故もまるで知らなかった。

津波の押し寄る中を命からがら逃げた姉だけれど

ことの重大さをまるで分かっていなかった。

だから、それから数日後に石巻の小高い丘「日和山」から

壊滅した「南浜町」「門脇」を見下ろした時に

自分が見ている光景が現実のこととは認識できずに、

へなへなと、その場に座り込んでしまったのだろう。



この姉や、実家の人間は、私たちが震災発生から

嫌というほど見せられた「津波」の映像を、ただの一度も見ていない。

なぜなら、テレビが映らないし

インターネット回線が復旧しておらず、パソコンも無いからだ。

今後あらゆるものが復興していく中で

あのときの津波の恐ろしい映像を始めて目にした時に

このような災害の中を生き抜いてきたことを、

生かされていることをあらためて実感するに違いないと思う。




そして、「頑張ろう日本!」

「あなたは一人ではありません。」

「負けないで。」など、毎日大量に流れる

被災者に向けての「応援CM」を姉の一家は一切見ていない。

姉の一家だけではなく、何万もの被災した方々が

「応援CM」を見ていないのではないだろうか。

なぜなら、ほとんどの被災者のテレビが流されてしまったから。

テレビの「被災者に向けてのメッセージ」は

どのくらいの被災者に届けられているのだろう。

感動するように作られたCMを見て感動しているのは

おそらく普通に暮らしている私たちであるから

あの多くのTVCMは、実際には普通に暮らす私たちに向けて

発信されているのかもしれない。

震災を風化させないためには、私たちに向けてCMを

流し続けてもらいたいと思うが

さらに、被災地の人々がテレビを普通に見られるようになるまで

これらのCMを放映し続けてほしいと思う。

被災地へのメッセージが込められたCMを

実際に被災地の方が、どのような想いでご覧になるのかは

私には分からないけれど

本当にこれらのCMが被災地を向いて作ったCMであるならば

被災地の方々が目にすることが出来るまで

止めてしまわないで流し続けていて欲しいと思う。




石巻災害ボランティアセンタ
















スポンサーサイト

| Ishinomaki | 12:41 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT