PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

被災地へ向うということ。






大型連休が始まった。

大変ありがたいことに、この大型連休は

被災地へボランティアに向う人が多いという。

旅行会社が企画したボランティアツアーも、あっと言う間に定員に達して

被災地のボランティア受付スタッフは、対応に追われて大変だそうだ。

私もこの連休を利用して、石巻でボランティアに参加しようと考えていたが

500人を越える人が駆けつけたので

5月8日までのボランティアは、受け入れが終了になってしまった。

『困っている人の役に立ちたい』という気持ちだけが空回りする。

ボランティアとして受け入れてもらえずに

はたして、私が連休中に石巻に帰って、何かの役にたつのだろうかと

姉に電話を入れて聞いてみると、障子を張り替えたり、襖を張り替えたり

押し入れの泥はまだ残っているし、

人の手はいくらあっても足りないということなので

実家の手伝いをするのだからと、役に立ちたいと思う気持ちを

なんとか納得させて、連休後半に石巻に向うことに決めた。







RIMG0680_convert_20110429100505.jpg

これまでに2度、石巻に向った。

1度目は3月26日。

新宿22時発、仙台行きの夜行バスに姪と二人で乗った。

夜が明けて仙台駅に降りた時に、駅周辺が普通に見えて拍子抜けした。

静かなどこにでもある、あたりまえの朝の駅前だった。

バスを降りてすぐにタクシーを拾い、ドライバーの男性に

「石巻まで」と告げると、彼の顔が一瞬歪んだように見えた。

数秒の沈黙の後に頷いて、私たちの荷物をトランクに入れ

タクシーを走らせてくれた彼は、震災後に石巻まで行くのは初めてだと言った。

一度だけ、壊滅状態になった野蒜までのお客さんを、

乗せたことがあるという彼の、気の毒そうに私たちを見る顔が、

ルームミラーに映って見えた。

三陸自動車道に乗るために利府インターチェンジに向う途中で見た街では

ブルーシートが屋根に乗っている家がちらほら見えたが、

そんなに数は多くなかった。

利府インターから自動車道に乗って、道路の両脇に見える

山あいの松島の家並みも

崩壊しているところはなく、私の目からは普通の町に見えた。

石巻港のインターを降りてからもそうだった。

「地震は本当に起ったの?」と不思議に思うほど

いつもの見慣れた風景だった。

だから、深刻な被害なんて、なにかの間違いなんじゃないかと

一瞬、本気でそう思った。

何かの間違いでありますようにと祈るような気持ちだった。

だけど、やはり現実だった。

タクシーが仙石線の線路を越える陸橋を渡った途端に、その風景が一変した。

左手に見える田が、まるで湖のようになっていた。

海から数キロも離れているはずの交差点に、船が打ち上げられていた。

パチンコ店『ダイナム』の交差点を左折して石巻市に入り

国道45号線を市街地方向に進むと道の両側には泥と瓦礫の山。

積み重なって放置されたおびただしい数の車、倒れた電柱。

店舗の割れたガラスや崩れた家が次々に目に飛び込んで来た。

思わず息を飲んだ。



この街は、津波に襲われた。



私が安穏と毎日を送っている首都圏の街とは、

まったく違う街並だということは、言わずもがななのだが

同じ宮城県の、他の石巻周辺の町と、あきらかに違っていたことが

とてもショックだった。









2度目は4月10日。

二男が運転するレンタカーのトラックの後ろを

姉に渡すための軽乗用車を運転して、東北道を走った。

栃木県を過ぎて、福島県に入ってから

道路が補修の跡で、でこぼこ継ぎ接ぎだらけになっていた。

スピードを出すと車がバウンドしてハンドルをとられて恐い。

東北道を北上して仙台に近づくにつれて

災害派遣と書かれた自衛隊の車両が多くなる。

戦争も知らないくせに、戦地に向うような錯覚に囚われる。

大型トラックやタンクローリー車にも災害派遣、被災地支援の文字がある。

三陸自動車道に入って石巻が近づくと、その数はさらに増える。

否応無しに、被災地へ向っているんだと思い知らされる。






RIMG0682_convert_20110429100529.jpg

市街地へ入る国道の信号はストップしたままで灯りを失って

警察官の手信号で街へ迎え入れられる。

津波は残酷だ。

被害のあるなしが、波の押し寄せた地点でくっきり線引きされる。

それまで、普通に見えていた風景が

「ここから先は被災地よ。」とでも告げるかのように

ある線を越えるとがらっと様変わりしてしまう。

日常ではお目にかかれない、たくさんの自衛隊の車両や

災害支援の車の数や、マスク姿の人々。

多くの日本人が安全だと信じて暮らしている、通常の日本とは

明らかに違っている光景に衝撃を受けるのは

私が石巻を故郷としているからだけではないと思う。





私は石巻で撮ってきた写真を、こうしてブログにアップする度に

胸が痛く、いまだに涙がこぼれる。

気持ちを文章にすることも辛い作業だ。

おそらく、多くのこころ優しいボランティアの方たちや、

頼もしい災害援助のスタッフの方たちや自衛隊の方々も

被災地にまったく家族や親戚や友人がいなくても、

被災地が故郷ではなくても

この光景を目にして、心を痛め、涙していると思う。

普通に暮らしている私たちが知っている日常と、あまりにも違う現実に

呆然として、同じ日本人として、同じ人間として悲しんでいると思う。

亡くなられた方たちの魂を祈らずにはいられないし

普通に暮らせる自分を申し訳なく思うし

(思う必要がないとの主張もあるが、申し訳なく思うのが当たり前の心情かと思う。)

そして、自分が生きていることに感謝をするのではないかと思う。





震災報道をテレビで見ていた多くの人が

力になりたいと、連休を利用して被災地へ駆けつけている。

駆けつけてくれた多くの人が、テレビの中だけではなく、

実際にこの光景を目にして、同じように悲しんで涙してくれるのだなあと思うと

本当にありがたくて、本当にうれしい。

現実を肌で感じて、自身の心を痛めながらも

被災地の方々の心に添ってくれる方が

一人でも増えることは本当にうれしいことだと思う。

そして皆が無事で、石巻を後にできることを心から願わずにいられない。




今回の震災では、全国の皆さんからの救援物資をいただいたり

炊き出しや、泥出しなどのボランティアの方たちの

救援や応援を間近で見ていた姉が、

「本当にありがたい。

 こんなにたくさんの人たちから助けてもらって、

 本当に感謝している。」と、何度も私に言う。

石巻を故郷に持ちながら、何も出来ない自分を

やはり、恥ずかしく思ってしまう。

だから相変わらず、私に出来る事を探す毎日が続いている。






スポンサーサイト

| Ishinomaki | 13:49 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT