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自分の浅はかなことに気が付き、ひたすら驚く。






9月17日の夕食後に

宿泊先の牡鹿家族村オートキャンプ場の中央管理棟で、

ボランティアツアー参加者全員が集まって

地元鮎川の自治体の方に被災当時のお話を聞かせていただいた。

被災当日のお話は生々しく

今後の活動を考える意味で、とても参考になった。

その中で、牡鹿半島全体での死者数が160名余りと

半島の死者数に触れられたので

思い切って、各地区ごとの死者・行方不明者数の統計を

とっておられるかと聞いてみたところ

人手が足りなくて、とっていないとの回答だった。

ショッキングだったのは、石巻市での死者数が多いのは

旧市内の沿岸部だということ。

半島は平地のすぐ後ろに高台が控えているので逃げ場があるけれど

旧市内の沿岸部は高台から離れているために

逃げ遅れた人が多かったのではないか、

それに加えて人口密度が圧倒的に高いので

4千数百人にものぼる死者・行方不明者のほとんどが

旧市内の平野部で犠牲になっておられるのではないかということだ。





私が生まれてから高校卒業までの18年間を過ごし

上京後も年に一度や二度帰っていた実家付近で

多くの犠牲者が出ていた事実に、頭を殴られた気がした。

私は震災直後に実家の救援に出向き

流され壊れた家屋や道路に積み重なった車や瓦礫を目にしていて

自衛隊のご遺体の捜索現場も目にしてはいたけれど

実際に津波には遭っていないし、亡くなられた方を見ることもなかった。

だから、破壊された街をこの目で見ていても

『死』という実感に乏しかったのだと思う。

この期に及んでも、大勢の人の死が

私が子供時代を過ごした実家付近から、遠く離れた世界で起った事だと、

無意識のうちに、そう認識していたことに

自分の浅はかなことに気が付いて、驚いてしまった。



過去の私がどこかですれ違っていたかもしれない

同じ場所にいて、同じものを見ていたかもしれない

大勢の隣人たちが亡くなられたことに

深い哀しみと心からご冥福を。

そして隣人たちを想い、私が出来る事を

続けていきたいと思う。






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9月18日の朝

キャンプ場から見た金華山。

東松山震災ボランティアの会『チーム東松山』では

鮎川便の他に、東松島便のボラバスも出していて

今週末、私は東松島便のバスに乗る。

東松島と東松山。

東松山震災ボランティアの会は、市の名称が似ているという軽いノリで

東松島の応援をしようと発足した会で、今回のバスツアーはすでに19回目だ。

発足当初から、この会の存在を知っていたらと少々惜しい気もする。

鮎川便へは、2週間後の週末に乗車予約を入れている。

次に金華山からの日の出を見られるのは半月後。

半島の紅葉は始まっているかしら、軽装では寒いだろうなと

季節の移り変わりを実感する。

これからの寒い季節での被災地の支援は課題が山積みだそうだ。

そういえば、あの日も雪が降っていたなあと色々な想いが交差するけれど、

防寒対策を万全に、明日の夜23時発のバスに乗りたいと思う。





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