PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

まっちゃん「55回目の誕生日」によせて





2014091601.jpeg

上の写真の、顔を赤らめ上機嫌でグラスを傾けている

スキンヘッドの男性の名は、松村昌男さん。

職業は運転士。

震災・復興応援ボランティア団体「チーム東松山」

設立当初からの、大切な仲間だった。




2014091603.jpeg

私が彼と初めて出会ったのは

2011年8月26日。

その日深夜、私はチームの主催するボランティアツアーの

ツアーバスに初めて乗った。

参加者は17名。

男性10名、女性7名。

埼玉県東松山市を発ったバスは夜を徹して東北道を走り

27日早朝に宮城県石巻市・鮎川浜に着いた。

私たち総勢17名の寝床になったバスを

無事に目的地まで運んでくれたバスの運転手が

彼=松村昌男さんだった。

彼と初めて会話を交わしたのが、この27日の夜。

宿舎になった牡鹿家族村の中央管理棟の前庭で、

参加者全員で夕飯のカレーを作っていた時だ。

残念ながら会話の内容は覚えていない。

ただ、彼が甲斐甲斐しくカレー作りを手伝っていたことだけは

覚えている。

その夜

運転手という立場で参加していた彼の就寝場所は

私たち参加者の宿舎となる戸建てのコテージではなく

中央管理棟だった。

コテージのお風呂が、お湯が出なかったため

私たちは数人ごとに中央管理棟のお風呂を利用した。

その帰り

真っ暗な管理棟の前で彼と出くわした。

その時にも、彼と何かを喋った記憶がある。

運転手として参加をしている立場が手助けとして中途半端なことを

軽く嘆いていたような、

あやふやだけれどそんなことを話したことを

覚えている。



このツアー自体の目的は瓦礫撤去=ボランティアだ。

暑い一日で、とにかく大変な作業だった。

けれど、私にはとても楽しい一日だったのだ。

なぜなら

ボランティアに参加して以来、初めて仲間が出来た日でもあり

何よりあの日は、私の誕生日だったからだ。




「最高の誕生日」



大鍋で作った「バーモントカレー」を

仲間達とワイワイ楽しく一緒に頬張りながら

私はそう思っていた。

とにかく、

そんな日に私は彼と出会ったのだ。





20140916RIMG1108.jpg

その後も何度か彼の運転するバスに乗った。

夜通し運転した後、帰路も運転しなければならない彼は

ボランティア作業には参加しない。

身体を休めなければならないのだから、それは当然のことだ。

けれど、そのことが私たちと彼との間を隔てさせているような気もした。

身体を休めるといっても、作業の間ずっと寝ているわけではなく

彼はチームのブログのための、良きカメラマンでもあった。

デジタルカメラで作業風景や視察先や、仲間達の集合写真を

笑顔で写してくれた。

そして、たくさんの写真を残してくれた。


逆に私は残せなかった。

これを書くに当たって私は、

彼の姿が私の撮った写真に残っていないかを

ブログの過去記事をくまなく探した。

そして、たった1枚だけしか探せ出せなかった。

上の写真。

宮城県南三陸町志津川の青空食堂での食事風景。

写真右で、カーキのポロシャツを着ているのが彼だ。

手にはカメラを携えている(おにぎりじゃないよね?)。

この時も

皆から離れ一人で写真を撮っていた私は

彼と言葉を交わした記憶がある。

活動について想うことを、彼は語っていた。



熱心だった。

優しかったし、気さくだった。

ぶっきらぼうなところはあったけれど

思い遣りに溢れた男性だった。


「だった」と過去形でしか彼のことを書けないのが

本当に残念でならない。

もっと元気でいたかっただろうし

元気であったなら、きっと彼は

私たちと同じ立場で、東北行きのバスに乗りたかったに

ちがいないはずだ。





2014091602.jpeg

松村昌男さん

通称「まっちゃん」

かねてより病気療養中のところ、

2014年1月25日午前11時15分に永眠

享年54。

もうこれ以上、歳を重ねることのないまっちゃんの

今日は55回目の誕生日だ。

昨夜、ボランティア仲間の4人で

まっちゃんがよく飲みに行っていたというお店で

まっちゃんの誕生日を祝った。

まっちゃん

ふわりふわり私たちの背後を浮かんでいたと思う。

鼻の下をビローンと伸ばして

「オレってモテモテだよね」とか、なんとか言って。




私は、まっちゃんと

個人的なお付き合いをさせていただいていたわけではなかったので

まっちゃんの療養中には遠慮が先に立って

とうとうお見舞いに行かず終い。

それが一番悔やまれる。

もっと、話をするんだった。

たとえ迷惑がられても、もっともっと話をするんだった。

会いたいという、自分の気持ちを優先させても

良かったんじゃないか、と。

たぶん、そういうことを教えてくれて

まっちゃんは逝ったのだと思う。

今年の元旦に、チームの仲間の家でお餅つきをした。

まっちゃんは病院を抜け出してやって来た。

胸に咳止めだか痛み止めだかの薬を胸に貼付けてだったけれど

元気そうだった。

まだまだ死なないように見えた。

なのに、私にお餅つきの参加費¥1,000-を貸してくれたまま

逝ってしまった。



まっちゃん

誕生日おめでとう!

¥1,000-の借りがあるから

私は忘れないよ、まっちゃんのこと。

今度はまっちゃんの二つ目の誕生日の1月25日に

私たちの背後をふわり浮かんでね。

そしてまた、一緒に飲もう。





※まっちゃんの写真3枚はボランティア仲間が「みんなで共有しよう」と携帯に送ってくれたもの。ここにアップすれば、すくなくとも携帯よりも共有度が増すかな、と思ってアップしました。いくちゃん(読んでないと思うけど)ありがとう!





ブログランキング・にほんブログ村へ





スポンサーサイト

| Ishinomaki | 16:14 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT