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震災発生後の緊急避難時にこれだけは必要な物。




姉から聞いた話で、記録しておきたかったこと。




震災・津波発生時に近所の高校の体育館に避難した姉が

持っていればよかったと後悔したものが2つあると言う。

そのひとつが『緊急時保温アルミシート』




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これは我が家にもあった。

参考までに、携帯電話と並べて写真を撮った。




震災発生の日は、3月だというのにとても寒い日だった。

太ももまで濡れた姿で体育館の2階に避難した姉は

しばらくは立っていたそうだ。

数時経ち、辺りが暗くなって、疲れて床に座った姉は

とにかく寒くて寒くて仕方がなかったそうだ。

床は冷たいし、濡れたスカートは乾かない。

車で動いていたために薄手のコートしか着ていない。

他の避難している方たちも同様で、皆で寒さに震えていたところ

体育館のカーテンを外し始めた人がいて

十人程ずつが、ひとかたまりになって、カーテンに包まって

寒さをしのいだそうだ。

このアルミシートの保温性はなかなかのものらしい。

そういえば、東京ディズニーランドでも

ビニールのゴミ袋を着て避難していた方たちをTVニュースで見た。

夏には防暑効果もあるらしい。

大きめのポケットテッシュ程度の重さ・大きさのこのシートを

お守りのように、外出時のバッグに忍ばせておけばいいかもしれない。



そしてもうひとつは『携帯トイレ』。

避難した体育館の2階にはトイレが無くて、

1階にあるトイレは水没して使用出来なかった。

仕方がないので、体育用具を収納する小部屋に

ついたてを立て、掃除用のバケツに用を足した。

バケツでは足りなくなって、衣装ケースを空けてその中に用を足した。

その即席のトイレに用を足すために、行列ができて

30分も並ばなくてはいけなくて、これがとても辛かったそうだ。

空腹や喉の乾きや暗闇は、一晩くらいは我慢できても

寒さと尿意は我慢できない。

姉の話を参考に、この2つを常備しておきたいと思う。







5月8日に石巻から埼玉に戻る際に

三陸道石巻港インターへ車を走らせる途中で、車の窓から

今まで見たこともない巨大な鉄塔を2本見た。

「何なんだ? あれは?」

ぎょっとして、こんなものがあったかと不思議に思っていたけれど

自宅に帰ってからのTVニュースで謎が解けた。

巨大な2本の鉄塔は巨大なクレーンのアームで

石巻港の岸壁に打ち上げられてしまったタンカーを

海に帰すためのものだったらしい。





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昨日アップした写真の鳴瀬・浜市方面に行った5月4日には

東松島市・大曲地区にも立ち寄った。

その時の写真の住宅街の奥の方に、このタンカーが写っていた。

震災発生の翌日に、石巻の情報が欲しくて、焦れる私の目に飛び込んで来た

TVニュースの第一報が、このタンカーの姿だった。

「そこじゃないよ。私が見たいのは住宅街だよ。」

悲痛な私の想いなんて、あたりまえだけどTVには届かなくて

非情にもNHKの中継カメラを載せた飛行機は海岸線を北上して行った。





私の記憶する震災後の石巻近辺の、最初のショッキングな映像のタンカー。

私の中では震災を象徴するものだった、タンカーが海に帰った。

良かった、本当に良かった。





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写真を探すと、クレーンのアームも写っていた。




東松島市のTVニュースは何度か目にした。

どれもが、ボランティアさんの炊き出しや、住宅の泥出しの様子だ。

このタンカーが打ち上げられた石巻港の岸壁は

大曲地区の住宅街に隣接しているというのに、TVはタンカーだけを映し出す。






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タンカーの救出やボランティアさんの活躍や

復興の明るいニュースの陰に隠れて

この大曲の地区の被害の深刻さも、TVニュースには流れない。






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海に帰ったタンカーの背後には

大きな打撃を受けた町があるのに、なぜ通り過ぎるのかと思う。





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この地区も、自衛隊の方たちのご遺体の捜索だけしか

行われていないように見えた。

道路の瓦礫撤去も進んでおらず、車が入れない。

人が通るのがやっとの道が通してあるだけで

しかも、危険なので通行禁止になっていた。





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通行禁止になっていたって

この町に住んでいた方たちは、こうして戻って来て

想い出のあるものを一生懸命に探している。





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どの町にだって暮らしがあったのに。

私たちと同じように、普通の毎日を送っていたのに。


19リッター、59リッター、29.45リッターと

最後に給油した3台の車は、津波から逃げているだろうか。

無事に逃げていてくれると思いたい。




被害にあった町がこんなにたくさんあるのに

連立は嫌だとか、ゴタゴタ政権争いしている政治家ばかりで

そんなこと言っている場合じゃないよ! という声は

いったい何時になったら届くんだろう?

誰が指揮を執ってもいいから、何とかして欲しい。

この国はいったいどこに行こうとしているんだ?










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