仙石線に乗りたかったから(田植え編)
さて、6月7日(日曜日)。
「仙石線に乗るため」が第一目的の帰省の2日目は
女川からスタート!

女川湾を望みながら、雄勝へ向かう。

久しぶりの雄勝。

街の中は、全ての建物が解体・撤去されて、何も無い。
日曜日だったので、工事関係者もいない。

なんだか、居たたまれなくなって
僅か数分間の滞在で、車に戻ってしまった。
街を出て、大川に向かう道路の曲がり角に
「雄勝花物語 ローズファクトリーガーデン」と
看板に書かれた、可愛らしい家と
綺麗に手入れされた一画があった。
「雄勝花物語」は3・11の巨大津波で壊滅した石巻市雄勝町を「花と緑の力」で復興するために、被災した住民が立ち上げた復興プロジェクト。活動拠点は石巻市雄勝町内の「雄勝ローズファクトリーガーデン」。
2011年8月に代表者の女性が津波で流された母親や親族の霊を弔うために、瓦礫に埋もれた雄勝町味噌作の実家跡地に花を植え始め、その年の9月、被災地緑化支援に入っていた方々と出会い、花畑造りが始まった。
以上「雄勝ローズファクトリーガーデン」HPより抜粋。
生憎、日曜日の早朝とあって
無人だったため、お話を伺うことは出来なかった。

上の写真は、大川小学校の校舎。
ここに来るのも、久しぶりのことなので
もし、校舎がなくなってしまっていたら、と不安だったが
まだ、残っていたので
胸をなで下ろした。

この校舎を「震災遺構」として残すことには
反対と賛成、その他様々な意見があるらしい。
ご遺族にしたって
「見るのは辛いから解体して欲しい」と思う方も
「この場所に来る度、子どもに会える気がするから
残して欲しい」と思う方もおられると思う。

私は、まったくの第三者で
ともすれば、ただの野次馬でしかないので
何も意見は述べる立場にない。
けれど、私は、この校舎を残して欲しいと思う。
慰霊碑と祭壇の置かれた砂利敷の広場の真ん中に立ったとき
そこかしこに子供たちの姿が見えた気がした。
教室を覗けば、黒板に「.....月.....日.....日直」の文字が残っている。
確かに、ここで子供たちが机を並べ授業を受けていた。
生きていた「証」が、残されているように思うのだ。
校舎は雨風に晒されて、劣化が進む。
震災被害から立ち直るために
震災遺構に多額のお金をかけている余裕はないのかもしれないけれど
多くの子供たちが、一瞬で命を落とした場所だもの
ここは特別扱いにしてもいいんじゃないかなあ、
これ以上、劣化が進む前に手を打って、と
そんなことを思いながら、校舎を後にした。
それから
余計なことだけれど
慰霊碑の前に「この前で記念写真を撮らないで」との
注意書きがあった。
どこにでも、不届きものがいるものだ。
悲しいことだね。

大川を出てからは、橋浦の「曽呂美農場」で
田植えのお手伝い。
なぜ。写真の二人が反対向きで田植えをしているかは
ご愛嬌。

農場特製の、いつものシフォンケーキ。
田植えの合間にいただくのは、とても嬉しい。
そして、美味しい。
※写真は、いい写真なので掲載しちゃいましたが
ご本人からクレームが入ったら削除します。
遠慮せずにメール下さいね。


特製のシソジュースも、咽に優しい。
汗の流れる火照った身体を冷やしてくれた。

田植えの後のご褒美は
都会から移り住んだ若者たちのご家族のお招きで食べた
釜焼きピザ。

あまり詳しいお話は伺えなかったが
ピザ作りのご主人は、石巻の渡波の方で
震災時に、たくさんのボランティアさんに
お世話になった恩返しとして、ピザを焼き始めたのだそう。
この釜は、ご主人の手作りだ。

「チーム東松山」の仲間たちと
必死になって片付けた納屋が、感じの良い作業場になっていた。

明るい太陽の下で
ピザのおじさんの奥様お手製のピザを頬張る。


それから「移住組み」の奥様お手製のリゾットとサラダ。

私なんぞ
土曜日から作業していた皆に遅れて
日曜日からの参加で
しかも、苗は二束三束くらいしか植えていないのに
こんなに御馳走になっていいのかしら。
そう思いながらも、図々しくお代わりをして食べてしまった。

その後、いつもの陸前小野駅傍の「スマイルダイニング」へ。

ここでは、クリュームブリュレだけをいただいて
皆と別れた。

それから
レンタカーを返しに石巻へ向かう。
レンタカーを返してからは徒歩で石巻駅へ向かい
仙石線で仙台へ。


石巻駅のホームに立つのも、4年振りだ。
「また、帰ってくるよ」
そんな気分になれるのも、電車ならでは。
車での帰省では、なぜだかそんな気分にはなれない。

石巻市民には夢(?)のような「仙石ライナー」に初乗車!
高城町を過ぎてから、東北本線の軌道を利用しての
快速列車だ。
これまで、どこかのお下がり車両ばかりだった仙石線なのに
「仙石ライナー」はピカピカの車両だったので
嬉しかった。

新しい野蒜駅から、旧野蒜駅舎が見下ろせた。
その向こうには海。


おだやかな、海。
仙石線の車窓から見る海は、やはり最高だ。
私は、海のある街で育った。
18歳まで、工業港と漁港がある不思議な港町で暮らした。
だから、今でも海が好き。
どんなに離れていても、やはり、石巻が好きだ。


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