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土曜日は旅の記憶 Vol.92 28カ国目は楽園『パラオ』その2



※注)訪問して下さった方へ
なかなかブログアップが出来ないので、文章教室に提出した原稿「パラオ備忘録」をそのままコピーして掲載しています。そのため、いつもよりもさらに長文です。さらにその1、その2に分かれています。
改行、段落頭1字下げなどずれてしまっているかもしれませんが、コピペのために見直している余裕はありませんのであしからず。




 私の人生に於いて通算36度目かつ、延べ28カ国目の海外旅行先に当たる『パラオ』の正式国名は『パラオ共和国(パラオ語で Beluu ęr a Belau、英語でRepublic of Palau)』。太平洋上のミクロネシア地域の島々からなる国である。
 パラオを構成する島は200〜300程度。実際に人が住んでいる島は10に満たないらしい。首都は『マルキョク』。『ロマン・トメトゥチェル国際空港』のある『バベルダオブ島』に首都があり、この島が最大の島である。旧首都のある『コロール島』とは橋で結ばれている。『コロール』はパラオ最大の都会だ。と、言ってもメインストリートの端から端まで簡単に歩ける程度の街である。私の滞在した『パラオプランテーションリゾート』はコロールのダウンタウンから近く、住宅街の中にひっそりと佇んでいた。周囲は椰子の木とタロイモ畑。ジャングルの中の静かなリゾートだった。


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 コロール島からはバベルダオブ島以外に、『マラカル島』と『アラカベサン島』という島が橋で繋がれている。コロール島とパラオ南端の『ペリリュー島』の間にある『ロックアイランド』は、2012年7月に世界遺産に登録された。
 この『ロックアイランド』は古代の珊瑚礁が隆起して出来た石灰岩の島だ。永年の海水の侵食や貝や蟹などが餌として齧ったために、海面から2メートルほどがくびれていて、全体はマッシュルームのような形をしている小さな島々だ。多くは無人島である。200〜300もの島々の合間を縫ってのクルージングは素晴らしかった。これまで目にしたことのない、不思議な海の空間だった。

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 パラオが第一次世界大戦後に、日本の統治下にあったことは広く知られている。それまでの統治国であったドイツが成し遂げられなかった教育や、インフラの整備は日本が進めた。そして、悲しいことにパラオは第二次世界大戦に於いて、重要な戦争拠点となり連合軍の攻撃対象となった。多数の戦死者を出したのは、私が滞在したコロール島の遥か南方の『ペリリュー島』だったが、滞在2日目と3日目にカヌーでクルージングをしたコロール島の「岩山湾」にも戦いの跡があった。
 ガイド兼船頭のアレンさんの案内で、朽ちた米軍の戦闘機と旧日本軍の駆逐艦を見た。沈んでいる戦艦は一艘や二艘ではないらしい。私が見た三艘は岩山湾の浅い澄んだ海の底に沈んでいた。70年もの長い間、ひっそりと息を殺し海の底に横たわっていた。

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 それら以外にも、旧日本軍の桟橋跡や砲台跡、米軍の砲台跡も見た。忌まわしい過去の負の遺産が、この平和な時代には貴重な観光資源になっていることに、日本人として、言葉に表すことの出来ない複雑な思いがした。それとともに、この素晴らしく美しい海を汚してしまったことに、日本人としての罪の意識を感じずにいられなかった。
 そんな気持ちを抱いたまま国立博物館へ出向き、ジャパンコーナーの展示を見た。そこには日本のパラオに対しての業績とともに、パラオの人々の感謝の言葉が展示されていた。古き良き日本統治下のパラオに建てられた建物は現存しているものもあり、今でも使われているらしい。そして、太平洋戦争の末期に於いての戦いで、日本人の手によって美しく整備された街をことごとく破壊したのは米軍であったことが書かれていた。


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 それらの展示を時間をかけてゆっくり見て回った。そのため、日本人としての私の気持ちは救われた。日本人はどこかの新聞社が言うような「悪いこと」ばかりはしてはいない、と思えたからだった。
 帰国から丸二ヶ月経った今も、目を閉じると世界遺産の島々が在り在りと脳裏に浮かぶ。


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日本からたった4時間半で行ける楽園は、日本人にとって深い結びつきのある貴重な島だ。人々は親日で温かくて優しくて親切だった。「楽園」の暮らしは楽ではないように見えたが、それでも人々は明るかった。
 私がなぜ、この国を旅先に選んだのか、その理由はいたって単純。
「行ったことがなかったから」である。


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