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被災地に降る雨と、泥とか匂いとかそんなこと。





昨日は断続的に大粒の雨が降った。

土砂降り時々晴。

被災した地域にも大量の雨が降ったのだろうか。

地震で緩んだ地盤の土砂災害が心配だ。





石巻にも降ったのだろうか。

姉に電話をすると、ついつい長電話になってしまうので

ここ数日は電話を入れていない。

3月26日に帰郷した時には津波が運んできた泥が

車道にも歩道にも厚く残っていた。

春の雪が泥の乾きの邪魔をして、ずぶずぶとぬかるんで

長靴が無ければ歩けなかった。

2度目の帰郷となった4月10日には、実家周辺の車道も歩道も

泥の除去が済んで、ガードレールや歩道の縁石に添って

延々と泥の山が築かれていた。

昨日の雨で、この泥の山が融けて崩れてはしないだろうか。

泥がまた道路一面に広がって、ぬるぬるになってやしないだろうか。

やっと乾いた泥が、昨日の雨でずぶずぶ濡れて

今日の天気で、また乾かされる。

濡れた泥の匂いと、乾いた泥埃の匂いは

どんなに頑張って表現しても、文章では伝えられない。

海の砂や建物やガソリンやトイレの汚水や生活排水や

製紙工場から流れ融けた原紙など、様々な生活物質と

人々の記憶が混ざり合った泥の匂い。

この匂いを伝える術を持たないことも、

石巻のことを伝え切れないもどかしさのひとつだ。



「臭い」



ひと言で表現してしまったら身も蓋もないけれど

異様な臭気と格闘している人たちがいることを知ってほしいと思う。

まだまだ、マスクは手放せないだろうなあ、

これから暑くなったら大変なことになるなあと心配になる。

昨日大量に降った雨が、全ての泥を洗い流してくれればいいのにと

夢のようなことを本気で思って、また切なくなる。






今日掲載の写真は前回の続きから。4月11日に撮った写真。

雲雀野から日和大橋を渡って県道240号須賀松、明神町

水野食品第二工場前交差点を左折

松並の町内を左手に見て国道398号方面へ進んだ。





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多くの水産加工場が集まっているこの地域。
海に向って北上川の右岸(工業港側)と同様に
左岸の漁港側の被害も甚大だ。



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骨組みだけになってしまった建物を修理する男性の姿が。
再建への、希望がここにもある。




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日和大橋を渡ってすぐ、車を停車して写真を撮っていたら
歩いて来た男性に「乗せて欲しい」と頼まれた。
80歳のお年寄り。
「こだまホスピタル」からの帰り道で、この先にご自宅があるという。
声を掛けられた場所から、4キロは離れているのではないだろうか。
ご自宅からはおそらく5キロ。
往復10キロの道のりだ。
80歳の身体ではキツイだろう。
「さすがに疲れて歩けない」とひと言。





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「ご自宅の被害は?」
「1回はめちゃくちゃ。2階で暮らしている」
「ご家族はご無事でした?」
「津波のあった時には娘の家にいた。
 幼稚園の孫を抱いて、田んぼの1本道を
 全速力で死ぬ気で山の方へ走った。
 全員無事だったけど、娘の家は流されておじゃんだ。」

返す言葉もなかった。




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「ここでいい。」と、男性は水野食品工場の前で車から降りた。
80歳のおじいちゃん。
住宅街の方に向わずに工場の方に消えて行った。
無事に家まで帰っただろうか。
どうかお身体を大切にと、祈らずにはいられなかった。




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「ファッションセンターしまむら」緑町店も
見るも無惨な姿に。



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壊れた車の荷台に網と魚があった。
流れて入ってきたものか
それとも漁師さんの車だったのか
干涸びた魚の姿が悲しかった。




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信号も色と光を失った。





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実家への応援が一息ついたので

中学生の時からの2人の友人の家族へお見舞いを送った。

2人とも結婚を期に石巻を離れている。

1人は母親が石巻で被災して、仙台の妹の住まいへ身を寄せることになった。

住めなくなった石巻の家は賃貸だったので、引っ越しをする決心をしたそうだ。

もう1人の友人の両親は、数年前に亡くなっていて

実家そのものは石巻には無かったが、

妹と弟がそれぞれに家庭を持ち石巻に住んでいた。

壊滅した門脇に両方の家があり、

今は、弟一家がお嫁さんの実家に身を寄せ

妹一家が友人の家に身を寄せて暮らしている。

私と2人の友人たちは、それぞれ石巻に帰郷した際には

3人で石巻の街角のお店や実家で会って話に花を咲かせた。




友人が2人とも石巻に帰る場所を失ってしまった。

2人とも、どうしようもない喪失感があると言う。

私も同じだ。

実家は残っているけれど

故郷石巻への、どうしようもない喪失感がある。




今朝その話をヒトさん(ダンナ様のこと)に話したら

「俺にもその気持ちが分からなくはないけれど
 
第三者から見たら、逃げた方がいいんじゃないかって思う。」

と言われた。



ため息がでた。

どんなに話しても伝わらない。

蹴飛ばしてやったろうかっ! と思ってしまう。

故郷というものは、大切な心のよりどころなのだ。

いつでも帰りたい時に帰れる場所であってほしいのだから。

何年かかっても必ず再建することを信じて毎日を送っているのだから。







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