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私はこれまでに、こんなに悲しい場所を他に知らない。







7月11日

震災発生から丁度4ヶ月後の

石巻市立大川小学校。




20110711DSC_0313.jpg

あの大津波に襲われて

児童108人のうち7割の74人が死亡・行方不明

教師11人のうち、10人が死亡・行方不明となった。





20110711DSC_0315.jpg

あらゆるメディアで避難場所の選択ミスと

避難の遅れが報道された。

校庭の裏山に、すぐに登れば助かったのに

校庭で点呼をしていて出発が遅れ

さらに先導した教師は、新北上大橋のたもとの高台を目指し

堤防を越えて来た津波に全員が飲み込まれた。




なぜ裏山に登らなかった?

なぜわざわざ水辺だっていうのに、橋のたもとに逃げようとした?




実際に現場に来て、現場の様子を見て分かった。

橋のたもとは、十分に高い。

橋のたもとからは、小学校の校舎の屋根までが見下ろせる。

山の斜面は小さい子では登れないほど急だ。

そして海は、遥かに遠い。




無理もない。

防災無線の呼びかけは1度きり。

防災マニュアルにも避難場所は指定されていなかった。

河口から4キロも離れているこの場所に

大津波が押し寄せてくるなんて想像もできなかった。





だから、亡くなられた先生たちの避難の方法を責めては、

あまりにも悲しい。

だとしたら、ご遺族のやり切れない悲しみは

何処に向ければいいのだろう?

責めを負うべきは、避難路を作らず

避難指導もしなかった石巻市。





たぶん、きっとそう。






20110711DSC_0311.jpg

校舎以外の建物がすっかり跡を消してしまった

大川の町の向こうには、長面が見渡せた。

中央の湖のように見える場所は

かつて田圃と集落のあった場所。

すっかり水面の下に消えてしまった。

義兄の長姉は、まだあの水の下に眠っているのだろうか。





20110711DSC_0317.jpg

ワーゲンから降りて新北上大橋のたもとに歩いて向うと

祭壇が設えられていた。

急いで引き返し、帰りの高速で飲むつもりだった

ペプシとキャンディーとクッキーを手にして

祭壇に供えて、手を合わせた。

私は74人の子供たちと10人の先生たちに、祈ることしかできないから。



怖かったね。

冷たかったね。

もう、川は暴れていないから怖くないよ。

ゆったりと、お日様の光を反射させて

キラキラ流れているよ。

きっと君たちが見ていた、いつも通りの優しい川だよ。




たくさんの子供たちの笑顔を想像する。

胸がしめつけられ、悲しくて涙が溢れた。



私が祭壇に向って手を合わせていると

一人の年配の男性に声を掛けられた。

「私はここでボランティアをしているんです。

 子供たちが可哀想で可哀想で。

 可哀想でならんのです。」




帰り道、東北道でワーゲンを走らせている最中に

何度もこのボランティアの男性の声が頭を過る。

「子供たちが可哀想で可哀想で。

 可哀想でならんのです。」




74人もの子供たちの命が消えていったこの場所は

たまらなく悲しい。

こんなに悲しい場所を、私は他に知らない。

悲しいけれど、無くしてはいけない場所ではないかと思う。

ボランティアの手で、きれいに掃除がなされ

それぞれのロッカーにそれぞれの子供たちの遺品が納められたという。

この小学校の校舎が、永遠にここに留まることを

私は祈るしかできないのが、また悲しい。







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