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つい、感傷に浸ってしまう




先週末の6月26日(金)〜28日(日)は

金華山へのボランティアーツアに参加をしていた。

(作業内容については後述)


20130706IMG_3451.jpg

久々のガテン系のご奉仕で、たっぷりかいた汗を流すため

埼玉までの帰路の途中で、私たち一行13名を乗せたバスは

石巻の市街地、大街道にある「元気の湯」に立ち寄った。

日中にこの場所でバスを降りることは、滅多に無いチャンスだったので

べとつく身体をさっぱりさせたい気持ちもあったのだけれど

汗を流すことは諦め皆が入浴している間に、私はひとり

かねてから気になっていた「ホット横町石巻」へ行くことに決めた。

実は、2011年7月末のオープンから二日後に

私は姉一家と一緒に、この横町を訪れていた。

あの時の賑わいといったら

押すな押すなの人混みで

空席が見つからないのは、もちろんのこと

テイクアウトの料理ですら、長時間待ちの有り様だった。





20130706IMG_3452.jpg

今回2度目となった、この日は

生憎の曇り空だったけれど、穏やかな日曜日だったのにもかかわらず

あの時の賑わいが嘘のように思えるほど

人影がまばらだった。

それもそのはずで、横町入り口の張り紙には

「土・日のみ営業」の文字。

入り口脇のパン屋さんは、撤退してしまったのか

がらんとして、人の姿がなかった。

その他にも、空き店舗と

「当分は営業を見合わせます」の張り紙がしてある店舗が数店。



2年前のあの日は

やっとの思いで確保したステージ前の丸テーブルを6人で囲んだ。

そして、スピーカーから流れる大音量と、笑い声の渦の中で

冷たいビールで喉を潤したのに。




20130706IMG_3454.jpg


この時の、ほんの1時間前に昼食を食べた鮎川の復興商店街でも

同じような光景を目にしていた。

昨年夏に訪れた、大船渡でも気仙沼でも同様だった。

物珍しいうちは、人は集まるのだけれど

打ち寄せた波が、さっと引くように客足が遠のいてしまう。

それに加えて、ボランティアの数の圧倒的な減少も手伝って。

石巻では、やはり蛇田にある超大型店に客を取られるのだろうけれど

「仕方がない」とため息をついていてばかりでは、いて欲しくない。

被災地のどこでだって、やがてはボランティアは消えるのだから

自分たちの街の自分たちの「復興商店街」を守るのは

地元の人の利用があってからこそだと思う。

「失いたくなかったら、もっと利用しようよ!」

私の故郷の町、大街道の人達にもし、こんな声を掛けたら、

「出てった、おまえには言われたくない」

と、言われてしまうかもしれないけれど。



見事に閑散としてしまった今でも、

頑張って営業を続けてくださっているお店に敬意を表して

昼食を食べたばかりで、お腹がいっぱいだったけれど

冷たいコーヒーと、かりんとうたい焼きを食べた。

尻尾だけ食べるつもりだったのに

美味しかったから、丸ごと全部食べてしまった。

最後の一口を飲み込んだ時

ふと、あの日の雑踏が目の前の居酒屋のガラス窓に見えた気がした。





20130706IMG_3448.jpg

金華山行きのツアーバスは、石巻の沿岸を走る。

石巻の震災被害の、象徴であるかのようにメディアが取り上げる

彼の町を車窓に見ながら通り過ぎる。

帰り道

作業で疲れ昼食で満腹になった私は、どうやら居眠りをしていたらしい。

ガタンとバスが揺れた瞬間に目が覚め、窓の外を見ると

解体中の石巻市立病院の丁度正面だった。

あわてて、iPhoneを窓の外に向けたが

小さくなって、後ろの風景の一部になってしまう病院を

写真に納めるのが、やっとだった。


石巻市立病院は、癌を煩った亡き両親が入院していた病院だった。

ずっと仙台の国立病院にお世話になっていた父は

石巻に立派な病院が出来たので、喜んで主治医を代えたのだ。

国立病院のコの字の形の病棟からは、無機質な中庭しか見えなかったものが

石巻の新しい病院では、川も海も山も見渡せた。

父はベッドから抜け出して

院内のあちこちから、この景色を眺め楽しんでいた。

だから、この病院がこの場所にあったのは

最後まで生きようとする父の慰めになったことは、確かなのだ。





20130706IMG_3449.jpg

その病院が、無惨な姿をさらしていた。

おそらくは、次に私がこの場所を通り過ぎる時には

この建物は姿を消してしまっているのだろう。

あの日バスがここを通り過ぎる時に、偶然にも目が覚めたのは

父の仕業だったのだろうか。




いい病院だった。




20130706IMG_3350.jpg

石巻に限らず、

震災遺構の保存の問題があちらこちらで展開されているようだ。

賛否両論あって

どちらの意見も頷けるもので

私は何も言う立場には無い。


市立病院の建っていた目の前の海、雲雀野は

私がここに立っていた少女時代には

波間に見える無粋な防波堤など、何も無かった。

もちろん、沖合に果てしなく広がる人工島も何も無かった。

道路と砂浜を隔てる堤防をよじ登って、砂浜に出ると

そこは、延々と続く海岸線と

青く広がる海だった。



時代の波とか、経済効果とか、政治的なこととか

理由は色々あるのだろう。

震災という悲劇が無かったとしても、故郷は変わっていく。

不変なものなど、無いのだし

私もやがて、死んで消えていく定めなのだから

つい、感傷に浸ってしまう私の言葉など

取るに足らない愚痴なのだ。







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